宵宮千遥の過去 ④
夢を見た。
真っ白な雪の上に父さんが立っていて、僕は父さんに向かって必死に走っている。
夢の中の僕は、またこの夢かといい加減気付いている。
しかし走ることはやめられず、父さんへと走り続ける。
どんな結果になるのかはもう分かっている。
どうせ僕にはこの夢の結末は変えられない。
「にゃあ」
その時、足元から猫の鳴き声がした。
夢の中の僕が立ち止まる。
黒猫が僕の足に纏わりついて離れない。
退けよ、と言おうとしたその時――黒猫の体が引き裂かれ、雪の上に臓物が飛び散った。
それに気を取られているうちに、空から降る雪の勢いが激しくなる。
吹雪に飛ばされそうになりながら前を向けば――もう父さんはいなくなっていた。
「お前のキモい趣味には助かってるよ~。高秋」
父さんが死ぬ夢を見なくなった日の放課後、高秋の肩を叩いて礼を言ったが、高秋は無表情でさっき殺した小鳥の死骸を見つめているだけだった。
無視かよ、と思いながら煙草に火を付ける。
放課後の空き教室。僕と高秋は隔週でここに集まり、部屋に鍵をかけて小動物を殺害している。あ、僕にはそんな趣味はないので直接は手を下してない。場所の確保と、あとはたまに殺害対象を集めるのを手伝っているだけだ。
読心能力があるおかげで、高秋のことがだんだん分かってきた。
まず、この志波高秋という男は、人生に退屈している。感情の起伏というものがほとんどない。何を見ても何も感じていない。思考が静かだ。静かすぎる程に。他の人間ならあるような他者への愛情や思いやりも欠如している。道徳観念も倫理観もなければ、何かに対する恐怖も感じていない。共感性もない。
ただ能力は優秀で結果主義。結果を出すための最短ルートの計算だけはしている。だから成績は毎度トップ。
そんな、無機質な機械のような男が、唯一僅かに興奮を示すのが――この、動物を殺す時間だ。
人間のイカれた部分なんてこれまでの人生でいくらでも見てきたが、こいつは飛び抜けてイカれている。賞状でも与えたいくらいだ。
高秋は自分が殺めた鳥の死骸をいつまでもじぃっと見下ろしている。「おい」と呼びかけても反応はない。余程魅入られているのか、僕の言葉なんてどうでもいいのか。
僕は煙草の煙を吐き出しながら、ふと面白いことを思い付いた。
「高秋、人間のこと殺してみたくない?」
すると、それまで下を見ていた高秋の視線がようやくこちらに向けられる。
これには反応するのかよと思った。
僕は高秋に一歩近付き、試すようにその顔を覗き込む。
「僕のこと殺してみる? お前ならいいよ」
こいつならできる。とびきりイカれてるこいつなら、僕の人生を終わらせることだって。
きっと高秋は、人間を殺せないから代わりに動物を殺している。それは倫理観からじゃない。この世では動物殺しより人間殺しの方が罪が重くて、リスクが高いからだ。
「遺書書いてやってもいいよ。自殺に見せかける手伝いくらいならしてあげる。興味あるだろ? 動物より知的な生命体が死ぬところ」
目の前にいる高秋の感情が揺れるのが分かった。あの高秋が僕に初めて感情の動きを見せた。
これは乗ってくるかもなぁ、と期待しながら答えを待つ。
「まだいい」
しかし、返ってきたのは予想外の返事だった。
「……まだいい?」
何だそれ。
拍子抜けだ。少し楽しみにしていた分、案外普通の反応をされてつまらなく感じた。
高秋は無表情のまま淡々と続けた。
「俺には運命の人がいるらしい」
「……はあ?」
「昔言われたんだ。そいつは俺を変えるらしい。だから――その運命が現れるまで、悪魔になるなと」
運命なんて言葉は、僕が見る限りリアリストである高秋には最も似合わない単語であるように思った。
どこぞの占い師にでも言われたんだろうか。
「それ、信じてんの? 高秋がそんなロマンチスト野郎だとは思わなかったな」
少なくとも、雀の死体を前にして言うような台詞ではない。
おかしく感じてからかったが、高秋は相変わらずの真顔だった。
……〝運命〟ねぇ。
