宵宮千遥の過去 ⑤
挙動不審だった男が僕を刺したのだ。
一瞬何が起こったのか分からなかった。しかし腐っても武塔峰の授業で鍛えられていた僕の体は、頭が状況を理解するよりも先に動いていた。
反射的に鞄から支給されていた遊戯銃を取り出し、刺してきた男とその周りの男を打つ。致命傷を与えられるような代物ではないが、気絶くらいはさせられる威力のはずだ。
しかし、目の前の打ったはずの男はまだニタニタと笑っている。意識がある。男が防弾服を着ていることに気付き即座に距離を取ろうとしたが、体がうまく動かない。
刺された箇所が酷く痛む。気分も悪い。かなりまずいところを刺されている。
「宵宮元大臣の息子め……お前が生き残っているから我らが神のご降臨が遅れているのだ! 我らは教祖様に従い、お前を殺す! 教祖様はヒマラヤで最終解脱した、日本で唯一神のお言葉が聞こえる方なのだ! 神のご指示に忠実に従えば、悪魔の手から日本を救うことができる! 救済を得るためにはお前を殺さねばならない!」
――ああ、この意味の分からない言説には聞き覚えがある。
僕の父さんを殺した奴らの残党が手を組んでいる大きなカルト集団だ。
男はようやく状況を理解した僕の腹に刺さっている包丁を勢いよく引き抜き、今度は別のところを何度も刺してくる。
「悪魔! 悪魔! 悪魔の手先! お前ら異能力者は悪だ! 世の中にいらない存在だ! お前らは国民を騙して滅ぼそうとしている!」
こういう狂信者は、行動力に差はあれどどこにでもいる。勝手に仲間内で信じて盛り上がっているだけならいいが、こいつらは行動力がある危険な方。
明らかに話の通じないその様子を見て、さすがにもう抵抗する気力は起きなかった。
というかもう、体に力が入らない。視界がぐらぐらして気持ちが悪い。息もどうやってするのか分からなくなってきた。
もういいか。
元々、そこまで生への執着もないし。
投げやりになって目を瞑ったその時、目の前の男が唾を飛ばしながら叫ぶ。
「お前の父親は、異能力という悪魔のパワーの利用を推進することによって何人もの無能力者を殺した鬼畜、権力だけを振りかざして国民を不幸にした能無しだ! 自己の利益のために日本を化け物どもに売った売国奴だ! 悪魔に魂を売りやがって! お前ら一家は我らが粛清してやる!」
その時、僕の中に強い感情が芽生えた。
もう何年も抱いていなかったはずの強い意思。
それはようやく死ねるという安堵でも、諦めでもなかった。
「……ああ、そっかぁ」
重たい瞼を開けて、ぽつりと呟く。
「高秋になら殺されてもいいと思ったの、高秋が僕よりずっと格上の異能力者だからだわ」
「さ、サタンが何か……! サタンの言葉を代弁している!」
「――――てめーらみたいな無能に僕の人生奪わせてたまるかって言ってんだよ」
勢いよく起き上がり、目の前にいた男に頭突きを食らわせた。
さすがに予測していなかったのか、男が「ひぃっ」と悲鳴を上げて後退る。
あーあ、逆に力入ってきた。刺されすぎて痛み感じねー。
謎にハイになってきたし。
「【僕に近付くな】」
三つ目の異能を発動する。
対象はこの場にいる狂信者たち全員だ。
案の定、僕を取り囲む男たちは命令を聞かずに僕に攻撃をしかけてくる。
僕に近付いた男たちが順番に、脳を破壊されて死んでいった。
僕の異能である【命令】は、命じた相手が僕の命令と異なる行動をした場合にのみ、脳に異常をきたして死ぬというもの。相手に絶対服従を強いる異能だ。
ジャンルとしては【読心】と同じ精神干渉系統に分類される。本来の用途は相手を少し操る程度のもので殺人ではない。けれど、僕の場合は効力が強すぎて使うと殺してしまう。相手が命令に従えば死なないのだが、逆らった場合は即死だ。
だから人に使ったことはなかった。幼い頃実験でマウス相手に使用させられたことはあるが、それ以降の使用は一度もない。
だけど――。
「っはは、初めて人殺した」
僕は一線を越えてしまったらしい。
目の前に転がる複数人の死体を前に、笑いが漏れた。
「悪魔なんて存在しねーよ、バーカ」
