外出



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 その頃、宵宮は死体を処理班に預けた後、先程までいた廃ビルの方を見上げていた。

 今夜の月は丸い。曇ってさえいなければ綺麗に見えただろう。


「……あそこで死んでもよかったかもな」


 煙草の煙を吐き出しながら、ぽつりと独り言を言った。

 もし宵宮があそこで死んでいたら、その光景は仄香という少女の記憶にこびり付き、一生忘れられないものになっていたかもしれない。

 仄香がぐちゃぐちゃになった自分の死体を見て泣くところを空想し、くっと笑いが漏れた。


「ちょっとそそるかも」


 送迎用の車が宵宮の傍に止まり、運転手が窓から顔を出した。そして宵宮しかいないことに気付いたのか、不思議そうに聞いてくる。


「宵宮さん、志波さんはどうしたんですか?」

「ん? あー……自分で帰るって」

「あ、そうなんですか。何か用事あるんですかね?」

「うん、女とイチャイチャしてんの」

「はあ……。志波さんがですか? 女と?」


 信じられないというような顔をされ、宵宮は思わず噴き出した。


「っはは、だよねえ。意味分かんないよね。あの高秋がね」

「そういえば志波さん、あの人とは別れたんでしたっけ? 凄い美人さんでしたよね。あんな美人放って早速他の女と……ってことですか。いやあ、イケメンは違うなぁ。選び放題で羨ましいです……」


 運転手は大きな溜め息を吐く。この運転手は去年妻と離婚したばかりらしく、現在婚活中だ。年齢で言えば宵宮より二十ほど上だが、基本的に専属の運転手は職員に対して敬語である。

 宵宮は助手席に乗り込んで言った。


「おもしれー子だよ。高秋の新しい女。一回ライオンとかと同じ檻の中に入れて観察してみたいタイプ」

「え、何ですかそれ?」

「行動の予測がつかないってこと」


 窓越しに月を見ながらふと思う。


(ほのぴなら、高秋の隣に立っててもムカつかねぇかも)


 必死な顔で、自分の手を掴んで離さなかったあの表情。目は血走り歯は食いしばっていて不細工だった。しかもその顔で、宵宮の命を〝価値がある〟と言い切った。


 あの時の仄香を――少しだけ可愛いと感じてしまった自分がいる。


 隣の運転手に車の発車を命じた。

 月に雲がかかり、空が暗くなる。


「なぁ、未成年に手ぇ出したら犯罪かな?」

「ええ……? そりゃ犯罪でしょう。最近そういうの厳しいですよ。相思相愛でも取り締まられるとか。宵宮さんも、やめてくださいね。第一課エースの右腕なんですから。宵宮さんの悪行は異能力犯罪対策警察全体の悪行として取り上げられますよ」

「だよねぇ~」


 くっくっと笑いながら窓を薄く開き、車内に充満した煙を出す。

 少しだけ日々が面白くなりそうだ。そう予感し、また煙草を咥えた。




 ◆



「穴があったら入りたい…………」


 ずううううう~~~~ん……と重たい空気を放ち、ベッドから一歩も動かない仄香を、咲が呆れた顔で見つめていた。


「ちょっと、折角の土曜日の朝だってのに何でずっとそんなとこにいんのよ? また何かあったの?」

「…………」


 命じられたからとはいえ、一人でしているところを好きな人に見られた。そればかりか、最後まで一人でしてしまった。


(絶対変態だと思われた……)


 あそこで従わなければ、その程度の愛情と思われそうで嫌だったのだ。

 しかし今思い返せば、あそこまでする必要はあっただろうか。程々にして終わらせておけばよかったものを。痴女と思われたかもしれない。


「出てきなさぁぁぁーーーい!」


 咲が下から、ウジウジと悩む仄香のいる二段ベッドを勢いよく揺らしてくる。


「わ、分かった。出る。出ます」


 仄香は慌てて起き上がり、下におりて私服に着替える。



 あの後、宵宮からは『バイト代』と言って端末に五万円が振り込まれていた。時給換算したら凄い額である。多すぎて返そうとも思ったが、命をかけた任務であったことを考えると妥当な気もして結局受け取った。


「とりあえず、尚弥に返そう……」


 早速今月と来月のジム代を尚弥に渡して、残りはデート用の貯金にすることにした。尚弥の端末に『ジム代です』と一言添えて送金した。


 尚弥のことを考えると、昨夜志波に言われたことを強烈に思い出す。



 ――『今度一度でも他の男にその声を聞かせたら俺の手で殺してやる』



(私、割と命の危機かもしれない……)


