事件後
「君は俺を、神か何かだと思っているのか?」
志波が呆れて聞けば、仄香はふにゃりと笑って肯定する。
「はい。志波先輩は神様です」
この女は異常だ。何故酷い目に遭わせて助けず放置した男に、このように愛しそうな表情を向けられるのか。
自分を殺しにかかってきたあの紫の目の威圧感が何度も脳内再生される。東京MIRAIタワーで感じた高揚と似た感覚だ。
――これが、恐怖か。
「……志波先輩」
床に座り込んだままの仄香が驚いたように呟く。
その視線は志波の方ではなく、志波の下半身に向けられていた。
「……勃ってる……」
あろうことか、仄香は志波のそれが硬くなっていることについて言及してきた。
「……普通そういうのは、指摘しづらいものなんじゃないのか?」
「す、す、すみません、男性は疲れてる時に勃起することがあるっていうのは聞いたことあるんですけど、実際見たことなくてびっくりして! ほんとすみません! 殴られすぎて頭ふわふわしてて判断力が……!」
言い訳しながら志波のそこから目を逸らした仄香の顔が赤くなっている。
一瞬、志波の頭に良からぬ考えが過ぎった。散々殴られて顔も腫れ、あちこちから血を流している目の前の女を今ここで組み敷いて抱けば、どんなに楽しいだろうと。
(……なんてな)
この状態の仄香に無理にそんなことをすれば本当に死んでしまう可能性がある。
志波は足の骨が折れてしまったらしい仄香を抱え上げた。
倉庫付近に停まっていた麻薬組織の構成員の車を拝借することにし、後部座席に仄香を運ぶ。
怪我があまりにも酷い。本部の治癒班に仄香を巻き込まれた被害者として引き渡せば治してくれるだろう。
「仄香、何か俺にしてほしいことはないか?」
「え?」
「ご褒美だ。何でも一つ言うことを聞いてやる」
酷くした後優しくすれば、女は頭が混乱して相手に依存する。そのことをよく知っていて、志波は仄香に優しい声で提案した。
予想外の発言だったらしく、仄香は目をパチパチさせた。少し考えるような間があった後、小さな声で要求される。
「ら……来月、クリスマスじゃないですか」
「? ……ああ」
「デートしてほしいです……何かご予定、ありますか?」
不安そうに聞いてくる仄香に少し意地悪がしたくなった。元々ある予定に関してないと嘘を吐くのは簡単だが、動揺させたくてわざと本当のことを言う。
「恋人との予定があるな」
「こッ……!?」
〝――志波先輩、恋人いたの!?〟という驚きが顔に出ている。考えていることが分かりやすい。
仄香がショックを受けた様子で泣きそうな顔をするので、気分が良くなった。
「そっちを断る」
「……駄目ですよ。恋人がいるうちは、他の人とデートしちゃ駄目です」
「君がそう思うなら別れてくる」
あっさりそう言って運転席に乗り込めば、バックミラー越しに見える後ろの仄香が間抜けな顔で感想を述べた。
「……志波先輩って本当、人の心がないんですね……そんな、いらなくなった紙を捨てるみたいなノリで恋人捨てるなんて……」
そうだろうか。恋人と言っても、向こうが言い寄ってきて利用価値があるから付き合っただけの存在だ。男としての欲の発散に都合がいい餌が自ら近付いてきたから利用しているだけのこと。代わりなんていくらでもいる。
それよりも――今ここにいる紫雨華仄香という生き物への興味の方が、今は優先されるべき事柄だった。
◆
「仄香、顔、どうしたわけッ!?」
――翌日の昼。
昨日、帰るのが結局夜になってしまったので咲は先に寝ていた。昼休み、昨日ぶりに再会し初めて仄香の顔を見たせいか、廊下で悲鳴にも似た声を漏らす。
「めちゃくちゃ腫れてるじゃない!」
