研究室配属



 午前の座学が終わり、咲と食堂のお茶漬けを食べた後、早めに研究科の棟に向かった。

 ノックをしてから入ると、茜は論文に映し出された画面に向かっていた。珍しくメガネをかけている。そのメガネ姿を見て、仄香は少し懐かしくなった。


「お疲れ様」

「おねえちゃんも、午前の授業お疲れ様……。……何でちょっと笑ってるの?」

「いや、子供の頃、入れ替わりごっこよくやってたなって」

「ああ……あれ、楽しかったね」


 茜も昔のことを思い出したのか微笑む。

 〝入れ替わりごっこ〟というのは、以前茜とやっていた、互いの姿に変装する遊びだ。茜と仄香は双子とはいえ二卵性で、顔立ちは似ているが髪色や目の色が全く異なる。両親も二人のことを髪の色やメガネなどの特徴で見分けているようだったので、一度互いになりすまして驚かせようという話になり、お小遣いを貯めて伊達メガネやウィッグ、コンタクトを買った。意外とバレなかったことで楽しくなった仄香たちは、それ以降よく互いになりすまして遊ぶようになった。

 茜のメガネ姿を見ると、茜が仄香に変装していた頃のことを思い出す。成長するにつれて身長差や顔のパーツの違いも目立ってきた。今ではもうできない遊びだ。


「茜ちゃんはどうせ研究に集中してお昼ご飯食べてないんじゃないかと思って、パン買ってきたよ。よかったら食べて」


 茜の好きなカレーパンの入った袋をテーブルに置くと、茜は即座に作業していた手を止め、研究用の机から離れてパンの方に近付いてきた。


「むふふ……おねえちゃんからのプレゼント……」


 カレーパンごときでこんなに嬉しそうな顔をする茜はなかなかのシスコンだと思う。


 茜はカレーパンを頬張り、おいしいおいしいと言いながら食べた。

 仄香はパンと一緒に買ってきた温かいミルクティーを取り出してストローをさす。


「最近寒くなってきたねえ」


 両手を擦り合わせ、窓の外を見ながら言った。紅葉の時期が終わり、木々の葉が地面に敷き詰められている。冬が近付いている証拠だ。


「暖房入れる……?」

「いや、そこまでではないかも」

「ふふ、おねえちゃん、毎年寒さと戦ってるよね」

「何月まで暖房入れずにいられるかが勝負だから……」

「昔尚弥と暖房入れるか入れないかで喧嘩してなかったっけ?」


 そんなこともあったような気がする。仄香が内気なのは昔も今も変わらないが、昔の方が尚弥に言い返すことができていた。紫色の目で周囲からいじめられ、尚弥にもいじめられるようになってからは自信喪失してどんどん弱気になっていき、今となっては尚弥に対してビクビクしてばかりだ。


「尚弥から申請が来た時、またおねえちゃんと尚弥と、昔みたいに三人で仲良くできるかもって思って嬉しかったんだよね……」


 仄香が尚弥にいじめられていることを知らない茜はふにゃりと笑う。天使のように可愛い。尚弥が好きになるのも分かる可憐さだ。


「わたし、何故か尚弥に避けられるようになっちゃったから……」


 恋愛面に関して鈍感な茜は避けられている理由をよく分かっていない様子だ。

 好きな子に気持ちがバレたと思って恥ずかしくて避けてたんだよ、とは言えず、黙ってミルクティーを飲む。

 尚弥も、変な意地を張っていないでそろそろちゃんと茜と話さないと永遠に進展しないままだと今更危機感を抱いたのかもしれない。


(できるだけ二人になれる時間を作ってあげないとな……)