僕にもいつか、そんな風に思える出来事が起きるのだろうか。
なんて。
「……馬鹿らし」
絶対的な運命なんてものはない。未来はいつだって自分と他人の起こした行動の結果だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「君は殺されたいのか?」
珍しく高秋が僕に対して質問してきた。
「そういうわけじゃないんだけどね。生きていたいっていう強い気持ちもなくて」
高秋なら変に気遣ってきたりもしないだろうと思って、素直に答える。
「生きなきゃいけない理由も特にないのに、寿命で死ぬには残りの人生が長すぎるなって感じ。何かの拍子に誰かに殺されるなら、それはそれで都合がいい」
死ぬのってコスパいいしね。生きてる時のどんな苦しみも、死ねば無料で解決する。
僕からすれば、わざわざ長く生きたいと思ってる奴の気が知れない。
「なら、これも早死にするために吸っているというわけか」
高秋が僕の胸ポケットから煙草の箱とライターを勝手に奪う。
「つまらない男だ。死体と同じだな」
「……死体? 僕が?」
「死体を殺しても退屈そうだ」
高秋が薄く笑って言った。これはきっと嘲笑だ。僕を嘲っている。
他人を馬鹿にしている時の表情すら綺麗なのだから、ずば抜けた美形は腹が立つなと思った。
高秋は笑ったまま煙草を咥え、先端に火を付けて吸い込む。
――そして、噎せた。
「…………高秋、もしかして煙草初めて?」
「当たり前だろ。未成年だぞ」
「っふ、あは、あはは。高秋にも初めてなことってあるんだねぇ。僕が吸ってるから興味出ちゃった? カワイイとこあんじゃん」
「これは、吸っていて何が楽しいんだ?」
高秋が理解できないとでも言うように眉を寄せ、煙草の火を消す。
「楽しいわけじゃないよ。何かもう習慣化してるっていうか。吸わねぇとイライラすんだよね」
「…………」
高秋は急に興味を失ったのか、冷たい目で僕を見てきた。煙草はお気に召さなかったらしい。というか、吸う利点が見えなくなったのかな。
そこで、完全下校時刻であることを知らせる放送が流れた。早く帰らなければ見回りが来るだろう。
「じゃ、高秋。また再来週ね~」
ひらひらと手を振って高秋と別れる。
そういえば、そろそろ研究授業で提出する論文の締め切りだ。
頼まれた資料集めとかないと同じ班の子に文句言われそうだし、面倒だけど今週中には行こうかな。
その週の金曜日、僕は資料を探しに出かけた。
武塔峰の敷地外に出るのは久しぶりだった。求められているものがかなり古い資料で、都立の図書館にしか保管されていないというのだから仕方ない。
帰り際に女子生徒に引き止められたせいで到着が閉館ギリギリになってしまった。
抱け抱けってうるさいんだよなぁ、あの女。その気じゃない時に迫られても萎える。
……まぁ、最近高秋のために場所作ってるせいで構えてなかったからっぽいけど。少し放置したら焦り出すんだから、女って生き物は可愛いけど面倒臭い。
そんなことを考えながら館内に入り、司書さんに資料の名前を伝えて蔵書の中から出してきてもらった。受け取って内容を確認し、特別な資料なので学生証を出して貸し出しの許可をもらい、鞄に資料を入れて図書館を出ようとした。
そこまでは順調だった。適当に晩飯でも食って帰ろうと思っていた。
しかし、図書館の出口付近には、行く手を阻むように立ちはだかる複数の男たちがいた。
「……宵宮……宵宮だ……見つけたぞ……」
そいつらは何故か僕の名前を知っていて、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。
その中の一人の男が声を荒げて言った。
「お、おま、おまおま、おまえ、サタンの手先だろ!」
「……はあ? サタン? 何言って……」
人違いだろうと思って聞き返した――――次の瞬間、僕の腹に包丁が突き刺さっていた。
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