お人好し
「ほのぴ、スマホと財布、あと鞄出して?」
「え……? は、はい」
戦闘中に角に放置していた学校用の鞄を取りに行き、宵宮に手渡す。
一体何だろうと思っていれば、宵宮がそれらから見覚えのある丸い物体を全て取り出した。
「それ……」
「僕の異能の【追跡】はね、僕が異能で作った物体を介して相手の位置情報と音声を任意のタイミングで把握したり聴いたりすることができる。物体の形は何でもいいし、位置情報はどれだけ離れていても分かる。僕が死なない限りはバッテリー切れもないから普通の盗聴器やGPSより優れものだよ~」
仄香と茜の予想通りだ。
しかし、今後も監視しなければならないというのに、何故今外したのか。
「今分かった。ほのぴは僕らの脅威にはならない」
「…………」
「お人好しすぎるもん。僕たちを陥れられる程、器用じゃないでしょ」
宵宮が、手元にある盗聴用の物体を指で押し潰す。
パキンと音がして、それは煙となって消えていった。
「あ、でもあの小動物殺害現場の写真は消さないから。いざという時の保険はあった方がいいしね」
「そ、そうですよね……」
これで自由の身! と期待しそうになった仄香はしょぼくれる。
「珍しいな」
仄香の隣の志波が言った。
志波を見上げれば、皺一つないスーツを身に纏っている。一応下にも敵はいたと言っていたのに、戦闘後とは思えない涼しい表情だ。
「信用したのか? 仄香を」
「ほのぴをっていうか、ほのぴの不器用さを信用したって感じかな。分かんない? 見下してるんだよ」
「ひ、酷い……」
スマホと財布、そして鞄を返された仄香はショックを受けながらそれを受け取る。
「それに、さすがにアオハルしてる高校生同士のセックスを勝手に聴き続けるのも可哀想だしね。僕が変態みたいじゃん」
宵宮の言葉に志波がピクリと反応した。
仄香はぎょっとして宵宮を凝視する。宵宮は遅れて失言だったと気付いたのか、「あ。……あ~」と半笑いで付け足した。
「ごめん、言い間違えた。セックスじゃなくて一人でしてる声聴いちゃったんだよね。ほのぴの。さすがにそれ聴き続けるのは大人としてまずいよねって話」
(それはそれで恥ずかしいですよ宵宮先輩!?!?)
仄香は更にぎょっとしてハラハラしながら宵宮を見つめる。
宵宮なりに仄香の恋心に気を遣ってくれたのだろうが、どっちだろうが恥であることに変わりはない。
しかし、志波に尚弥と一線を越えてしまったことがバレるよりは毎夜自慰行為をしていると思われた方がマシだ。だからこそ否定もできず、おそるおそる志波を見上げる。
「ひっ」
思わず短い悲鳴が漏れた。
絶対零度。そんな言葉がぴったりな程の、冷たい視線。
サバンナの圧倒的王者である肉食動物に睨まれた草食動物のような気持ちだ。ガクガクブルブルと手足が震える。
「千遥」
志波が無表情のまま、宵宮の名前を呼んだ。
「報告書を任せられるか?」
「ああ、うん。書いとくけど。……先に帰っとけって話?」
「ああ」
「ふうん。分かった」
宵宮はニヤリと笑った後、戦闘中に床に落としたらしいライターを拾い、煙草に火を付ける。
そのまま倒れている死体を担ぎ上げた宵宮は、「最後に一個だけ」と面白そうに仄香を振り返った。
「今日僕を殺さなかったこと、ほのぴはきっといつか後悔するよ」
警告めいた言葉を残し、煙草を咥えて階段を下りていく宵宮。
仄香は呆然とその背中を眺めた。
宵宮を助けたことが間違いだったとは思わない。
けれど冷静に考えるなら、手っ取り早く未来を変えるには宵宮を見殺しにするという方法が一番簡単だった。そしてそのチャンスは今日以降二度とやってこないかもしれない。――それをいつか、後悔せずにいられるだろうか?
