弱さ
昨日も、大男に襲われている時に異能を発動して次の一手が視えていた。しかし、身体能力が追いつかず避けることができなかった。
「私筋トレしようかなぁ……」
「えっ、筋トレ!? 仄香もやる!? 筋肉と友達になる!?」
仄香の呟きに、炒飯を食べている咲が嬉しそうに食い付いてきた。咲は日頃から武塔峰の寮にあるトレーニングジムに通っている筋トレオタクだ。
仄香もそうしたいところだが、ジムの利用には学費とは別に月々のお金がかかる。親に頼むのは気が引けた。
「うん。ジムに通うんじゃなくて個人でやろうかなって感じだけど……」
「いいじゃない! ムキムキになりましょ!」
咲が目をキラキラさせている。早速「初心者ならまずは~……」なんて仄香のトレーニング内容を提案してくれた。
プリンを食べ終えた仄香がカップを捨てて咲の筋トレ説明を聞いていると、食堂の向こうから尚弥がズカズカと近付いてきた。仄香たちがいるのは一番隅のテーブルである。他の人に近付いてきているとも思えない。
何となく椅子から立ち上がって逃げようとしたが、首根っこを掴まれた。
「こいつもらうから」
尚弥は咲にそれだけ言って、仄香を引き摺るようにして連れて行く。咲は午後の研究授業に早めに行かなければならない理由があると受け取ったのか、「いってらっしゃーい」なんて呑気に手を振ってくる。
尚弥の迫力に気圧されてブルブル震えてしまった。
(え、私、何されるの……!?)
食堂から出た瞬間、尚弥は仄香を人気のない廊下の壁に叩きつけた。
「ドブスが」
突然罵倒され、口をぽかんと開けたまま硬直してしまう。
「何だそのツラ。誰にやられた」
誰にと聞いてはいるが、尚弥の中には既に答えがあるのだろう。尚弥は仄香が昨日志波に会いに行ったことを知っている。志波が危険人物であることも。素直に推測するならば、仄香の顔の怪我も志波にやられたと考えるのが妥当だ。
「……昨日、事件に巻き込まれたんだ。もう解決してるから大丈夫だよ」
へらりと笑って答える。腫れた頬に鈍痛が走った。
常に宵宮に盗聴されているため、声に出して昨日のことを伝えるわけにはいかない。
「…………」
「ぎゃあっ!」
尚弥が怖い顔をして仄香の制服を捲ったので思わず悲鳴を上げてしまった。
「やっぱりな。腹も足も殴られてんだろ」
「う、うん……。骨とかは折れてないんだけど……」
仄香の制服の裾から手を離した尚弥は、忌々しそうに舌打ちした。
「オマエ、何考えてんの?」
仄香がのこのこ志波に付いていって、案の定怪我をして帰ってきたことを心底馬鹿にしているのだろう。
「もう二度と武塔峰の敷地内から出んな」
「それは無理だよ……校外実習もあるし」
「次の実習は二年に上がってからだろ。一回でも敷地から出たら殺すからな」
ぎろりと睨んでくる尚弥の眼光が恐ろしく、「ひ」と短い悲鳴が漏れる。同じ高校生なのに、どうやったらそんな怖い顔ができるのだろうと不思議に思う。
「――あと」
尚弥の拳が腹部に飛んでくる。予想外すぎて咄嗟に腹を庇うこともできず、素直に食らってしまった。俗に言う腹パンである。
咳き込みながらズルズルと壁に背を預けて床に蹲った仄香を見下ろし、尚弥が吐き捨てる。
「俺以外に殴られてんじゃねぇよ。カス」
一応校内の、しかもいつ他の生徒が通るか分からない廊下だというのに、バイオレンスすぎる。
尚弥は用は済んだと言わんばかりに研究棟に繋がる渡り廊下の方へ歩いていく。残念ながら午後の授業で一緒なので方向は一緒だ。
(……今の尚弥のパンチすら避けられないから、昨日の大男相手にこんなボロボロになっちゃったんだろうな……)
自分の弱さをひしひし感じる。
そしてふと思い付いた。――逆に考えれば、武塔峰で異能力、身体能力共にトップクラスの成績を誇る尚弥に一発入れられたら、高校生にしては強いということになるのでは?