 頭が良くて研究界の逸材である茜と、武塔峰の異能力科でトップクラスの成績を誇る将来有望な尚弥。二人がくっついたらとんでもないビッグカップルになるだろう。

 茜とうまくいけば、尚弥が仄香にイライラをぶつけることもなくなるかもしれない――そんなことを考えていると、ガラッと研究室のドアが開いた。

 尚弥だ。相変わらずノックをしない。


 尚弥は気怠そうに中に入ってきて、「寒くね? 暖房入れろよ」と言った。

 さっき尚弥と暖房の話で喧嘩をしたという話をしたばかりだったため、茜がぷっと噴き出す。茜が笑ったのにつられて仄香も笑う。


「……何だよ」


 すると仄香だけぎろりと睨まれたので、笑いが引っ込んだ。


「ご、ごめん。暖房入れるね」


 仄香は慌てて遠隔で暖房のスイッチを押す。


「尚弥、寒がりだよねぇ……」


 くすくすと笑い続ける茜。尚弥は茜には何も言わずに椅子に座った。明らかに態度が違う。

 カレーパンの袋を捨てた茜は、時計で時刻を確認した。研究に集中したいからと研究室ではチャイムの音を切っているらしい。


「五時間目が始まる時刻だね。えーっと……まずは研究テーマを決めるところからか」


 茜が画面に授業用の資料を映し出す。

 この研究室配属授業では、来年二月までに好きなテーマの論文を一本仕上げることが課題として出されているが、好きなテーマと言われると逆に思い付かない。


「茜ちゃんって最近はどういう研究してるの?」

「わたしはまだ専門を絞ってないから、多岐に渡るかなぁ……。最近だと治癒能力者の治療の特定の病気への影響範囲の研究とか、医療関係が多いかも。でも本格的に研究するってなると十年単位の期間が必要だし……異能力科の先生もそこまでは求めてないんじゃないかな……。あくまでも一般の高校生ができる範囲の論文を形式に沿って書いて提出すれば悪い成績にはならないと思うよ……。凝りすぎて期限を守れなくなるのが一番危ないし低評価を付けられかねない。だから、できる範囲で頑張っていこう……」


 てっきり本気を出すかと思えば、茜はこの授業の本質を冷静に分析し、程々にして完成させようと提案してきた。確かに茜レベルの研究者が本気で論文を書き上げるとなると残り三ヶ月では無理だろう。拘りを捨てることも大事だ。


「わたし、どうせならおねえちゃんの未来視についての論文を書いてみたいな……。海外になら先行研究が山程あるし、書きやすいと思うし……」


 未来視をテーマにすれば、読み込まなければならない論文はほぼ外国語で書かれたものになるだろう。茜は一度も外国語を本格的に勉強していないのに、論文を眺めているうちに何となく意味を推測して読めるようになったなどという常人には理解できないエピソードを持っている。その意味不明な頭の回転の速さのおかげで茜はほとんど全ての言語が読めるのだが、仄香はそうではない。


「私は他国語を読めないから、参考文献を選ぶ時に茜ちゃんに負担かけちゃうことになると思うんだ。だから、できれば日本でも研究されてるテーマにしたいな……」

「あ、そっか……。わたしが全部完成させるような形になっちゃったら、この授業の意味がないもんね……。じゃあどうしようかな……」


 うーんと茜が悩む素振りを見せる。横から尚弥が口を挟んできた。


「テーマは茜の異能でいいだろ。身近だし、最近じゃ軍用機にも応用されてる。これから伸びる分野だ。学術的意義もある」


 茜の異能、【防御】は物体にシールドを宿すことができる。茜の場合は小さなものにしか付与できないが、高レベルの防御能力者になると大きな物体や多数の人間にシールドを張ることもできるらしい。戦闘訓練や人命救助などあらゆる場面で役に立っている異能である。

 それにしても研究テーマまで茜のことにしたいとは、本当に溺愛しているなと思った。


「私も防御の異能に関連したテーマ、いいと思う。茜ちゃんの異能だから興味もあるし」

「え……そ、そう……? そんなこと言われるの初めて……。じゃ、じゃあ、図書館から関連書籍いくつか持ってくるね。ちょっと待ってて……あ、二人はその間に学内のデータベースから付属大学の教授の論文を引っ張ってきといてほしいな……。確か異能の軍事応用についての研究を専門にしてる先生いたはずだから……」


 茜は少し照れた様子で立ち上がる。


「あ、待って」


 仄香は図書館へ行くなら自分が行くと申し出ようとしたが、茜は気持ちが浮き立っているのか学生証を持ってさっさと研究室を出ていってしまった。


(しまった……茜ちゃんと尚弥を二人にするつもりが、私と尚弥が二人になる流れになってしまった……)



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