死体の頭を踏み付けて言ってやった。
まあ、もう聞こえてないだろうけど。
次の瞬間、ぐらりと僕の視界が揺れる。体の力が抜けて地面に倒れてしまったようだ。
血が足りない。救急車を呼ぼうかと思ったが、腕ももう動かない。図書館内の職員は閉館前の準備をしているのか、誰も僕と死体の存在に気付いていない。
いよいよ死ぬという時、血塗れの僕の中に生まれたのは後悔だった。
いつ死んだっていいと思っていたはずなのに、本当に死に直面したらこんなに後悔するものなのかと思った。
……はは、こんなことになるのなら、もっと早く気付いとくべきだったなぁ。自分が心の奥底で、本当は何を望んでいたのか。
「――――生きたいか?」
頭がおかしくなったのか幻覚まで見えてきた。
高秋が僕を見下ろしている。最期に見るのが高秋の幻覚なんて趣味が悪い。せめて高秋が可愛い女の子だったらよかったのに。死ぬ間際に高身長の体格いい男なんて見たくねぇ。
「生きたく、ねえよ……」
高秋の問いに答える僕の声は掠れていた。
「でも、まだやり残したことが……ある」
僕を縛り付けていたのは結局は倫理観だ。
本当は、ずっとずっと無能力者が憎かった。でももし父さんや母さんが生きてたら、僕が憎悪に溺れた人間になるのは止めると思うから。父さんと母さんが望んでないならやるべきじゃないと思った。僕は父さんと母さんのために、自分の本当の気持ちを犠牲にして生きてきた。
だからさ、高秋。
ずぅっと倫理観から外れたとこにいる、お前が羨ましかったよ。
そう伝えようとして、唇が一ミリも動かなかった。意識が遠退いていくのが分かる。
――そうして、僕という人間は一度死んだ。
もう一度目が覚めた時、どこかの屋敷の縁側にいた。
遠くに星空が見える。もう夜らしい。
「起きたか」
頭上から聞き慣れた声がした。
目線だけでそちらを見れば、高秋がすぐ傍に座っている。
「……何で僕生きてんの?」
刺されたはずの手の甲も腹も足も、傷が浅くなっている。図書館前で致命傷を負わされたはずなのに、一番深く刺されたはずの腹も痛くない。
「俺の母親が教授をやっている大学の付属病院で異能力治療を受けてもらった」
「異能を利用した治療って、まだほとんど治験終わってないだろ」
「ああ。君のことはいい実験体として紹介した」
「……つーか、お前何であそこにいたの?」
「予約していた授業用の資料を取りに行っていた」
高秋が淡々と答える。無表情で、いつも通りといった感じだ。同級生が目の前で死にかけたからといって全く動揺していないのが高秋らしい。
図書館に来てたの僕と同じ理由かよ。高秋も同じ日に同じ場所に行く予定だったなら、一緒に行けばよかったな。高秋がいればここまで酷い目には遭わなかったかもしれない。
僕ははぁと溜め息を吐いてゆっくりと上体を起こした。
ポケットから煙草を取ろうとしたが、既に着替えさせられていて中には何も入っていなかった。あんな穴だらけの制服、もう使えないし捨てられたかな。
「ここ、高秋の家? 随分立派だね。親何やってんの?」
「母は医学部教授で、父は警視総監をしている」
「警視総監って……警視庁のトップかよ。ああ、だから高秋、武塔峰なんだ? 親の影響か」
正義感とは縁がなさそうな高秋が警察目指してるなんて変だなと思ってたけど、親が進んだ道を見てるからそれをなぞっていっただけか。
進路に親の影響受けるのは僕もちょっと分かるな。元々、父さんが死ぬまでは政治家目指そうと思って勉強してたし。
そこでふと、ガタガタと妙な音がしているのに気付いた。
庭の方を見れば、一台の車がずっと揺れている。
「……何で庭に車止めてんの?」
折角広くて花や池のある綺麗な庭園なのに、車の存在が景観を損ねている。こんなところに置くべき物じゃないだろう。
「さっき買った車だからだ。使い終わったらすぐ処分する」
「使い終わったらって……」
「ペット用の火葬炉を搭載した車だ。今、君が殺した死体をあそこで燃やしている」
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