恐怖から得る勇気



 仄香はその夜、夢を見た。

 咲が志波と宵宮に立ち向かっている夢だった。志波と宵宮は見たこともない服装の怪しい集団と一緒にいた。彼らの服の背中に見えるのはM.Oのエンブレムだった。

 咲が何か叫んでいる。最初は水の中にいるように聞こえづらかったその声が、徐々に聞こえるようになってくる。「あんたらの仲間になんてなるわけないでしょ!」――怒鳴る咲をM.Oの幹部の一人が蹴り飛ばす。


「この態度じゃ望み薄だね。どれだけ言っても聞かないし、外に放り出しておいて」


 宵宮が呆れたように言った。咲は宵宮に向かって泣きながら怒鳴る。


「裏切り者! こんな奴らに手を貸して、それでも異犯の人間なの!? あんたらのせいでどれだけの無能力者が死んでると思ってんのよ! 十二月のケミカルテロで生き残った人々は今も後遺症で苦しんでる! あの人達を見てもまだこんなこと続けるつもり!? あたしのお母さんだってッ……」


 咲の近くにあった鉄骨が消えた。咲が瞬間移動させたのだ。鉄骨は宵宮と志波の頭上に唐突に現れる。あれに頭がぶつかれば即死だ。

 しかし、鉄骨は一瞬にして真っ二つに切断され、志波たちには当たらずに床に落ちた。


「うああああああああああ!」


 咲は吠えながら何度も物を瞬間移動させる。あれだけ能力を連続使用するのは体にもかなりの負担がかかるはずだ。そんなこともどうでもよくなるくらい、今止めるしかないと思ったのだろう。

 志波は澄ました顔で咲の攻撃を全て【切断】で防御する。


「……高秋。あれ、もう駄目だよ」

「ああ」


 宵宮の言葉を合図に志波の【打消】が使われたのか、咲の瞬間移動がぴたりと止まった。



 ――そして。次の瞬間、咲があの犬たちのように、真っ二つになった。



 ザザザ……と視界にノイズが走り、場面が変わる。

 仄香は冷たいコンクリートの上にいた。夢で何度も見た場所だった。寒い。身体が凍えそうだ。ということは、この未来は冬なのかと、冷静に推測する。

 異臭がする。床に咲の血液が大量に広がっている。目の前に横たわる咲の腹に何本もの刃物が刺さっている。一度殺したくせに、また刃物で刺したのだ。きっとそれが志波にとっての快楽に繋がるのだろう。

 自分の手足が縄で固く縛られている。動けない。

 背後からこつりこつりとこちらへ近付いてくる靴音があった。

 振り返れば志波がいる。ゾッとするほどの美しい顔。いつも見ている未来と唯一違う点は――彼が無表情であることだ。


「つまらなかった」


 返り血を拭いながら、志波がぽつりとそう言う。

 そして、縛られている仄香と視線を合わせるようにして屈む。


「やはり君だ。君の体をぐちゃぐちゃにしなければ俺は満足できない」


 未来を見る時、いつも仄香自身の顔は見えない。未来の自分はどんな表情をしているのだろう。


「君に似た女子高生を殺したんだ。そしたら止まらなくなった。最初は満足した。だがそれは一時の快楽だった。すぐにつまらなくなった。めった刺しにしても面白くない。君でなければ興奮しない」

「なら……私を殺せばいいじゃないですか」


 仄香の声は弱々しく、掠れている。


「やっぱりこの未来になった。あれだけ頑張ったのに。どう頑張っても無理だったなら、いっそ私が死んでおけばよかった。皆死んだ! 私のせいで……!」

「俺は君を殺すことが怖いんだ」

「何で! 殺して、殺してよ! 私が死ねばいいんでしょ! それで終わりなら、いっそ――」


 泣き叫ぶ仄香に対し、志波は悲しそうな顔で呟いた。


「君を殺したら、君も俺が殺した数多の人間と同じ、〝つまらない死骸〟になるのではないかと……怖くて仕方がない」



 ◆


 目が覚めた。そこはいつもの寮の一室で、無機質な天井があった。

 早朝だ。仄香はゆっくりと上体を起こし、窓の外を眺める。


「昨日のことも、全部夢だったらよかったのに……」


 夢。そう、ずっとどこか夢を見ている感覚だった。未来視などと言っても、ほとんど夢の中で映像として見るだけで、現実感がなかった。

 ――咲が死ぬ。あの未来も絶対に来る。

 強烈に意識した時、涙が出てきた。

 仄香はぐずっと鼻水を啜り、咲を起こさないようにベッドから出る。


(志波先輩が好きだった)


 未来を変えるつもりだった。未来を変えて、志波が人を殺すのを阻止して、異犯として志波の隣に立って、その後も素晴らしい未来を作っていくつもりだった。

 なのにもう、そんな気力も自信も湧いてこない。


「もう無理だよ……」


 ブレザーの袖に腕を通しながら弱音を吐く。



 授業開始時刻までまだ一時間程あるが、じっとしていると色々なことを考えすぎてしまうと思い、早々に寮を出た。

 一年生の教室がある階まで階段を登る。まだ人が少なく静かな校舎内。教室に近付くにつれて、くすくすと誰かの笑い声が聞こえてきた。


「ねぇ、やりすぎじゃない?」

「いーって。あいつキモいんだもん。クラスに友達いないくせに昼休みになったら一迅さんのとこ逃げてさ。職場見学でも一迅さんと一緒だったんでしょ? マジで金魚のフンだよね」

