監視の正体



「高秋から僕に推し変してもいいんだよ?……って、もう高秋は推しじゃないか。目の前で小動物殺されちゃったら、女の子としては怖くて仕方ないんじゃない?」

「その話を食事中にしてくる宵宮先輩も怖いです……」


 オムライスを食べながら、必死に昨日の光景を思い出さないように努める。


(……もう推しじゃない、か)


 その言葉にはしっくり来ない。確かに志波は恐ろしかった。狂っていると思った。昨日はもう関わりたくないとすら思った。けれど今は、もっと知りたいという気持ちも芽生え始めている。


「まるで宗教だね。恋は盲目を通り越して崇拝してない? 高秋のこと」


 心を読んだらしい宵宮がおかしそうに言ってくる。

 こんなに常時心を読まれているならもうこちらは喋らずともいいのではないかと思えてくる。が、そうしたら宵宮が独り言を喋っている変人のように周りから見られてしまう気がして口を開いた。


「そう……かもしれません。私、この容姿のせいで昔からいじめられてきましたから。強くてかっこよくて守ってくれた志波先輩の存在に憧れて、依存してきたのかも」

「だから、そう簡単に嫌いになれない?」

「……はい」

「ほのぴも高秋に負けず劣らず、イカれてるよね」


 ――そうかもしれない。

 普通なら犯罪者予備軍だと幻滅するところを、歩み寄りたいと考えてしまっている。


「僕の車にもあっさり乗って付いてくるし。警戒心足りないんじゃない? 何されても知らないよ」

「その時は……甘んじて死を受け入れます」

「ふふ、いい度胸」


 宵宮はにこにこしながら自分のオムライスをスプーンですくい、仄香に差し出してくる。


「はい、あーん」

「……ええ……」

「何その絶望したみたいな顔。僕の方、チーズ入ってるんだよ。食べたくない?」

「宵宮先輩、私のこと子供扱いしてません?」

「ううん。ペットだと思ってる」


 満面の笑みで言われた。宵宮にとって仄香は人間ですらないらしい。


(それもどうなんだろう……)


 逆らえば何をされるか分からないので口を開く。仄香が頼んだのは一番安いプレーンだったが、チーズ入りオムライスの方もおいしかった。



 帰りは宵宮に武塔峰の寮まで送られてしまったので、結局ファンクラブの拠点に寄ることは叶わなかった。

 宵宮はレストランではさすがに吸っていなかったが車内ではずっと煙草を吸っていて、余程中毒であることが窺える。


「……煙草っておいしいですか?」

「吸ってみる?」


 停車した車の中で、宵宮が煙草の箱を片手で渡してくる。仄香は随分あっさり差し出された白と赤のパッケージを見下ろし、首を横に振った。


「未成年なので……」

「真面目だね。僕は高校の時から吸ってたけどなぁ」

「だ、だめじゃないですか……それでも警察ですか?」

「今更でしょ」


 くっくっと笑った宵宮の顔がゆっくりと仄香に近付いてくる。暗闇の中、やけに近いので何だろうと不思議に思っているうちに、宵宮の唇が仄香の唇に重なった。

 びくっと身体を揺らした仄香の腰に宵宮が手を回す。そのまま舌が口内に入ってきて驚いた。――苦い。


「ん、ふっ……」


 宵宮のもう片方の手が仄香の太ももを撫でる。宵宮の手の大きさを感じた。

 味が分からなくなるくらい舌と舌が絡み合った後、ようやく宵宮が離れていく。仄香は呆然とした。


「な、なななな何するんですか……!」

「これくらいで真っ赤になっちゃって、おこちゃまだなぁ」

「し、舌……! 舌まで入っ……」

「ファーストキスは高秋がよかった?」


 宵宮が意地悪い顔で覗き込んでくる。


 ――ファーストキス。正確には初めてではない。仄香のファーストキスは遥か昔――子供の頃、尚弥としたのが最初である。


「何だ、初めてじゃないんだ。つまんなーい。ほのぴのことだから高秋のために取ってあると思ったのに」

「未成年の唇をイタズラに奪うなんて……! 通報しますよ!?」

「通報? 僕、警察だけど」

「そうだったぁぁああ……!」


 絶叫して頭を抱える。宵宮は面白そうに笑うばかりだ。


「もう、帰ります! 今日は奢ってくれてありがとうございました!」


 仄香は車から出て、勢いよくドアを閉めた。中の宵宮がまだ笑っているのが見えて少し腹が立った。

 まだ火照っている顔を冷えた手で冷やしながら、早足で寮へ戻る。


(あの人、私のことを面白がってる……)


 ペットというよりも玩具だと思われている気がした。


(思い出したくないことも思い出しちゃった)


 子供の頃の黒歴史。尚弥とキスした過去が思い出されて、仄香はブンブンと首を振った。



 ◆


 宵宮と会った日から、変わらぬ日々が続いた。まるで全て夢だったかのように日常が戻ってきた。少し変わったことと言えば、仄香が咲と仲良くしていることに嫉妬していた女生徒からのいじめがなくなったことだ。教科書を机の中に放置していても何もされないなんて、と久々のことに感動した。

 未来を変えるための進展はない。監視されている状態では情報を集めることもできないのだ。少しでも妙な動きをすれば宵宮から『何してるのー?♡』と連絡が来る。加えて試験期間も始まったため勉強に追われている。


(まぁ、最初の被害者が出るのは来年の十月だし。まだ時間はあるよね)


 夏休みの宿題を放棄する子供のようなことを考えて鞄の中からノートを取り出そうとした時、ふとあることに気付いた。

 鞄の内側の底に、何かが貼り付いている。


(ビー玉……?)


 不思議な形をしたそれは、鞄から外した瞬間に粘着力を失った。

 真っ先に思い付いたのは、これが盗聴器かもしれないということ。しかし、市販の盗聴器にしては不自然な形だ。電源も見当たらない。

 武塔峰の訓練実習で使ったような警察用の盗聴器でもない。


「…………」


 仄香は黙ってそれを鞄の内側に貼り直した。

 次に、鞄の中に入っていた私物を全て並べて確認する。教科書には何もなかったが、財布の中と寮の鍵が入っているキーケースの中、端末ケースの間に不審な物体が貼り付けられていた。どれも電源ボタンなどの見当たらない小型の怪しい物体だ。


 仄香はそれらを全て置いて寮の部屋から出た。

 ――これは、賭けだ。



 向かったのは茜の研究室。この時間帯なら絶対にいるはずだと思ってノックすると、案の定茜が出てきた。連絡なしにやってきたにも拘わらず嬉しそうに招き入れてくれた茜はやはり結構なシスコンだと思う。

 仄香は研究室のカーテンを閉め、制服を全て脱ぎ去った。脱いだ制服は奥の物置きに押し込んで戸を閉める。

 茜がびっくりした様子で顔を赤くする。


「わ、わわ、おねえちゃん、何やってるの。露出狂になっちゃったの……?」

「ごめん、実は盗聴されてる可能性があって……。服にも何かの形で仕込まれてるかもと思って脱いだんだ」

「盗聴……? おねえちゃん、また厄介なことに巻き込まれてるんだ……」


 茜は心配そうにそっと自分の白衣を仄香に着せてきた。さすがに素っ裸の状態では寒いと思ったのだろう。




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