優先順位を付けるだけなら単純だ。仄香にとって大切なのは、宵宮より咲である。宵宮を生かしたことで咲が死ぬなら意味がない。
いつだって一人を助けるより全員を助ける方が難しい。志波の最初の犯行が来年秋に迫っているという、残された時間も足りない中で、果たして今日の行動は本当に正しいものだったのか。
「…………」
何とも言えない気持ちになっていると、横から志波の手が伸びてきて仄香の頬に触れた。
廃ビルには電灯もなく、月明かりだけが志波の美しい顔を照らしている。それが何とも不気味だった。
「あの日の傷は完全に治ったようだな」
「は、はい。おかげさまで……」
目の前に好きな人の顔がある。ごちゃごちゃ考えていた仄香の悩みはそれだけで吹っ飛んでいった。
「あっあの、会えて嬉しいです。まさか今日会えると思ってなくて……。わ、私、クリスマス超楽しみにしてます! 何着ていこうかなとか既に色々考えて眠れなくて。志波先輩のお手を煩わせないよう、デートプランも一応こっちでいくつか考えててっ……纏まったら送るので、よければ見てほしくて……」
緊張して纏まらない言葉を喋る仄香に対し、志波は薄っすらと笑って命令を告げた。
「脱げ」
仄香の口角が引きつる。
「……え?」
戸惑う仄香のネクタイを、志波が掴んで引き寄せた。
「千遥には聞かせたんだろ?」
「……な……何の話でしょうか……」
「自慰行為」
「…………」
ここで否定すれば、じゃあ何を聞かれたんだという話になるかもしれない。尚弥との情事を思い出してカァッと顔が熱くなった。
知られたくない。絶対に志波にだけは知られたくない。どうにか隠し通さなければ、と焦れば焦る程目が泳いでしまう。
――次の瞬間、志波が仄香の肩を掴んで強引に壁に押し付ける。
「す、すみません」
見上げた先にある志波が怒っているように見えて、もう自分でも何に謝っているのか分からないまま、必死に謝罪を口にした。
状況は少女漫画で言う壁ドンだ。しかしさっき崩れた廃ビルの壁なので少し不安を覚える。この強度なら大丈夫そうだろうが……とちらりと後ろを確認した時、ぐいっと顔を掴まれて志波の方を向かされた。
仄香は控えめに、わずかな希望にかけてもう一度確認する。
「その……脱げと言いますと……?」
「今ここでしろ」
「……む……むり……」
自慰行為を強要されていることをようやく理解し、口から情けない声が漏れた。
ふるふると弱々しく首を横に振って拒絶する仄香だが、志波は冷淡な目付きで見下ろしてくる。
「俺が好きならできるよな?」
本気だ。仄香はごくりと唾を呑み込んだ。
覚悟を試されているのかもしれない。
「千遥に聞かせられて、俺には聞かせられないと?」
「ち、違……ちが、違います…………」
志波の顔が怖すぎて半泣きになってしまった。
プルプルと震える指先で何とか言われた通り服を脱ごうとして、――やはり無理だと思った。目の前で好きな人に裸を見られるなんて恥ずかしすぎる。
「どうした? 手が止まっているが」
「脱ぐのはやっぱり無理です……」
無言の圧をかけられて怯んだが、仄香は諦めず必死に交渉を持ちかけた。
「ふ、服着たまま、するので、それで勘弁してください」
必死に懇願すれば、ふっと頭上で志波が満足げに笑う。
「君はやはり泣き顔が似合う」
何故こちらは泣いているのに、そんな顔ができるのか。やはり人の心がないと思った。
「千遥に見られていないならそれでいい。しろ」
淡々と命じられ、仄香は緊張しながら自身の服の中に手を入れる。心臓がばくばくとうるさい。今、人生で一番緊張しているかもしれない。
――見られている。長年憧れた、好きな人に。
はぁっと熱の籠もった吐息が漏れる。
「……んっ」
下着の上から指でそこをなぞる。少し触ったのだから、志波からもう終わっていいという声がかかるのではないかと期待してちらりと見上げるが、志波は変わらず無表情で仄香をじっと見下ろしているだけだ。
指を何往復かさせ、敏感な箇所を何度も擦る。そのうち羞恥心よりも快感が勝ってきて、甘い声が漏れ、腰が跳ねた。
「しば、せんぱい。そんな、見ないでください……」
顔から火が噴きそうな心地であるのに、好きな人に見つめられているせいでドキドキして指が止まらない。
見るなとお願いしているのに一切聞かずに見下ろしてくるその冷たい瞳にゾクッとした瞬間、中がきゅうっと反応する。
「ひ、ぅっ……――ッ」
最後にビクビクと下半身が震えた。
(う、うそ、私……)
恥ずかしさでもういっそ今すぐここから落ちて絶命した方がいいのではとすら思ってしまっていたその時、くっと志波が低く笑った。
「本当に従順だな。俺が頼めば何でもするんじゃないか?」
「ご、ごごごごごごめんなさいっ! は、はしたない真似を……!」
思わず勢いで土下座しようとした仄香の首を、志波が掴む。その手には力が籠もっており、命の手綱を握られているような緊張感があった。
「今度一度でも他の男にその声を聞かせたら俺の手で殺してやる」
低い声で囁かれる。
その言葉は全く冗談に感じられず、仄香の額に冷や汗が伝った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます