暗転



 食事の会計は志波が事前に済ませていたらしい。額は教えてもらえなかった。店自体安価なチェーン店というわけでもなく高そうな店であるため、相当な料金になっているのではと少し心配になる。ちょっとでも払った方がいいかなぁ、と咲にこそっと相談すると、「あたしらは高校生で、向こうは社会人なのよ? 甘えときなさい」と言われた。


 帰りの車に揺られながら、ちらりと尚弥の方を盗み見る。尚弥は仏頂面だった。

 尚弥の方にも研究室配属のお知らせは来ているはずだ。もう見ただろうか。見たからあんなに仏頂面なのだろうか。


 尚弥が茜の研究室に希望を出したというのは意外だった。小学生の時、仄香が尚弥たちに余計なことを言ったせいで、尚弥は茜を避けるようになった。茜のことが好きと言っても、おそらくあれからあまり会話を交わしていないはずだ。


(避けるのはやめて、ちゃんとアタックしようとしてるってことなのかな……)


 そうなると仄香は完全に邪魔者である。尚弥により酷い扱いを受けることが予想され、溜め息が漏れた。

 茜も一体どういう考えで許可したのか。一応は幼馴染みである尚弥ともう一度話したかったのだろうか。昔は三人で仲が良かったし、茜は仄香がいじめられていることを知らないため、昔のようなノリで一緒にいられると思っているのかもしれない。


 本格的に研究室での授業が始まるのは再来週。迫り来る日々に怯えていると、車が武踏峰の駐車場に到着した。咲と尚弥がお礼を言って出ていくので、俯いていた仄香もはっとして出ていこうとする。

 しかし、宵宮に呼び止められた。


「あ、ほのぴは残ってくれる? これから本部に連れて行くから」

「……え?」


 困惑したのは仄香だけではないようで、車の外からそれを聞いた咲が心配そうに口を挟んでくる。


「仄香が何かしたんですか?」

「ああ、違う違う。ちょっと高秋が個人的に話したいことがあるみたいなんだよね。明日の朝には返すから大丈夫だよ」


 咲は宵宮の言葉に不可解そうに眉を潜める。


「朝? 外泊は寮への事前申請と許可が必要ですよ。無断外泊が発覚したら仄香の内申点にも影響が――」

「その時は僕らから、やむを得ない事情で事件に巻き込んだって連絡しておくから。今日はありがとうね、おやすみ」


 咲の反論を遮るように言った宵宮は、運転席からの操作でドアを閉めて車を発車する。心配そうな顔の咲と窓越しに目が合った。


 車が再び駐車場から出た後、後部座席に座り直す。


「あの……お話というのは?」

「ここでは話せない。一度職員寮に連れて行く」


 助手席の志波が答えた。

 異能力犯罪対策課の職員寮。都会に聳え立つ本部ビルの中にあり、職員全員が寝泊まりしているセキュリティ万全な寮だ。そう簡単に出入りできる場所ではないため、仄香は少しわくわくしてしまった。


「私が入っていいんですか?」

「ああ」


 どうして咲や尚弥は呼ばれずに、自分だけなのだろうという疑問は残るが、嬉しいことに変わりはない。窓の外の移りゆく景色を眺めながら到着を待った。




 本部に着く頃には二十二時を回っていた。すっかり暗い……などということはなく、隣接するビル郡が明るく光り輝いている。

 本部内に入るには異犯のバッジの提示と指紋認証、網膜認証、顔認証が必要となっており、宵宮と志波が入っていった後、仄香も許可証を発行してもらって中に入った。

 本部を見上げる。先が見えない程高い建物だ。天辺が夜の空に呑み込まれている。


「凄……」

「あはは、近くで見るの初めて? 寮はこっちだよ」


 宵宮に案内され、職員寮に入っていく。高級ホテルのようなロビーと、白髪のコンシェルジュのような老父が立っている。天井にはシャンデリアがあり大人な雰囲気だ。武踏峰の寮との違いを感じた。

 ぼうっと眺めていると志波たちがエレベーターに乗ったので慌てて乗り込む。

 志波たちの部屋は寮の高層階だった。聞くところによると、志波と宵宮はルームメイトらしい。と言っても仄香と咲のように同じ部屋で寝ているわけではなく、個室がそれぞれ二つあってキッチンや風呂などが共用とのことだった。

 武踏峰の寮の部屋を二倍にした感じかと予想していた仄香は、部屋に着いた時その広さに驚愕した。


「ひ、広い……。走り回れるじゃないですか」


 想像していた広さの五倍くらいあるうえ、犬が三匹も自由に走り回っている。志波がペットを飼っているのは初めて知った。


「飲み物いれるね。ほのぴ、好きな飲み物ある?」

「じゃあ……水で」

「水?」


 遠慮して答えると、ぷっと宵宮が噴き出した。


「紅茶もあるし、ココアもあるよ。水でいい?」

「……紅茶でお願いします」

「はーい。高秋も紅茶にするね」


 キッチンの横にあるテーブルの椅子に座る。

 よく考えたら、好きな人が日頃住んでいる部屋だ。そんな場所にお邪魔しているなんて、今更緊張してきた。


 わんわん、と仄香を警戒しているのか犬たちが吠えた。

 テーブルの上に紅茶が三つ並ぶ。隣に座る宵宮が飲み始めたので、「いただきます」と小さく言って仄香も飲む。


(……いつ本題に入るんだろう)


