狙撃



 信号が青になると同時に、志波の車が急発進した。

 仄香は状況を飲み込めないまま硬直する。

 ハンドルを握る手の反対側の手で車の内側に刺さった弾を引き抜いた志波は、「.30-06弾……ライフルだな」と他人事のように呟いた。


「――もしかして今狙撃されました!?」


 遅れて理解した仄香の血の気が引く。志波に無理やり姿勢を変えさせられていなければ被弾していた。


「ああ。おそらく相手は今回のターゲットで、狙われたのは俺だ」

「まだ現場に着いてないのに何で……」

「向こうは早くから異犯が動くことを警戒していたんだろう。俺の車の情報が漏れている。また買い替える必要があるな」


 志波はハンドルを回してビルが立ち並ぶ細い道路に移動した。遠くからの狙撃であれば視界を遮る方法が有効だ。あの一瞬で銃弾が飛んできた方向と角度から避けるべき道を把握したのだろう。


「ところで、任務の概要を説明するのを忘れていたが、今回の相手は異能力者が複数人所属する麻薬組織だ。異能で審査の目を掻い潜り、違法薬物の輸入経路を確保しているらしい」

「そ、そんな悠長に説明してる場合ですか!?」

「どうせあいつらの目的は俺が本拠地に着くまでの時間稼ぎだ。近付きさえしなければ狙撃はしてこない」


 志波がそう予測していたその時、仄香の視界にザザッとノイズが走った。


 異犯本部の寮に行ったあの晩の夢以降、仄香は未来視を発動できなくなっていた。最初は不調なだけかと思っていたが、全く夢を見なくなったのが不思議で調べてみると、それらしい論文を見つけた。

 未来視は能力者本人の心理状態によって発動できなくなる場合がある――多くはトラウマ、変えられない未来への絶望など、本人の〝もう未来を視たくない〟という気持ちに起因している。

 おそらく仄香自身が、無意識に未来を視るのが嫌だと感じてしまっていたのだ。

 それが今、必要に迫られて久しぶりに発動した。


「……志波先輩! 動いていいですか!」

「ああ。もういい」


 許可を得た仄香は、座席から起き上がりながら言う。


「敵の車、こっちに近付いてきてます」


 ――車の後ろから何度も車の窓を打たれる未来が視えた。

 打ってきた相手が乗っているのは白の軽自動車だ。


「向こうが狙撃してくる未来が視えました!」


 仄香は制服のブレザーを脱いで足元に放り、ネクタイを外した。この場所には人目があり、武塔峰の生徒だとバレるわけにはいかないからだ。

 先程志波に渡されたピストルのスライドを引いて発射可能な状態にする。


「予想が外れたな」

「迎撃の許可をください」

「元々そのつもりで連れてきた。上から発砲許可なら出ている。気にせず打て」


 それは志波への発砲許可であって、まだただの一般人である仄香の民間道路での発砲は当然違法だが――そうも言っていられない。

 未来視で見た白い軽自動車が、もう後ろに見えている。


「サンルーフ開けてください!」


 志波が走行しながら片手でボタンを押すと、車の屋根が開いた。

 仄香は屋根から顔を出し、後ろを走行する白の軽自動車のタイヤに一発打ち込む。二発目はもう一方のタイヤ、そして三発目は運転席に向かって打った。

 白の軽自動車は走行不能となり追ってこなくなったが、代わりに別方向から銃弾が飛んでくる未来が視えた。

 仄香は慌てて頭を車内に引っ込める。


「……遠方から狙ってきてる人がいますね。さっき打ってきた方向と違う。向こうにはこっちの位置情報を遠隔で把握できる能力者がいると思います。【千里眼】かな……」

「俺を本拠地に辿り着かせない気だな」


 志波がアクセルを踏んでスピードを上げ、別の道へと侵入する。

 仄香は心配になって提案した。


「向こうの数、多そうですよ。応援を呼ぶべきじゃないでしょうか」

「全体の数なら既に把握している。その上で俺一人で向かうよう指示が出た」


 人気のない路地に車を停めた志波は、「出るぞ」と短く指示してきた。車を捨てる気らしい。仄香も端末と財布だけ持って車から出た。


「本来の経路からは外れたが、徒歩十五分程で奴らの本拠地だ。走れるか?」

「……私、本当に同行しないと駄目ですか……?」

「急に消極的だな。さっきは敵を何発も打っていただろ」

「いや、さっきは向こうが打ってくるまで時間がなくて、そうせざるを得なかったから……」


 ゴニョゴニョと違法な発砲の言い訳をする仄香の背後、ぐしゃっと何かが飛び散るような音がした。


「……え?」


 振り返ると、何者かが地面に倒れている。死んではいないようだが、血を流して気を失っている。

 いつの間にか仄香の背後から敵が迫っていたのだ。それを志波はノームーブで倒した。志波の視線はずっと仄香に向けられていた。改めてとんでもない異能力者であることを実感してゾッとする。