 宵宮曰く、尚弥は仄香のことを都合の良い性処理の道具として認識している。つまり今後も仄香に手を出してくる可能性は十分ある。もしそれが志波にバレたらと思うと、ぶわっと汗がふき出てきた。

 あの声音は本気だった。喘ぎ声を他の男に聞かせたら本当に殺されかねない。尚弥に逆らうのも怖いがそれ以上に志波が怖い。


(今度尚弥に絡まれたらはっきり言おう。もうこんなことはやめてって)


 仄香はそう心に決め、後ろで筋トレ動画を観ている咲を振り返る。


「咲。あのさ、今日暇?」

「暇だけど。どうして?」

「……服買いに行かない?」

「服? 珍しいわね。仄香が外に遊びに行こうとするなんて」


 咲が驚いた顔をして動画の再生を止めた。

 仄香は照れつつも打ち明ける。


「実は、来月志波先輩とデートするんだよね……」


 ずっと両親に気を遣って、できるだけ無駄遣いしないように過ごしてきた。私服なんて中学の時から使っている素朴なシャツとズボン三着くらいしかない。

 でも今は自分で稼いだお金がちょっとだけある。加えて、来月はずっとずっと憧れてきた志波とのデート。身なりを整えるために少しだけお金をかけたいと思っていた。


「ええ!? 志波さん!? え、あの!?」

「へへ、自分でもびっくりなんだけどね」

「びっくりなんてもんじゃないわよ! いつの間にそんなことに!?」


 咲が興奮したように立ち上がり、早速上着を着始める。


「早く行きましょう! 歩きながら詳しく聞かせて!」


 仄香は咲に志波高秋という人間のどこがかっこいいかしつこくプレゼンしたことすらある。だからこそ咲は仄香が志波の長年のファンであるというのは嫌という程知っている。それがどうしていきなり本人とデートなんてことになったのか、気になって仕方ないという顔をして仄香を見てくる。


 さすがに全て話して巻き込むわけにもいかないと思い、この前麻薬組織の取引現場を目撃してしまった時に志波も異犯としてそこにいたということにした。一応、嘘はついていない。


「はええ~。そんな偶然ってあるのねぇ。でも、ひょっとしたら……ひょっとするかもじゃない?」

「ひょっと……?」

「だって、いくら巻き込んでしまった被害者からのお願いとはいえ、気に入ってないとデートなんて受け入れないでしょ。打ち上げで焼き肉食べた後も仄香だけ連れて行かれてたし。もしかしたら……もしかするかも!」


 咲はワクワクした様子ではしゃいでいる。これまで一切恋愛沙汰などなかった仄香の恋が進展したことを面白がっているのだろう。

 仄香も咲のように期待したい気持ちは少しある。しかし、何分志波は一般的な予測が当てはまるタイプの人間ではないうえに、かなり常識外れな思考をしている。関係の進展を期待したい自分と、志波という人間には恋愛感情などないだろうと思う冷静な自分がせめぎ合っていた。



 高校進学以降、遊ぶためだけに敷地外に出たのは初めてかもしれない。久しぶりに来るショッピングモールは、休日のためか家族連れやカップルで混み合っていた。


「志波さんってどういう服が好みなのかしらね? フェミニン系とか、クール系とか、大雑把にでも分かったりしない? 系統さえ分かれば店の目星は大体付いてるんだけど」


 咲はオシャレ女子である。筋トレ以外には無頓着なように見えて美容のことにもしっかり気を遣っているタイプで、化粧品や服のメーカーに詳しい。

 衣服について全く詳しくない仄香は頼りがいを感じた。顎に指を当て、うーんと志波のこれまでの言動を振り返る。


「……殺しがいがありそうな服、かな?」

「え? 急に何の話? 志波さんの好みの系統を聞いてるんだけど」

「あ、いや……うん。ごめん。間違えた」


 仄香なりに真剣に導き出した答えだったのだが、咲が困惑しているので言い間違いだったということにする。


「好みはよく分からないけど、志波先輩ってやっぱり大人っぽいイメージだし、隣に並んだ時にある程度大人っぽい雰囲気だった方がいいんじゃないかな……」

「まあ、それは一理あるわね。あたし的には仄香には可愛らしい感じの服装の方が似合うと思うけど、相手は年上の男だし、あえていつもとは違う雰囲気を出してドキッとさせるのもアリかも……。ふふ、色々考えてたら燃えてきたわ」


 咲が悪巧みをするような顔をしている。仄香以上に張り切ってくれていて有り難いことだ。



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