受け売り
俯く仄香の頭上で尚弥が舌打ちをする。
「黙れ。うぜぇ。そういうところが嫌いなんだよ。他人に迷惑かけるとか、そういうこと気にしてる場合かよ。ほしいもんがあるなら何を犠牲にしてでも奪いに行けや。その過程で誰を利用しようが、その選択が正解だったとそいつに後で分からせればいいだけだろうが」
尚弥らしい考え方だ。
憧れると同時に、一歩間違えれば傲慢だと思ってしまう。
「……それは尚弥だからできることだよ。私は尚弥みたいには生きられない」
「――これ、昔のお前からの受け売りなんだけど」
「……え?」
「お前は忘れてるかもしんねぇけどな、ちっちぇー時のお前はこれくらい傲慢だったんだよ」
言われてみれば、当時の仄香はもっと自信に満ち溢れていた。
今振り返ればどうしてあんな風に生きられていたのだろうと不思議に思える程だ。
――それがどうして今、こんなに気弱になってしまったのか。
思い当たる節なら複数ある。尚弥にいじめられたこと、クラスメイトに紫色の瞳を馬鹿にされたこと、双子の妹である茜が若くして国際的に有名な研究者になったこと、彼女と散々比べられたこと――。成長過程でそんなことが重なり、いつの間にか、〝自分なんか〟と思うようになってしまっていた。
「ジム、お前の分まで俺が登録しとく。金も俺が払う。後で返せ」
「ま、待ってよ。そんな勝手に……!」
「っあー、うぜぇ。ウジウジウジウジ、いい加減にしろよ。見ててイライラすんだよクソが」
さっさと行ってしまう尚弥を追いかけて断ろうとすると睨み返された。
「今日の夜七時。飯食ったらすぐジム来い。しばき倒してやる」
(ト……トレーニングに付き合ってくれるって意味かな……?)
本当にボコボコにされるわけじゃないよね? と一抹の不安を覚えているうちに、研究棟に着いた。
尚弥は相変わらずノックもせずに研究室に入っていく。
ドアが開く音を聞いて振り返った茜は、仄香の顔面を見た途端珍しく叫んだ。
「わーッ!! え……えっ!? おねえちゃん、どうしたの……」
そうだ、今日は怪我をしているのだった。
仄香は尚弥にした説明と同じ説明を茜にも行った。茜からすれば、そもそもどうして学校の敷地外へ出たのかという疑問は残るだろうが、盗聴されているということを気遣ったのか詳しくは聞かれなかった。
「見た目程痛くないし、咲から市販の湿布と痛み止めももらったし、大丈夫だよ」
心配をかけないように言うと、――茜の表情がほんの一瞬、消えた。
「…………一迅咲とまだ一緒にいるの?」
「うん。ルームメイトだし、仲良くしてもらってるよ。……どうかした?」
茜の様子が少し変わったので、何か思うところがあったのだろうかと次の言葉を待つが、茜はすぐに柔らかい笑顔を浮かべた。
いつもの茜である。一瞬表情が変わったようだったのは気の所為だったらしい。
「そっかぁ……。いいことだね。じゃあ、そろそろ昼休みも終わる頃だし、昨日の続き始めよっか……。尚弥も、昨日みたいに逃げちゃダメだよ……?」
そういえば、尚弥は昨日途中退室したまま帰ってこなかったのだった。
茜が「うんしょ」と棚を開けてクッキーの箱を取り出してくる。テーブルの上には既に珈琲が三つあった。淹れたてなのか湯気が出ている。
この研究授業に関して、茜は少し浮かれているようにも見える。尚弥と仄香と自分の三人でまた一緒に集まれることが余程嬉しいのだろう。
仄香は昨日見つけた、〝防御の異能に対抗する化学〟という論文を持ち出す。
「防御能力は以前から無敵の異能として知られてたみたいなんだけど」
「無敵の異能……。かっこいい……」
茜がクッキーを摘みながら、ワクワクした様子で論文を覗き込んでくる。
「先月、高濃度の酸素下では防御が無効化されるっていう研究結果が出たらしくて」
「えーっ。それは面白いね……先生たちに最新の研究まで追ったってアピールできるし、無効化については絶対書こう……?」
茜に面白いと言われて鼻高々になっていると、横から尚弥が無言で書類をテーブルに置いた。ホッチキスで纏められたそれは海外の論文のようで、何箇所かに黄色いマーカーで線が引かれている。
仄香には読めない言語だが茜には読めるらしく、茜は「凄い、重要箇所に全部マーカー引いてくれたの……? これなら引用しやすいよ」と頷いた。
尚弥が論文の一部を指さしながら説明を付け足す。
「これはこのまま使える。で、こっちは最近否定されてて……」
「うん、うん、その通りだと思う。あ……でも、この研究に関しては一部まだ断定するには不十分なんじゃないかって言われてて……」
尚弥と茜が話し込んでいる内容に入っていけない。
(茜はともかく、何で尚弥までドイツ語や中国語が読めるんだろう……。凄いなあ)
仄香が読めるのは精々英語くらいだ。小学校では第二外国語を選択していなかった。
尚弥は昨日サボった分寮で色々纏めてくれていたらしく、論文作りは順調に進んでいく。指定された文字数は多いがこの調子なら二月までには終わるだろう。
優秀な二人に取り残されたまま、仄香はズズッと珈琲を啜った。
◆
放課後、顔の腫れが引いてきた。
異犯本部の治癒班の一人に全身の怪我の治りを通常より早める異能力者がいた。彼女にも治療を受けたおかげだろう。
「まだ少し痛いけど、朝より大分マシかも……よかったぁ……」
寮の部屋の鏡を見て顔を確認する。口も開きやすくなったので、コンビニで買った大きなおにぎりを食べた。
咲はまだ戻ってきていない。今日の夜は尚弥とジムへ行くと連絡してあるので、帰りを待つ必要はないだろう。制服から動きやすい服装に着替えて部屋を出た。
(それにしても、まさか尚弥がジム代払ってくれるなんて。今更私が第一課目指すのを応援してくれるつもりになったとか?)
あれほどお前は無能だの第一課に入れると思ってんのかだのと仄香を罵ってきた尚弥にしては意外な言動だった。
(いや、そんなわけないか。余程私の態度にイライラしたんだな)
あの尚弥がこちらの目指す道を応援するわけがない。そう結論付けてジムへ向かうエレベーターに乗り込んだ。
問題はまだ残っている。尚弥にお金を返さなければならない。武塔峰はアルバイト禁止だ。最悪親に連絡するという手もあるが、やはりそれだけはしたくない。
来月には志波とのデートもある。そのためのお金もどこかで稼がなければ――となってくると、隠れてバイトをするという方法しか思い浮かばない。
「こっそりバイトするとして、バレたら内申点に影響するよね……」
リスクが高いなぁ、などとブツブツ独り言を言っていると、ポケットの中の端末が震えた。画面を開けば宵宮からのメッセージが入っている。
『バイトするの?』
「げっ」
思わず嫌そうな声を出してしまった。ゲフンゲフンと咳で誤魔化し、返信を打つ。
『お金が足りないのでやろうかなと思ってます』
『僕が貸してあげよっか』
宵宮に金を借りるのは闇金に借りるよりも怖い。『いいです。自分で何とかします』と返しているうちに、寮の最上階、トレーニングジムに到着した。
ここは一般のトレーニングジムとは違い、異能を鍛えるトレーニングマシーンや射撃場もある。咲曰く平日は人が少ないらしいが、土日は肉体を鍛えに来る生徒でいっぱいだとか。
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