気付き



 振り返れば、そこには尚弥が立っていた。


「尚弥……何で」

「いつも早めに学校来て予習してんだよ、こっちは」


(ま、真面目だ……)


 いつも始業時刻ギリギリで登校している仄香は知らなかったが、確かに尚弥は昔から勤勉だった。異能力の才能に恵まれながら勉学も怠らないからこそ武踏峰でトップクラスの成績を出している。

 不良みたいな格好と態度をしているくせにテストの点数はいいから教師たちも何も言えないらしい。


 尚弥は仄香の机の上の、ズタズタに切り刻まれたワークを見下ろす。

 そして、カッターを手に持っている女生徒にゆっくりと視線を移した。その冷たい目に驚いたのか、生徒たちがびくりと震える。


「な、尚弥くん、どうしたの? 何でそんな顔するの?」

「そうだよ、尚弥くんだって紫雨華のこといじめてたじゃん」

「紫雨華のキモいラブレター破ってたし。ウチらのしてることもそれと一緒だよ?」


 必死に弁明する彼女たちに対し、尚弥はどさりと鞄を置いて吐き捨てる。


「いじめ方がなってねえ」

「……え?」

「お前らのやり方はダセェんだよ。こそこそ物に細工してないで直接ボコボコにしろや」


 仄香は、突然いじめの流儀について語り始めた尚弥を呆然としたまま見つめた。


「そもそもお前ら、誰の許可得てこいつのこといじめてんだ? 雑魚のくせに勝手に主導してんじゃねぇ」


 イライラしている様子の尚弥を見て生徒たちは怯え始めた。


「ご、ごめんなさい!」

「尚弥くんに歯向かうつもりはなかったの!」

「ちょっとこいつが調子に乗ってるから、分からせてやろうと思って……!」


「――オマエ、発火系能力者だっけ?」


 尚弥は謝罪もろくに聞かずにゆっくりと彼女たちへと近付いていく。

 そして彼女たちの隣に置いてあった卵を片手で掴み、怯えて後退る女生徒の頭の上で握り潰す。ベチャッと頭の上から卵を被った彼女は、震えながら尚弥を見上げた。


「目玉焼き作れよ、目玉焼き。それくらいにしか役に立たねぇだろ? その異能」


 ハハハッと高笑いしながら言う尚弥の存在は邪悪そのものだ。


「ほら、早くしろよ」

「ひ、ひぅ……」


 女生徒が涙目になりながら炎を発する。卵は確かに燃えたが、目玉焼きにはならずに焦げてしまった。


(女子になんてことを……)


 女だろうが容赦なく酷いことをする尚弥にドン引きする仄香の隣で、他の二人が怯えた様子で叫ぶ。


「わ、わたしは関係ないから!」

「そうだよ、そいつが言い出したんだよ。あたし達は従っただけで……」

「は、はァ!? アンタらだって乗り気だったじゃん! ウチのせいにする気!?」


 三人が仲間割れを始めたところで見ていられなくなり、思わず尚弥に向かって言う。


「……な……尚弥、やり過ぎだよ」


 尚弥がぎろりと仄香を睨んできた。その眼差しが恐ろしく、仄香は「ひっ」と短い悲鳴を上げる。尚弥が来たことで気が抜けて、いつの間にか先程までの威勢は萎んでしまっている。


