小動物殺害



 志波の向こうでまだ悠々と紅茶を飲んでいる宵宮と目が合った。仄香は少しの希望を持って宵宮を見つめたが、宵宮はへらりと笑って謝ってくる。


「ほのぴ、ごめんね~? 心を読んでみて、何も気付いてなければ見逃すつもりだったんだけど。ほのぴは、高秋の未来を視たんでしょ?」


 ――【読心】。有名な精神干渉系の異能力だ。触った人間の心を読めるというタイプがほとんどだが、あの焼き肉店で読んだということは、宵宮の条件はおそらくそれではない。対象の近くで対象を視界に入れること、などだろうか。異犯で志波と並んでいる実力者なのだから、普通の読心能力者とは異なる能力発動条件を持っていてもおかしくはない。


「あの手紙が届いた時点で、高秋も僕も、ほのぴには疑いをかけてたんだよ。何らかの方法で僕らの秘密を知ったんじゃないかってね。最初は僕も、思春期を迎えたファンにありがちな謎ポエムだろうと軽視してたんだけど。職場見学での報告書を見る限り、ほのぴの未来視は僕たちの想定より精密だった。高秋がほのぴを気に入ったっていうのもあって、もう一回確かめようって話になったんだ。だから読心能力を持つ僕も付いていった」

「気に入った……? 私を?」

「高秋、打たれそうになったほのぴを見て感銘を受けたらしいよ? あの時ほのぴが死んでいたらどれだけ美しかっただろう、やっぱり人間を殺すのも楽しいんじゃないか、ってね」


 ぞっとする。未来視で視た未来では、志波は来年の春、飛び降り自殺をした女性の死体を見て目覚めたはずだった。

 あの瞬間。東京MIRAIタワーで撃ち殺されそうになった時、その予定が早まったのだ。仄香が志波の目の前で死にそうになり、それがトリガーとなって志波に〝人間の死〟への興味を持たせてしまった。


(私……未来を早まらせてる……?)


 おそるおそる宵宮に問いかける。


「〝僕らの秘密〟というのは……」

「僕、無能力者嫌いなんだよね。だからM.Oと協力して、無能力者を皆殺しにするっていうテロ計画を立ててるんだ」


 犯罪組織と内通? 異犯でもトップクラスの人材が?

 そんなことをしていたら、異犯の内部情報も国民の情報も筒抜けだ。

 皆殺しなどという非現実的なワードも、犬殺しを見た後ではすっと頭に入ってくる。


「今の政権は無能力者優遇政策を積極的に実施してる。国民の大半を占めるのは無能力の高齢者だから。僕はそういう世界を救いたいんだよ」

「救うって……」


 大量殺人は、〝救う〟ではない。価値観の違いに目眩がした。


(じゃあ志波先輩の大量殺人の未来もその一環? いや、でも異能力者である咲も殺されてた。単純に志波先輩の趣味嗜好が殺人で、その殺人願望を満たすために宵宮先輩の目的に協力しているってこと?)


 異犯でもトップクラスの実力を持つであろう、志波と宵宮。そんな二人が組んで組織を裏切っているなんて――敵うわけがない。


 というか、ここまで暴露されたということは、おそらく口止めとしてここで殺されるのだろう。


 仄香はよろよろと歩き、犬の死体に近付く。

 宵宮が不思議そうな顔をした。


「どーしたの?」

「内臓をしまって、綺麗な形に戻します」

「は? 何で?」

「最期がこんな無惨な姿のままじゃ可哀想でしょう。あなた達は命を軽視してる。生き物の命はこんな風に雑に扱っていいものじゃ――」


 ――次の瞬間、仄香は宵宮に蹴り飛ばされて後ろに倒れ込んだ。

 自分の体を支えるために床に手を付いたせいで、手が背後の犬の残骸に当たる。ぐちゅりとした内臓と血液の感覚がして鳥肌が立つ。


 まさか終始優しかった宵宮にこのような乱暴な真似をされるとは思わなかった。呆然としたまま見上げると、宵宮の片手にはいつの間にか拳銃があり、その銃口は仄香の方に向いている。


