恋敵



 尚弥は仄香の姿を視界に捉えるとわずかに目を見開いた。

 そして、至極不機嫌そうに眉を寄せる。


「んだよ、その格好」


 ドサッと買い物袋を仄香たちの荷物置き用の置き場に投げ入れた尚弥は、勝手にも仄香の隣に座る。

 この姉弟は他人の食事中に割って入ることに躊躇がないらしい。


「お前、私服なんか一枚くらいしか持ってなかっただろ」

「さ……三枚は持ってるし……」


 仄香は尚弥からも圧を感じて怯えながらも、ゴニョゴニョと言い返す。


「ガキの頃から毎日同じようなボロい服着てたやつが急に色気付きやがって。何のつもりだよ」


 暗に〝貧乏人のくせに〟と言われているような気がしてグサッと胸に針が刺さった。


「そ……その……」

「あ? はっきり喋れ」

「な、尚弥には関係ない」


 尚弥とは真逆の方向を見て返事する。尚弥の目をまっすぐ見ながら反抗する勇気はまだ仄香にはない。

 絶対〝どこ見て言ってんだ〟とか言われる、と次に来るツッコミを予想していた時、正面の咲が苛立ったように口を出してきた。


「あのねえ、尚弥くん。あたしら今大切な買い物の最中だから。この失礼なお姉さんも連れてさっさと帰ってくれない?」

「あァ? 知らねぇよ。帰り際に突然いなくなったかと思えば勝手にこんなとこ来てんだから。バカ姉貴の行動を制御するのは俺には無理」

「ちょっとぉ、バカって何よぉ。ずっと捜してた子がたまたま同じモール内にいたんだから、絶好の機会でしょ? わたしって運にも恵まれてるのよねぇ」


 気の強そうな三人が仄香抜きで喋り続ける。この間に積極的に入っていく程の気概のない仄香は長椅子の隅っこに寄って縮こまった。


「姉貴が捜してた……って、フラれた原因になった女じゃねぇの?」

「そーよぉ。同僚を脅して情報を得た感じ、それがこの子だっつーんだから来たの。……まさかよねぇ。尚弥の同級生なんでしょ? 学生時代いい男を百人斬りしてきたこのわたしが未熟な高校生に負けるなんて。やっぱ高秋も大衆と同じく若ければ若いほどいいのかしらぁ? 年を重ねた女の色気が分からないようなつまんない男だとは思わなかったわ」


 ハァ、とわざとらしく溜め息を吐く夏菜子を見て、少しだけカチンときた。


「――志波先輩は、〝つまんない男〟じゃありません」


 それまで静かだった仄香が突然厳しい声で口を挟んだため、夏菜子、咲、尚弥の間に沈黙が走る。


「フラれたからって、志波先輩に対して文句言うのやめてください」

「……へえ。あなた、高秋に本気なんだ?」


 夏菜子が愉しげに笑みを深める。その口元、赤いリップが映えていた。


「釣り合ってないわぁ。身を引きなさい」

「……」


 仄香自身も薄々感じていた、痛いところを突かれた。


 仄香はまだ高校生で、異能力者としても女としても未熟。それに比べて夏菜子は大人っぽくて美人で第一課で働いている優秀な人材。志波の彼女として隣に立っていても誰も文句を言わないような圧倒的な存在である。

 仄香だって分かっている。どう見ても夏菜子の方がお似合いだと。

 でもそれはあくまで他者目線の話だ。


「志波先輩は……隣に立つ人間を、自分と釣り合ってるとか、そうじゃないとかで決めてないと思います。だから貴女がフラれたのかと」

「……はあ?」


 夏菜子が仄香を睨みつけてきた。そういう表情をしていると、より尚弥に似ているように思う。


「貴女は女の私が見惚れちゃうくらい綺麗だし、優秀だし、誰よりも志波先輩と釣り合ってる。釣り合ってるかどうかが問題であるなら、そんな貴女がフラれる理由がないじゃないですか」