「い、いやあの、決して尚弥に逆らおうというつもりはなくて……その……」

「へえ? じゃあどういうつもりだよ。お前、俺に指図すんの?」


 お前ごときが? という圧を感じた。

 何か、何か言わなければ、と目を泳がせながら必死に考える。


「――わ、私っ! そこの人たちと仲直りしようとしてた途中なの!」

「……あァ?」


 尚弥が不機嫌そうに眉を潜めたが、それを無視して三人の女生徒に向き直った。


「私のこと、調子乗ってるって言ってたよね!? 具体的にどの辺が調子に乗ってるって思ったの?」

「……は? いや……一迅さんと仲良いし……目の色紫のくせに……」

「咲とはたまたまルームメイトになれたから仲良いんだよ。私が特別だとかは思ってない。目の色は、生まれつきだから許してほしい。コンタクトも付けられないんだ」

「あんたみたいなのが一迅さんと一緒にいるとか、生意気だし……」

「……つまり、羨ましいの?」

「は、はあ? ちげーよ!」

「じゃあ、今度一緒にお昼ご飯食べようよ」

「はぁぁあ?」

「咲もお願いすれば聞いてくれると思う。咲と話したいんだよね? 一緒に食べよう」


 女生徒たちはぽかんと口を開けたまま固まった。数秒後はっとして、恐ろしいものでも見たかのような表情でササッと教室を出ていく。


「キ、キモっ……」

「何あいつ、意味分かんないんだけど」


 どうやら仲直り作戦は失敗したようだ。

 残された仄香は行き場のなくなった手を下ろした。


(そういえば、この前学食で睨み付けてきたのもあの子たちだった。そっか、やっぱり咲と仲良いのが気に入らなかったのか……)


 聞けて良かった。理由も分からずいじめられるよりは余程良い。

 その時ふと、夢の光景が脳裏を過ぎった。『君を殺したら、君も俺が殺した数多の人間と同じ、〝つまらない死骸〟になるのではないかと……怖くて仕方がない』――そう言った志波の顔が思い出される。


「…………」


 どうしてあんな、悲しそうな顔をしていたのだろう。

 彼は何故宵宮の計画に付き合うことにしたのだろう。

 そもそも宵宮は、何故無能力者優遇政策に反対しているのだろう。


 ――志波は小学生の頃、人質として捕まった仄香を助けてくれた。

 志波だけでなく宵宮も。今組織を裏切ってはいるが、過去には彼らのおかげで助かった人も多くいるはずだ。

 彼らの能力は人を殺す力にも、救う力にもなる。


 さっきの子たちに対してできたみたいに、相手の話を聞く姿勢が大事かもしれない。分かり合えなくても相手を知ることは無意味ではないはずだ。

 彼らのことだって理解しなければ先には進めない。


 尚弥が席に座って勉強を始めたので、ハッとして仄香も自分の席に近付く。

 ズタズタにされたワークを片付けながら、ちらりと後方の席にいる尚弥を盗み見た。


(尚弥って努力家なんだよね……。昔から)


 嫌な奴ではあるが、丸っきり異能力頼りではないその姿勢には尊敬の念を抱く。

 尚弥は子供の頃から何をやらせても一番だった。勉強もかけっこも異能力も。足が速くて顔もいいので小学生の頃はモテモテだった。そんな、簡単に何でもできるみたいな顔をしている尚弥が人知れず人一倍努力していたことは、幼なじみの茜と仄香しか知らなかっただろう。

 尚弥が武塔峰の試験でツートップを争っている実力者なのは、今も努力を続けているからだ。

 仄香は自分を恥ずかしく思った。


 ただのボロボロの紙になってしまったワークを捨てて着席し、鞄の中から教科書を取り出す。


「おい」


 その時、後ろから尚弥が声をかけてきた。


「……何?」


 おそるおそる振り返る。

 さっき口答えしたことをネチネチ言われるのかと不安だったが、続いた尚弥の言葉は予想外のものだった。


「お前、ほんとに昨日何もなかったんだろーな」


 まだ疑っているらしい。いつも仄香の言動などどうでもよさげだったのに、今回は何をそんなに気にしているのか。


「……何もないよ」

「言うなら今だぞ」

「何もないってば」


 仄香の方を見ずにペンを走らせていた尚弥は、頑なな仄香に苛立ったのか舌打ちした。

 そして、仄香の顔に向かって何かを投げつけてくる。


「ぶっ」


 顔にぶつかって落ちたのは、尚弥が投げたウェットティッシュだ。


「生卵付いててくせぇんだよ。それでさっさと拭け」

「あ……うん」


 そうだった。考え事をしすぎて忘れていたが、まだ制服にも髪にも卵が付いている。


「ありがとう。でも、もうちょっと優しく渡してほしいな……なんて」

「それくらいキャッチしろ。トロいんだよ」


 勇気を出して伝えた要求はあっさり「トロい」の一言で片付けられてしまった。

 ウェットティッシュを有り難く頂き、髪に付いた分は水道で流そうと思って立ち上がる。


「尚弥、ありがとう」


 教室から出る際に振り返って再度お礼を言うが、尚弥はいつものように無視してきた。



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