「はい、ほのぴ、笑って。ピース」


 宵宮は心底愉しそうに笑っている。

 怖い。本当に怖い。後輩に拳銃を向けながら、どうして笑っていられるのか。

 無理やり口角を上げてへらりと笑い、震える手でピースサインを作ると、パシャッと写真を撮る音がした。宵宮のもう片方の手にスマホがあることに今更気付いた。恐怖で視野が狭くなっているのかもしれない。


「ああ、この表情いいね、ぞくぞくする」

「ぅ、うう……」


 写真を確認して意味の分からないことを言う宵宮が恐ろしく、仄香は耐えきれずまた泣き出す。

 犬の死体を整えてあげることも許されない。こんなぐちゃぐちゃな死体と一緒に、これから自分もぐちゃぐちゃにされるのだ。

 死を強烈に意識した時、茜や両親、ここに来る前心配そうに仄香を見ていた咲の顔が頭に浮かんだ。


「最期に、手紙を書かせてくれませんか……」

「え? 何それ?」

「双子の妹がいるんです。親や友達にも手紙を書きたい。お願いします。これまでの人生でお世話になった人に何も言わずに死にたくない」


 嗚咽混じりの要求を聞いた宵宮は一瞬ぽかんとした後、ぶっと噴き出した。


「あは、あはははははははは!」

「ひぃ……」


 もう宵宮のことが全く理解できない。


「ふ、あはは、もしかしてほのぴ、殺されると思ってる?」

「違うんですか……?」

「ほのぴ勘違いしちゃってんじゃん。高秋が殺してみたいとか言うからだよ」


 からかうように志波を振り返った宵宮は、その後仄香に自身のスマホの画面を見せてくる。そこには、刃物で切られたような犬の死体と、引きつった笑顔でピースサインを作っている仄香が映っている。


「凄くよく撮れてない? ほのぴの小動物殺害現場に見えるよね?」

「…………」


 ――――終わった、と思った。


「あは、青ざめちゃってかーわい。賢いね、もう僕が何言うか分かった?」

「……け……けし、けしてください」

「これを提出されたら、ほのぴの人生終わりだね?」

「…………」

「異犯どころかどこにも就職できないよ。言っとくけど消さねえから。ほのぴは一生僕らの奴隷ね」


 未来視って便利だしねぇ、なんて機嫌よく鼻歌を歌い出す宵宮のことを良い先輩だと思っていた数時間前の自分を殴りたい。


「ちなみに僕も異能力は複数種持ちなんだ。ターゲットは一人までだけど、常に監視と盗聴ができる。ほのぴが少しでも僕らの秘密を外部に漏らしそうになったら――その時は、覚えておいてね。ま、証拠もないし、ほのぴの言う事なんて誰も信じてくれないと思うけど」


(……そんな警察向きな優秀な異能力を、わざわざ私に使わなくても……)


 信じられない気持ちで見上げていると、隣から志波が仄香の腕を掴んで立たせてきた。ひっとまた短い悲鳴を上げてしまう。

 しかし、志波は仄香の手に付いた血を濡れたタオルで拭いてくれた。仄香が宵宮と喋っている間に用意してくれたらしい。


「震えている」


 志波の発言に、ビクッと体が跳ねた。確かに先程から、恐ろしくて手が震えている。あれだけ大好きで憧れだった志波のことを今、怖いと思ってしまっている。

 あなたはそんな人じゃなかったはずだと言いたかったが、未来視で見た未来の中、志波に言われた〝理想を押し付けていただけ〟という言葉が思い出されて何も言えなくなってしまった。



 ――その時、呼び出し音が鳴った。

 志波たちの部屋の大きめのインターホンに、ある人物が映っている。

 宵宮が怪訝そうに眉を寄せた。


「……高秋、こいつ呼んだ?」

「いや。呼んでいない」


 画面に映っていたのは――――尚弥だった。




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