化粧品と噂話



「あ、それいいかも。化粧品買うにあたって男の意見も聞いてみたいところだったし。男ウケと女ウケって違うものね」


 スプーンを振りながら尚弥より先にうんうんと頷いたのは咲だった。

 尚弥の眉がまたしてもぴくりと動く。


「化粧品?」

「そうそう。なんと仄香、来月あの志波さんとデートなんだって!」

「はぁ?」


 簡単にバラす咲の言葉に、尚弥が疑わしげな声を上げる。

 仄香と志波は釣り合わないだの恋仲になれると思ってんのかだの、誰よりも散々馬鹿にしてきた尚弥だ。そう簡単には信じられない事態だろう。


(う、うわ……。全っ然信じてない目だ……!)


 こいつはついに頭がおかしくなったのかと言いたげな目を向けられた。ただの妄想だと思われていそうだ。そうでなければ騙されていると確信している目である。

 尚弥はしばし何か言いたげに仄香を見つめてきた後、急に端末を取り出してメモアプリに文章を打ち込み画面を見せてくる。


〝結局、脅されてんのはどうなったんだよ〟


 仄香は口で答えようかと思ったが、目の前に事情を知らない咲がいるため、尚弥の端末を借りてメモアプリの続きに文章を打ち込む。


〝もう盗聴されてないみたいだから、今度からは口で喋って大丈夫だよ〟

〝何でそう言える?〟

〝宵宮先輩本人が異能の元となる物質を外してくれたから〟

〝油断させて聴いてる可能性もあるだろ〟

〝そうだとしても、あの人、私達みたいな異能力者のことは無闇に殺さないと思う。そういう信念の人だってこの前分かった〟


 仄香の中には宵宮へのある種の信頼が生まれていた。

 彼が憎んでいるのは無能力者だけだ。全ての行動は無能力者の殺人を目的として行われている。未来で咲が殺されていたように、過度に邪魔をしてくるようであれば殺す場合もあるようだが、こちらが強硬手段に走らない限りは殺しまではしてこないはずだ。


(それに……宵宮先輩はまだ、話が通じる)


 先にある目標が極端で狂っているとは思うが、宵宮の犯行動機は仄香にとって全く理解できない域のものではなかった。どちらかと言えば〝気持ちがいいから〟という理由だけで殺害を行う志波の方が理解できない。そして、理解できないものには対処しようがない。

 だから――宵宮の過去を聞いて少し安心したのだ。まだやりようはあると。


「ちょっとちょっとぉ、二人とも。あたし抜きで何イチャイチャしてんの? 志波さんがいながら浮気はダメよ、仄香」


 端末を何度も渡し合ってこそこそ会話している仄香と尚弥を見て、咲がからかうように覗き込んでくる。

 仄香は慌てて持っていた尚弥の端末を尚弥に押し付けた。


「食べ終わったら早めに行こう。夜はジム行きたいし」


 目の前のミルクティーを勢いよく飲み干して言う。

 咲は「ちょ、ちょっと待ってよ」と焦った様子でパフェを口に掻き込んでいる。横の尚弥を見れば、咲とは違って悠長にコーヒーを飲んでいた。


(尚弥の私服見たの久しぶりだ)


 緩めのグレーのカットソーから鎖骨が少し見えていて少しドキリとする。

 休みの日に一緒に遊ぶなんて子供の頃以来だ。昔はどちらかと言えば可愛い顔をしていたので、今は横顔も男っぽくなっていてまるで別人のような感じである。


「何だよ」


 凝視しすぎていたのか威嚇されたため、仄香は「ご、ごめん」と謝って俯いた。



 ◆


 ショッピングモールの化粧品コーナーは広かった。仄香が見たこともないキラキラしたパッケージの化粧品が沢山並んでいる。

 尚弥がコーヒーを飲み終わるのを待っている間、仄香は仄香なりに化粧のことを色々調べた。まず下地というものと、ファンデーションは違うらしい。同じく顔に塗るのに何が違うのだろうと思うが、別々に使われているのでおそらく何か違うのだろう。