「…………」

「納得できない気持ちも分かります。でも、それを私に言いに来るんじゃなくて、志波先輩本人と直接話し合った方がいいと思います。……それと」


 仄香は震える手をもう片方の手で押さえ付け、夏菜子の目を見据えて宣言した。


「――私も志波先輩が好きです。憧れとかじゃなくて、いや憧れもあるんですけど、恋愛対象としてちゃんと好きです。正々堂々本気で貴女から奪いに行きます。ごめんなさい」


 恋心を他人にはっきりと表明したのは初めてかもしれない。今まで恥ずかしくて自信がなくて、〝憧れ〟と表現して誤魔化してきた。

 仄香のデートに応じたのはきっと志波の気紛れだ。そんな気紛れでフラれた夏菜子はたまったものではないだろう。罪悪感は確かにある。けれど今更身を引く気はない。――仄香も、志波高秋という人間が欲しいから。


「……何なのよ。偉そうに」


 夏菜子はイライラした様子で立ち上がり、急に財布を出して現金一万円をテーブルに叩き付けた。


「……こ、このお金は一体」

「ここのカフェ代よ。奢ってあげる。お友達との時間、邪魔しちゃったからね」

「一万円もかかってませんよ?」

「うっさいわねぇ。わたし、異犯よ? あなたみたいなガキよりうんと稼いでるっつーの。大人しく受け取っときなさい」


 高そうなブランドの鞄を持ち上げてさっさと立ち去ろうとした夏菜子は、去り際捨て台詞のように言った。


「あなたのこと、恋敵として認めてあげるわ」


 ――よく分からない人だった。

 突然現れてきつい言葉をぶつけてきたかと思えば、最後はお詫びのように金を置いて帰っていく。一体何がしたかったのか。


 夏菜子が見えなくなったのを確認した後、仄香は一気に脱力する。


「こ、こここここ怖かった…………」

「仄香、あんたやっぱり大物だわ。見た? あの人の顔。面食らってたわよ~」


 咲がケラケラ笑いながら追加で甘いものを注文する。夏菜子からの臨時収入が入ったためもっと食べてやろうと思ったのだろう。

 尚弥はまだ仄香の隣にいる。夏菜子と一緒に帰らなくていいのだろうかと気になって見上げるが、睨み返されたので視線を逸らした。


「第一課でバリバリ活動してる女性に実際会ったのって初めてだわ。死んだ父親に聞いた話では、男女平等の時代とはいえやっぱり身体能力は男の方が上の場合が多いし、殉職者も多い職場だから女性はあんまり来たがらないって話だったのよね。尚弥くん、後学のために聞いておきたいんだけど、お姉さんの能力種って一体?」


 第一課を志望している女性異能力者である咲としては気になるところらしい。

 尚弥は咲が呼んだ店員にコーヒーを一杯頼んでから、質問に短く答えた。


「酸素を操る」

「はぁ!? 何よそれ、チートじゃない」


 咲は目玉が飛び出す勢いで目を見開いた。

 仄香は尚弥から聞いたことがあるので知っていたが、改めて聞くと咲の言う通り相当なチート能力だ。夏菜子が異能力の才能を買われて特待生として無償で海外留学していたというのも理解できる。

 元素を操れる異能自体が貴重な上に、元素の中でも酸素はあらゆる場面で使われている。酸化反応まで意のままとなると応用力は無限大だ。


「やっぱり第一課ってなるとレア異能が集まってるわよね……。あたしなんてありきたりな瞬間移動だし、ちょっと恥ずかしいわ」

「種類自体はありきたりでも、咲ほどのコントロール力や飛距離を持ってる瞬間移動能力者はそれこそレアだよ。全然恥ずかしがる必要ないと思う」


 仄香は即座に否定した。

 瞬間移動の異能を持つ能力者は確かに数が多い。しかし適切に扱える異能力者となるとぐっと数が減る。軽いものを数センチ移動させるのでも精一杯な人が多い中、咲は人間一人を移動させられるのだから十分凄い能力者だ。

 仄香からすれば咲も夏菜子も、両方憧れる。



 そこで咲の頼んだパフェと尚弥の頼んだ熱そうなコーヒーが運ばれてきた。

 いつまでも夏菜子を追おうとしない尚弥を見て、しばらくここにいるつもりなのだろうと推測する。

 咲も夏菜子に対しては嫌そうな態度を取っていたが、尚弥は一応職場見学で一緒になった仲というのもあってか追い払おうとはしていない。


「……尚弥も一緒に来る? 茜ちゃんのプレゼント買いに」


 こんなに堂々と居座られて何も言わないのも気まずく、一応誘ってみた。




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