脳のバグ


 ◆



 研究授業を終えた後の、放課後。志波の車を待ちながら、駐車場の椅子に座って鞄を抱えて考え込んだ。


(今思い返すと、やっぱり尚弥には結構なことしちゃってた気がする……)


 奴隷ごっこでは尚弥も色々してきたが、奴隷ごっこを始めたのは仄香だ。黒歴史だと思ってできる限り思い出さないようにしていたが、まさか尚弥の方があの件を気にしているとは。

 しかしそんなことを今更どう謝ればいいのかも分からない。仄香だってあのことを掘り返すのは恥ずかしいし、それは尚弥も同じな気がしている。


「ああ、もう……。折角この後志波先輩と会えるのに、何で尚弥のことばっか考えてるんだろう……」


 仄香は一人でぶつくさ文句を言った。

 一旦尚弥のことは忘れて志波のことを考えようと決める。その時、ふと今日尚弥に言われたことを思い出した。


 ――『お前みたいなブスが振り向いてもらえると思ってんのかよ』


 あの時尚弥に言った、恋仲になれるとは思っていないというのは本当だ。そんな烏滸がましいことは考えていない。しかし、妄想くらいなら少ししたことがある。


(……志波先輩と恋仲、か)


 仄香は誰かと付き合ったことはない。けれど、少女漫画を読んでそれがどういうことかは知っている。


(志波先輩と付き合える人は毎日ドキドキだろうな。あんなに格好いい人が毎日隣にいたら、そりゃあもう目の保養だろうし……)


 仄香は試しに、志波と一緒に遊園地に行く妄想をした。志波は日々忙しく予定を合わせるのも一苦労だろう。それでも恋人である仄香のために時間を空けてくれる。遊園地を回る順番もスマートで、待ち時間も他愛のない話をして笑い合う。


(それで、デートの途中で事件が起きて、あの日みたいに助けてくれたりして……)


 色々考え尽くしていると、目の前に大きな車が止まった。職場見学の時に乗った車ではないが宵宮の車でもない。おそらく志波のプライベート用の車だろう。

 車から顔を出した志波が、仄香を見て不可解そうに眉を寄せる。


「顔が赤い。どうした?」

「……妄想をしていました……」

「妄想?」

「志波先輩の妄想……」


 嘘を吐いても見透かされる気がして小さな声で白状する。すると、志波はふっと破顔した。


「君は本当に不思議な生き物だな」


 最早人間として扱われていない気がする。



 仄香が志波の車の助手席に乗り込むと、車は発進した。

 まさかまた志波の運転する車に乗ることができるとは思っていなかった。ときめきそうになる心を何とか抑える。

 ――未来を変えるために、まずは志波たちのことを知る。それが本来の目的だ。浮かれすぎてはいけない。


「あの、お迎え本当にありがとうございます。お忙しいのに、折角の休日の一部を私なんかに使ってくださって……」


 第一課のエースである志波はあちこちから引っ張りだこなはずだ。休日もほぼないと推測される。そんな忙しい合間を縫って仄香を迎えに来てくれたところも、仄香が浮かれてしまうポイントだった。

 しかし、志波は怪訝そうに聞いてくる。


「何を言ってる?」

「え?」

「俺は今職務の最中だ」

「……はい?」


 信号が赤になった時、突然、拳銃を膝の上に置かれた。


「これから任務地へ向かう」

「……え?」

「君が死にかけた時に感じたあの高揚をもう一度味わいたい。だから、君を命の危険に晒してみることにした」


 唖然。

 呼び出して自分を殺すつもりではないだろうかなど、嫌な想像は色々していた。〝志波に直接手を下される〟という予想していた最悪の未来ではないものの、どうやらマウス実験のようなノリで命の危機には晒されるらしい。

 試しに拳銃を持ち上げてみる。重さからして本物だ。銃弾も入っている。


「ひ、ひぃ……」

「どうした? 武塔峰の生徒なら、拳銃くらい日常的に扱っているだろう」

「授業以外では使ったことないですよ……私がこれをプライベートで使うの、絶対違法ですよ……?」

「発覚したらその時は大人しく退学してくれ。道を外した君を俺が一生飼ってやる」

「だ、駄目です、絶対駄目っっ」


 ブンブン首を横に振って拒否する。


「武塔峰から追い出されたら、私、異犯になれないじゃないですか……。志波先輩の隣に立てません。かっこいい警察になって、志波先輩みたいに市民を守るのが私の夢なんです」


 運転する志波が興味深そうに横目で仄香を見た。


「正義に拘る理由は何だ?」


 そして、仄香の価値観が揺らぐような質問をしてくる。


「知ってるだろ。俺は千遥と組んで異犯を裏切っている。俺と一緒にいたいなら、俺たちに付いてくればいい」

「……警察側じゃなくて、テロリスト側に付けってことですか?」

「君の異能は鍛えれば役に立つし、千遥も気に入っている。君の未来視がある限り、少なくともこちら側から君を跳ね除けることはない。むしろ歓迎されるだろう」

「…………」


 不思議とその提案には全く心が惹かれない。悪者になる自分をイメージできない。それはおそらく、仄香はただ志波と一緒にいたいだけではないからだろう。

 志波だけが仄香の大切な人ではない。異能で見た未来の中で、咲が泣いていたのが思い出される。


「……友達が泣くから……友達だけじゃなくて、犯罪の被害に遭った人は、きっと泣くだろうから。悲しくて泣くんじゃなくて、嬉しくて泣いてもらえる方がいいじゃないですか。それが正義と悪の違いだと思うんです」


 赤信号で停車した志波が理解できないという風な面持ちで聞いてくる。


「どのような感情に由来していようと、同じ〝泣く〟という行為だろう。その違いによって君の中に生まれる感情に差異が生じるということか?」

「……志波先輩は、目の前の人が悲しくて泣いてても嬉しくて泣いてても、抱く感情は同じってことですか?」

「いや――例えそのような状況に居合わせても、何の感情も生じない。逆に何故それで感情が生まれる? 目の前にいる人間と自分は別々の個体だろう。他人がどんな状態であろうと俺には関係がない」

「…………」


 ――共感性が欠如している。そう感じた。


「喜びも悲しみも恐れも愛情も、俺は感じたことがない。感情の正体は合理的判断の妨げとなる脳細胞の電気信号だ。その感情に左右されて任務を失敗する同僚を何人も見てきた。俺からすれば、感情というものが知的生命体として生きていく上での人間の欠陥に見える。――現に君も」


 志波は片側の口角を上げ、仄香の愚かさを指摘する。


「俺への恋愛感情という脳のバグに従って危険人物だと理解しているはずの俺の車に乗っている。その選択ミスは命を危険に晒すものだ」


 志波にとっては、仄香の志波への想いも理解できない脳の異常なのだ。


「……選択ミスじゃありません」


 仄香は膝の上で拳を握って言い返した。


「私は異能力犯罪対策警察第一課の・・・・・・・・・・・・・志波高秋に惚れたんです。その志波先輩が犯罪に手を染めるということは、私の好きな人が死ぬってことです。それを防ぐためなら危険に晒されたっていい。その覚悟で今日志波先輩の誘いに乗りました」


 怖かったけど、だからといって何もしなければ未来視で見た未来への道まっしぐらだから――と続けようとした時、志波の視線がわずかに動いた。


「――仄香」


 志波が助手席を勢いよく仄香ごと後ろに倒す。


「そのまま動くな」


 え? と疑問に思った次の瞬間、仄香側の車の窓が割れ、仄香の目の前を銃弾が突っ切っていった。



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