3 - 5 田淵駒乃 ③

 不田房は隠し事をしない人間だった。というか、できない。質問をされると、それがどんな内容でも平気で口にしてしまう。たとえば現在の恋人の有無。好みのタイプ。大学で教えている時以外はどんな仕事をしているのか。映像作品に出たことがあるかどうか。そのタイトル。なんでも。何もかも。傍で見ている鹿野の方がハラハラした。プライバシーという概念がないのだろうか、とすら思った。煙草を吸いながら、さり気なく忠告をしたこともある。「なんでもかんでも教えない方がいいですよ」と。不田房は小首を傾げて「先生のプライベートにマジで興味ある子なんていないだろ」と笑った。いるのだ。と鹿野には断言することができなかった。誰が、なぜ、どのように、をきちんと説明できなかった。鹿野が肌で感じている。根拠はそれだけだったから。


 劇団傘牧場に所属する以前から、つまり学生の頃から、不田房は同じ大学で映画監督を志す者の作品に出演したり、その繋がりでインディーズとも称すれば良いのか、とにかく低予算の劇場公開作品に顔を出したりと、俳優としての仕事をこなしていた。出演時の名義は『フタフサエージ』。劇団に所属していた頃も、出演時は常にカタカナ名義だったと言っていた。田淵をはじめとする数名の生徒は、不田房の俳優としての作品をわざわざ探して鑑賞していた。DVDをレンタルすることもあったし、動画配信サイトに違法でアップロードされている映像を見た、らしい、ことを授業が始まる前の稽古場で楽しげに話している現場に鹿野は何度も行き合った。不田房には告げなくても良いと思っていたから、黙っていた。不田房はまるで気にしていない様子で「はいじゃあ今日も始めまーす」と呑気に手を叩いて生徒たちを集合させ、稽古を開始した。


「ね、鹿野ちゃんこれ見た?」


 喫煙所に来た田淵に、突然スマホの画面を見せられた。そこには男女のベッドシーンらしきカットが写っていて──いや、そんなことは当時の鹿野にはどうでも良くて、田淵がもう片方の手に煙草の箱を握っている。それに気を取られていた。


「煙草?」

「あ、これ?」


 私も吸うようにしたんだ、と田淵はニッコリと笑って言った。


良く煙草切らしてるじゃない? だから」


 。誰だそれは。不田房のことだと気付くのに、たっぷり三十秒はかかった。


「鹿野ちゃんもおんなじ煙草にした方がいいんじゃない? 助手なんだから」


 意味不明だ。助手は助手であって、不田房の煙草をわざわざ準備するなんて真似はしない。家来や子分ではないのだ。


「それより見てよ、こっち。すごいエロくない?」


 スマホの画面の中で裸の女を組み敷いているのが、不田房栄治だと遅れ馳せながら気付く。今よりも少しだけ幼い顔立ち。意外とがっしりとした体付き。滴る汗まで見えるようで、鹿野は黙って眉を顰めた。


「なにそれ」

「栄治さん言ってたじゃん。ロマンポルノ出たことあるって」

「ああ……」


 休憩時間、生徒たちからどうでもいい質問を投げかけられ続ける不田房がそんなことを口走っていたのを思い出す。ロマンポルノ。そういう言葉が現代にも残っているのが意外だった。いや、ロマンポルノそのものではなく、現代にロマンポルノを蘇らせる企画に参加した、だったか? どうでもいいことなので、忘れていた。


「やっぱさ、ありだよあり。栄治さん絶対あり」

「なにが……」

「おー鹿野。に、ん? 田淵? 珍しいね?」


 不田房が片手に煙草、もう片方の手に緑茶のペットボトルを手に歩いてくる。「お疲れ様で〜す」と田淵が腰をくねらせて笑った。


「田淵って煙草吸わないんじゃないっけ?」

「吸うようにしたんです〜。先生と喋りたいから」

「そうなの? 煙草吸わなくても俺とは喋れるよ。鹿野ライター」

「私はライターじゃないですが……」


 田淵の目の色にまるで気付かない様子で、不田房がライターを要求する。普段は洒落たオイルライターを愛用しているくせに、どうして今日に限って忘れるんだ。父親とたまに行く居酒屋の名前が入った百円ライターを不田房の手に押し付け、


「行きますわ」

「え、どっか行くの。俺も行こうか」

「いいっす。図書室に本返すの忘れてたの思い出して。休憩時間終わっちゃうから」

「そうなんだー、俺も行く! ね、ここの図書室ってすげえ広いんでしょ? 俺も本借りたいな」

「いや無理……」


 田淵駒乃の舌打ちに、不田房栄治は気付いていなかったのだろうか。今はもう分からない。尋ねても「そんなことあったっけ?」と言われて終わりだ。何せ不田房栄治には、記憶力がない。


 田淵は、その後何度も喫煙所に現れた。鹿野は気を利かせて席を外すのをやめた。鹿野の目の前で、田淵は堂々と不田房を口説いた。不田房は小首を傾げて笑っていた。まるで成立しないキャッチボールを、胃をキリキリさせながら鹿野は見守っていた。キャッチボールが成立しないだけならまだ良い。その言葉がいずれ、デッドボールになってしまったらどうすればいいんだ。助手として。不田房栄治の相棒として。そんなことばかり考えていて、だから十年経った今でも田淵駒乃の一挙手一投足を、狙った獲物を絶対に落とそうとする媚を含んだ眼差しを、まざまざと思い出すことができる。


 ああ、それから。


 田淵駒乃は、処女を公言していた。

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