「これが口紅?」

「コンシーラーだ、馬鹿が」


 ひとまず目についたものを手に取って見るが、後ろから尚弥の厳しいツッコミが入った。尚弥は夏菜子が就職で帰国してからは夏菜子の買い物によく付き合わされているらしく、仄香よりも化粧品に詳しい。


「安いもんでいくとこの辺だろ。あと、お前の肌の色に合う色は……」


 尚弥がぶつぶつ独り言を言いながら仄香の持っている小さな籠の中にどんどん化粧品を入れていく。


「すごぉい。これ、初心者メイクでよくおすすめされてるやつよ。値段の割に落ちにくいって評判なの。尚弥くん、よく知ってるわね」


 咲が仄香の籠を見て感心したように褒める。

 尚弥は咲の言葉など全く聞いていないようで、隣の列に並んでいる化粧品を見て選んでいる。何故、尚弥がそんなに積極的に……と複雑な気持ちだが、知識のない自分が選ぶよりも確実だろうと思って従うことにした。

 隣の咲がこそっと耳打ちしてくる。


「尚弥くんって、口は悪いけど親しみやすいわね」

「本当に言ってる?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。


「ほんとよ~。ああいう女の子のこと分かってそうな男って、カレシにしたら意外とイイのよ」

「女ノ子ノコトワカッテル……?」

「あはは、カタコトにならないでよ。仄香は幼なじみだから実感湧かないのかもしんないけど、尚弥くんって相当モテるんでしょ?」

「モテル……?」


 仄香の脳内に宇宙が広がる。

 咲はクラスでの尚弥の絶対王政っぷりを知らないからそんなことが言えるのだろう。確かに尚弥は異能も優秀で努力家で運動も勉強もできるが、性格は最悪だしすぐ暴力に走るし人の手紙を破るデストロイヤーでありいじめっ子だ。


「知らないの? うちの学年じゃ尚弥くん女子の間でめちゃくちゃ注目されてるじゃない。あたしのクラスでもイケメンだって噂で、告白して玉砕した子も後を絶たないって。上の先輩も色目使ってるらしいわよ?」

「ええ……? そりゃ、イケメンはイケメンだけどさ」


 イケメンだったら何でもいいのだろうか? と驚愕した。

 とはいえ、よく考えてみれば、尚弥からいじめられているのは仄香だけだ。その他大勢のいじめられていない側からすれば、尚弥はただのいい男なのかもしれない。あれだけ酷い性格がバレている仄香のクラスですら尚弥が好きという女生徒がいるくらいだ。結局女子達は性格など二の次で、スペックだけで彼に惹かれているのだろう。


「……咲も、尚弥のことアリだと思う?」

「え~? あたしは恋愛とか今は考えてないからなぁ。そういうの大人になってからでも遅くないと思うし。今は武塔峰の授業に付いていくだけで精一杯」

「よかったぁ~」


 咲まで尚弥のことをかっこいいだのと言い出したらどうしようかと思った。自分をいじめている人間のことを咲に評価されたら少しショックだ。


「それに、尚弥くんって茜さんのこと好きなんでしょう?」

「うん。今はどうか分かんないけど……」


 この間研究室でそのことを本人に言ったらやや否定されたことを思い出し、一応断定するのは避けた。

 てっきりずっと茜に一途なものと思っていたが、よく考えてみればあの尚弥が子供の頃の初恋を今も引きずっているという方が不自然だろう。尚弥も成長しているのだから。

 仄香にも、子供の頃からの志波への初恋を引きずっている自分と尚弥を重ねて決めつけてしまっていた部分があるのかもしれない。


「あの才女が好きって人に告白する勇気出ないわ、あたしだったら」

「へへ、だよね。茜ちゃん、天才だし可愛いもんね」

「ちょ、妹褒められて喜ばないでよ。仄香って何だかんだシスコンよね」


 そんなことを話しているうちに、尚弥が隣のゾーンから持ってきたリップを仄香の籠に入れた。


「お前に似合いそうだった」


 尚弥がぶっきらぼうに言う。


「……そ、そっか。ありがとう」


 何も考えず選んでいたわけではなく、仄香に似合うものを考えてくれていたらしいことに少し動揺した。




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