仄香の顔面は今酷い有り様で、クラスの元いじめっ子の女子生徒たちからは「あいつ、他校の不良と喧嘩したんじゃない……?」と噂されているのが聞こえた。卵を投げ返した時のイメージが先行しているのか、いつの間にか喧嘩っ早い危険人物として認識されている。先に投げつけてきたのはあちら側だというのに。
「昨日ちょっと、事件に巻き込まれて……」
「だから帰りが遅かったわけ!? あんた、ほんと、ッもぉおおおお~!」
咲が言葉にならない様子で頭を抱える。
あの後、志波に本部に送ってもらい、異犯にいる治癒班の治療を受けた。さすがあの異犯の治癒班と言うべきか、治癒の異能で折れた骨は元通りになった。ただ、治癒班が受け持つのはあくまでも命や身動きに関わる怪我のみで、顔の腫れなどは専門外と言われ、そのまま帰されてしまった。おかげで周囲からやや騒がれている。
「顔痛そうだし、あんまり口を大きく開かないで食べれるものの方がいいわよね……ゼリーとか買ってくるわ」
「いや、歩くのは全然問題ないから自分で買いに行くよ」
まさかこんなに心配されるとは思わず、申し訳なく思いながら咲と一緒に購買へ向かう。
(昨日は凄い目に遭ったな……。第一課が相手してる犯罪者って、あんな人たちばっかりなのかな。何回も殺されかけたし、生きてるだけで奇跡だよ)
窓の外のすっかり葉を落とした木々を眺めながら、昨日のことをぼんやり思い出す。
(でも、目の前で犬を殺されるよりは怖くなかった)
長年いじめられてきたおかげで暴力には慣れている。さすがにあんなにハードな暴行を受けるのは初めてだったが、途中から感覚が麻痺してきて痛くも何ともなかった。それよりも。
(志波先輩とデートッ……!)
口角を上げると頬の傷が痛むというのに、ニヤニヤを堪えられない。
思い切って出過ぎた要求をして正解だった。まさか了承してもらえるとは思わなかった。
本来の目的は、未来を変える手がかりを掴むため、志波を深く知ること。それは忘れていないのだが、どうしても気持ちが昂る。
「……仄香、ほんとに大丈夫? 一人でニヤニヤして……頭でも打ったんじゃ……」
浮かれる仄香を咲がじろじろ見てくる。
「あ、いや、ごめん。大丈夫。っふふふふ……むふっ」
「こ、怖……。ほんとにどうしたわけ? 一体どんな事件に巻き込まれたのよ」
購買でプリン二個とスプーンをもらいながら、咲の質問に濁して答える。
「ちょっと、麻薬組織の取引現場をたまたま目撃しちゃって」
「はぁ……? 警察行ったんでしょうね?」
「う、うん。警察行って話聞いてもらったから、帰るの遅くなったんだ」
警察に行ったというのは嘘ではない。
「でも、私情けないよ。悪い奴ら相手に手も足も出なかったもん。咲ならきっと一瞬で制圧できたんだろうなと思う」
「……あのねえ」
咲が呆れたように言う。
「人には得手不得手ってもんも異能の相性もあるの! あたしにできなくて仄香にできることだってある。それに、突然襲われた被害者なのに、こっちが反省するのもおかしいでしょ。情けないとか思わなくていいのよ」
「……うん」
仄香のために怒ってくれている咲を見て、こういうところが好きだなと思った。
食堂の隅に座って咲と一緒にご飯を食べる。スプーンで掬って食べたプリンは甘かった。
ふと、しばらくできなかった未来視が本当に復活しているかを試すため、意識して異能を発動してみる。ザザッと視界にノイズが走り、仄香の前を生徒が通り過ぎていった。数秒後、さっき視た生徒と同じ生徒が前を通り過ぎていく。
(数秒先の未来なら、意識して視られるようになってきたな……)
視力も人並みになってきて、最近は分厚いメガネをかけずとも黒板が見える。【未来視】自体は成長している。
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