「一迅さんと紫雨華じゃ釣り合ってないよねー。ルームメイトだか何だか知らないけど、一迅さんもお情けで仲良くしてやってんじゃない?」

「あんな奴と仲良くするくらいならウチと仲良くすればいいのに。今度話しかけてみよっかな~。紫雨華が調子乗ってんの腹立つし」

「えー可哀想。紫雨華、一迅さんいなかったらただのゴミじゃん」


 教室の中でクラスメイトが、仄香の話をしている。

 ちらりとドアの隙間から中を覗くと、――宿題として先週提出していたはずの仄香のワークが、カッターでズタズタにされていた。

 周りにいるのは三人の生徒たちだ。


「ねえ、前みたいに卵もかけない?」

「えー。卵勿体ないじゃん」

「でも確実に効いてたよね。あいつ珍しく教室来なかったし! マジウケる~」


 尚弥はいない。先日教科書が滅茶苦茶にされていたのは尚弥の仕業ではなく、彼女たちの仕業だったのだ。


(私、こんなことばっかり……)


 悔しい。彼女たちの異能は攻撃系統のものだ。正面から喧嘩して勝てる相手ではない。

 悔しい。もっと使い道のある異能を持てば、彼女たちに歯向かえたかもしれないのに。

 悔しい。もっと力があれば、志波や宵宮に関する未来だって変える自信が持てたかもしれないのに。



 ぎゅっとスカートの裾を握ったその時、ふと咲の笑顔を思い出す。


 ――『あんたの異能力、絶対凄いよ』


 はっとした。

 何を自信喪失しているのだろう。未来視は、彼女たちが羨む咲が褒めてくれた異能だ。物凄くはしゃいで、色んな論文を紹介してくれた異能だ。一度は尚弥を、救った異能だ。


「やめて」


 勢いよく教室のドアを開けて言い放つ。

 三人の生徒たちが驚いた顔をして仄香の方を振り返った。


「何お前、今日早いじゃん」


 一人の女生徒の声があからさまに声が低くなった。楽しい時間を邪魔されて機嫌を損ねたのだろう。


「なんつった? 『やめて』? 『やめてください』だろーが。ま、やめないけど」


 主犯格らしい彼女がそう言うと、他の二人もくすくすと笑う。そして、ふと思い付いたようにその中の一人が鞄から卵のパックを出してきた。


「これ賞味期限切れでぇ、使い道困ってたんだよねぇ~」


 何をするかと思えば、彼女は卵を一つ取って仄香に向かって投げつけてきた。卵は仄香のブレザーに当たり、ぐちゃりと割れて中身が落ちていく。

 仄香が驚愕しているうちに、他の二人も卵を手に取って次々に仄香に投げてきた。


「悔しかったら反抗してみなよ。あ、大した能力もないあんたにはできないかぁ」


 ぎゃはははははと女子らしくない笑い方をする彼女たちに立ち向かえる異能は、やはり持ち合わせていない。

 しかし、仄香は勇気を持って制服についたぐちゃぐちゃの卵を掬い上げ、彼女たちに投げ返した。


「卵の賞味期限は! 生のこと記載してるんだよ!」


 仄香が突然大声を出したからか、生徒たちはぎょっとした顔をする。


「熱通せばまだ食べられる! 食べ物粗末にすんな!」


 投げつけられた卵の黄身と白身がぐちゃぐちゃになった液体を、必死に彼女たちに投げ返す。


「は、はぁ~!?」

「こいつ生意気なんだけど!」

「汚れちゃったんだけど、どうしてくれんの!?」

「制服クリーニングすんの高いっつーのに! クリーニング代払え、クソ紫!」

「それはこっちの台詞だーーーーーー!!」


 悲鳴にも似た声を上げる彼女たちに負けないくらいの大声を出す。ここまで腹から声を出したのは久しぶりかもしれない。

 仄香は自分がイライラしているのだと気付いた。どうしようもない現実や、変えたいけれど変えられそうにない未来にイライラしている。

 あの夢は怖かった。本当に怖かった。咲が死ぬなんて考えたくない。長年恋い焦がれた初恋の人に親友が殺されるなんて嫌だ。あの恐怖に比べたら、卵をぶつけられるくらいなんてことない。


「ウチの異能、炎操作なんだよねえ! 生意気言ってるとマジで燃やすよ!?」

「燃やしたきゃ燃やせ! あなたの異能なんてちっとも怖くない!」


 仄香の目の前の女生徒はきっと犬なんて殺さないし、人を真っ二つにするような力もない。本当に恐ろしい人は殺害に躊躇いがない。こんな脅しなんてせずに、気付いた時には殺している。昨日の志波や夢の中の志波を思えば、目の前の未熟ないじめっ子も小さな子供に見える。

 仄香の堂々とした態度に怯んだのか、主犯格がついにぐっと口籠った。




「……朝からうるせぇな」


 その時、仄香の後ろから、呆れたような声がした。



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