 何故こんなところまで連れてきてもらえたのか、全く予測がつかない。外で話せない話ということは、異犯の任務関係だろうか。


(もしかして私の異能力が買われたとか? 特別に任務に同行しないかっていうお誘い……?……いや、それはさすがに自意識過剰か……)


 一瞬期待が膨らんだが、すぐに痛い妄想をしてしまったと反省する。



 カップの中の紅茶が4/1になる頃、犬たちの鳴き声がうるさくなってきた。


「私、嫌われてそうですね……」


 ぐるるるるると唸る犬を見て居心地が悪くなってくる。普段この部屋には宵宮と志波しか来ないのだから、突然知らない人が来たら怒るのは当然だ。


「邪魔か?」


 志波が聞いてくる。彼が紅茶を飲んでいる様は実に優雅だ。


「い、いえ! 邪魔とかそういうわけではなく……! 勿論可愛いですし、志波先輩のペットであれば仲良くなりたいですけれど、私がいきなり来たから犬の方々もびっくりしてるのかもって」

「邪魔ならそう言えばいい」



 次の瞬間、妙な音がした。



 風を切るような音の後、ぐしゃりだか、ぐちゅりだか、何かが潰れるような音。


 次に変な匂いがした。嗅ぎ慣れない嫌な匂いだった。


 音のした方を見る。


 犬が真っ二つになっている。三匹とも。


 声が出なかった。何が起こったのか理解するのに十秒かかった。



 ――【切断】。あらゆるものを切る異能力を、志波は三匹の犬に対して使用した。



 理解した途端、「ひっ」と短い悲鳴が漏れた。指が震えたせいでカップの取っ手を離してしまい、綺麗な床にカップが落ちて割れる。飲みかけだった紅茶がゆっくりと広がっていった。

 隣の宵宮は至って冷静で、にこにこしている。


「え、あ、う、な、ど、どうして」


 動揺して言葉がうまく出てこない。三つの犬の死体。それも、〝惨い〟という言葉がぴったりな状態。腹から今日食べた焼き肉がせり上がってくるような感覚がして、仄香は思わず口を押さえて犬の死体から目を逸らした。


「綺麗じゃないか?」

「…………は……?」


 犬を殺した当の本人は平然としている。

 頭の中で情報を処理しきれず、仄香は泣きそうになった。


「生命は奪われるその瞬間が一番美しい。だから俺は〝これ〟をやめられないんだ」

「な、なに、言ってるんですか」


 声が震える。涙も出てくる。横を見たくない。犬が死んだ様を視界に入れたくない。


「『人の死を美しいと思っていますか』――だったか」


 それは、仄香が以前送った手紙に書いた文章だ。


「あの手紙が送られてきた時、お前は俺のこの趣味を把握しているのかと思ったよ」


 志波は薄く笑っている。


(趣味? これって何? 犬殺し? 人じゃなくて動物を殺すってこと? 美しいって何?)


 仄香は未来視で見た。何度も見たはずだった。志波が人を殺すところ。人を殺して笑っているところ。だから知っているはずだった。分かっているはずだった。

 しかし――これは現実だ。実際目の前で見ると、震えが止まらない。


 あまりのことに立ち上がるが、椅子の足に引っかかって床に転けてしまった。

 そんな仄香に、志波がゆっくりと近付いてくる。仄香は思わず後ろに下がるが、すぐ後ろには壁があった。

 志波が愉しげに仄香を見下ろす。


「『大好きです』『何しててもかっこいいです』『ずっと好きです』『永遠の憧れです』」

「……え……?」

「全て君の言葉だ。俺は生まれつき記憶力がいい。君からの手紙は全文暗唱できる」

「…………」


 唖然とする。

 よく見れば、志波は――恍惚とした表情で、笑っている。



「こんな俺でも好きだよな?」



 頷くことができなかった。仄香は未来視で見た光景を、どこか非現実のように捉えていたのだ。まだ起こっていない未来なのだから現実ではないと。

 しかし今、目の前で起こったことは変えようのない現実であり、犬はもう戻ってこない。


「嗚呼、やはり――」


 恐怖による涙と鼻水でぐちゃぐちゃな仄香を見下ろし、志波は囁く。



「君が一番、そそられる。俺は君を殺してみたくて仕方がない」



 『何事にも、生半可な気持ちで首突っ込まないようにね』――焼き肉屋の駐車場で、煙草を吸う宵宮にそう言われたのを思い出す。今更その言葉の意味を理解したように思った。



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