ちらりと周りを確認する。まだ皆昼食を取っているのか、渡り廊下に人気はない。
できるだけ足音を立てないよう早足で尚弥に近付いて、拳を振るおうとした――が、背後から襲いかかったにも拘わらず、尚弥はあっさり仄香の攻撃を避ける。
そればかりか、殴ろうとした手首をしっかり掴まれてしまった。
「何してんだ」
「………………じゅ、準備運動を」
「研究授業に準備運動もクソもあるかよ」
一瞬にして視界が反転する。
尚弥が軽々と仄香の体のバランスを崩させ、床に倒してしまったのだ。
それは本当に一瞬のことで、何が起こったのかも分からなかった。
数秒呆然と床に倒れていた仄香は、ハッとして起き上がる。
「今のどうやったの?」
「あ?」
「大して力使ってないよね? どうやって私のこと倒したの?」
尚弥はポケットに手を突っ込んだまま、少し鬱陶しそうな顔をして言った。
「自分は重心を保って相手の重心を外す。合気道の基本だろ」
仄香も受験前、武道は試験で有利になるために一通りかじったことがある。しかし、黒帯を取れる程ではない。
どの武道にも言えることだが、かじった程度では護身術として役立てるのは難しい。それを尚弥はそれなりに習得しているようだった。悔しいが、何でもできる男だ。
「……やっぱり凄いね。尚弥は」
思わず素直に褒めてしまう。
「つーか、そもそも何でお前は俺に殴りかかってきてんだよ。俺に勝てると思ってんのか」
「……昨日襲われて、手も足も出なかった時に思ったんだ。私、喧嘩も全然強くないなって。武塔峰の生徒として授業でも習ってるし、体術にはちょっとだけ自信があったからショックで……。だから、優秀な尚弥だったら急に襲われても対処できるのかなって気になって」
咲は反省する必要はないと言ってくれたが、危険な異能力者を相手にする警察に将来なりたいと思ってるからこそ、緊急事態にもっと適切に対処できるようになりたい。
尚弥を襲ってみて確信した。今の自分はまだまだ弱いと。
自分語りをし過ぎたように感じて気まずくなり、小さな声で謝罪する。
「ご、ごめん。こんな話尚弥には関係ないのに」
「細ぇ」
「え?」
急に尚弥が仄香の二の腕を掴んできた。
「そもそも筋肉量が足りてねェ。こんなんじゃ誰に襲われたって勝てねぇよ。相手の力を利用する技もあるとはいえ、それ以前の問題だ」
「……やっぱり尚弥もそう思う? 体を鍛えようって話、ちょうどさっきも咲としてたんだよね」
「寮のジムでも行っとけ」
「あ、ううん、ジムじゃなくて個人で練習しようかなって思ってるんだ。ほら、高いし……」
「はあ?」
そこでようやく腕を離される。
「高いっつったって一万もしねぇぞ。射撃場もあるし、将来的に本気で第一課への推薦目指すなら必要な投資だろ。お前、まだ家族に対して遠慮してんのかよ」
「……尚弥はお金に困ったことないから一万円を軽く扱えるんだよ」
仄香の家は昔貧乏だった。元々一人だけ産むつもりが、もう一人付いてきたのだから計画になかったのだろう。父の仕事が安定するまでは食べるものもあまりないような状態だった。
それなのに仄香が武塔峰に進学したいなんてことを言うから、両親は生活を切り詰めて習い事をさせてくれた。入学前から、もう十分過ぎる程に与えられている。これ以上要求はできない。
「お前の家だって、前は困ってたかもしんねぇけど今は違うだろ」
幼馴染みであるが故に尚弥は仄香の家の事情をよく把握している。
仄香の家が最近まで貧乏だったことも――研究者として優秀な茜のおかげで、今それが十分過ぎる程に潤っていることも。
「……っそれは、茜が稼いだお金じゃん……」
茜は家にお金を入れている。物欲のない彼女は特に使わないからという理由で家族に研究で稼いだ分を渡しているのだ。
仄香はそこに引け目を感じていた。茜と違って自分は何もしていないのに、親に甘えられるわけがない。
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