「君の推察通り、こいつらは俺達の位置を把握しているようだ。走るぞ」


 志波が仄香の手首を掴んで走り出す。

 こんな時だというのに、志波に触れられていることにドキッとした。


 無断で異犯の捜査に同行するのも授業外での銃の所持も違法であるため気が引けるが、敵に狙われている真っ最中に志波と別れたら生きて帰れる気がしない。

 仄香は志波に手を引かれるまま、目的地まで走った。



 ◆


 郊外の寂れた大きな倉庫。本当にこんな場所なのかと疑いたくなるような暗いところだ。夕方を過ぎ、辺りがどんどん暗くなっていることもあり、少し不気味に感じる。

 ブレザーを脱いできてしまったせいで肌寒いが、それよりもまだ見ぬ麻薬組織の本拠地への恐ろしさが勝つ。


「うわっ!?」


 物陰から倉庫の様子を窺っていた仄香の背中を志波が押した。


「先に行け」

「……私がですか……? ええ……? 本当に?」

「俺は後ろからサポートする」


 志波が積極的に仄香を危険な目に遭わせようとしてくる。

 拳銃を持つ手が震えた。


(……ポジティブに考えよう。高校生のうちに実際の現場で戦闘訓練させてもらえる機会なんて滅多にない。この経験を通して武塔峰の生徒として学びは多いだろうし……後ろであの志波先輩がサポートしてくれるわけだし)


 何とか自分を安心させ、ゆっくりと倉庫の入口へと近付く。薄く開いた扉の間から中の様子を観察した。


(誰もいない……?)


 倉庫の中は静まり返っている。

 ゆっくりと扉を開けて中に入った。仄香の足音だけが響く。倉庫の中はもぬけの殻だ。やはり、志波の到着を前に逃げ去ったということだろうか。


「っはぁ~~~……」


 緊張していた分、大きな溜め息が漏れる。何だか拍子抜けだ。

 外で待つ志波にこのことを伝えなければと振り返った時、視界が悪くなっていることに気付く。いつの間にか、周囲に白い煙が充満していた。


 次の瞬間、全方向から人の声が聞こえた。一人ではない。もっと多くの人間の囁き声だ。


(沢山いる。倉庫の中に。さっきまであんなに静かだったのにどうして――)


 はたと思い付く。――音を操る能力者だ。特定の人物に聞こえる音を無音にしたり、爆音を流して人の鼓膜を破ったりすることができると聞いたことがある。武塔峰のクラスメイトにも確かそのような能力者がいた。


 早く外に出なければと走り出したその時――腹部を思いっきり蹴られた。仄香は後方に勢いよく倒れ込む。


「うッげほっ……ぅえっ」


 吐きそうになるのを何とか堪えた。

 見上げると、目の前に縦にも横にも大きいスキンヘッドの大男がいる。


 驚いているうちにも大男が次の一手を仕掛けてくるので咄嗟に床に手を付いて避けた。

 仄香も体術はある程度心得ているが、これ程の体格差では歯が立たない。逃げるしかない……が、逃がしてくれる気配はない。


 拳銃を構えて大男を撃ち抜こうとした――刹那、手首を撃ち抜かれる。上から飛んできた銃弾だ。この倉庫には二階があるのだ。煙のせいで見えないが、この煙もおそらくこの麻薬組織の一員の能力だろう。こちらからは見えないが、向こうからは見えている。その証拠に本物の煙特有の焦げた匂いがしない。

 拳銃を撃ち抜かれた利き手から左手に持ち替えて走った。大男が追ってくる。


 大男は足も速いらしくすぐに仄香の髪の毛を掴み、後ろに引っ張った。そして、後ろに倒れた仄香の顔を容赦なく殴り付ける。舌を噛みそうになったことにゾッとして歯を食いしばった次の瞬間、また毛むくじゃらの拳が飛んできた。歯が一本飛んだ。犯罪組織の構成員というのは女にも容赦しないらしい。考えてみれば当然だ。

 落とした拳銃に手を伸ばそうとすればその手首を踏み付けられる。それはさっき撃ち抜かれた箇所で、仄香は「あァぁああッ……!!」と言葉にならない悲鳴を上げた。手首に激痛が走ると同時にまた顔を殴られる。床に垂れる血が、もうどこから流れているのか分からない。


 恐怖で息が荒くなってきた時、ゆっくりと視界が晴れていく。煙の異能は持続時間が短いのだろう。

 大男の後ろ、入口付近に志波が立っているのが見えた。


「志波せんぱっ……たすけ……」


 仄香は縋るような思いで声を絞り出す。

 しかし、必死に伸ばした手は届かない。

 そこで仄香はまたゾッとさせられた。


 ――見ている。感情のない目で仄香を見下ろしている。志波が、いつも通りの表情で、至って冷静に、ボロボロの仄香を観察している。



 ――『君が死にかけた時に感じたあの高揚をもう一度味わいたい。だから、君を命の危険に晒してみることにした』



 志波にとってはただの実験。仄香がどれだけ血を流そうと、骨を折られようと、吐こうと、泣き喚こうとどうでもいいのだ。

 興味を満たしたいというただそれだけでここに連れてきたのだから。



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