東京MIRAIタワー
憧れの人に突然手を掴まれたことにより、脳内の仄香は口から火を噴き出していた。しかし、気色の悪い喜び方をしてはいけないと思い、必死に平静を装う。
(抑えろ、抑えろ私……っ)
にやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべそうになるのを堪えつつ、「分かりました」とだけ言って助手席に座り直し、ドアを閉める。外にいる尚弥と咲がこちらに『なぜ仄香だけ?』という疑問の目を向けてきているが、志波がにこりと笑って手を振ると小走りで去っていった。
「――さて」
気を取り直すように、志波の整った顔がこちらに近付いてくる。至近距離で見る憧れの人に、仄香の心臓はばくばくとうるさく鳴った。
「君は何者かな?」
薄く笑うその顔があまりに色っぽくて、聞かれた内容が頭に入ってこない。ぼうっと見惚れていると、志波が胸ポケットから見知った紙を取り出した。
それは、仄香が先日出した手紙だ。
「この手紙を送ったのは君だろう」
「……読んでいてくれたんですか」
メディアでも顔が整っていて背が高くて優秀な異能力警察として話題で人気者の志波に、ファンレターなんていくらでも届いているはずだ。仄香の手紙は、そんな中のたった一通である。
「俺宛ての手紙には全て目を通している。君は飽きもせず、何年もくだらない内容の手紙を送ってきていた子だ」
毎月必死に想いを込めて書いた内容を『くだらない』と言われてしまったのはショックだが、志波に認知されていたことが嬉しくてこくこくと大げさに頷く。
「どこで俺の秘密を知った?」
志波が厳しい口調で聞いてくる。
「最初は悪質なストーカーかと思ったが、この俺の目をくぐり抜けて俺の部屋に盗聴器や監視カメラを設置できるとは思えない。念のため確認したがどこにもなかった」
「ストーカーなんてとんでもないです! 私はただ……」
「君は俺が好きだろう?」
「好……っ!?」
かぁ、と自分の頬が紅潮するのを感じた。
「違うのか?」
間近で一切表情を変えずに淡々と聞かれ、口をぱくぱくさせてしまう。
「おかしいな。手紙にはいちいち『大好きです』『永遠の憧れです』と書いてあったんだが」
「それは、憧れてるって意味の好きで……」
「まぁ、どちらでも構わない。とにかく、俺の秘密を知った以上は君を処分する必要がある」
場の温度が下がった気がした。
仄香の予知が正しければ、志波は犯罪者予備軍だ。こんなことは考えたくないが、既に何かしら犯罪に手を染めている可能性もある。嫌な想像が脳内を駆け巡った。
「……私のことを殺すんですか?」
志波の間合いだ。この距離にいて自分の身を守ることなどできないことを、仄香はよく分かっている。
「殺す? 俺がそんなリスキーなことをするとでも?」
「ですよねー! び、びっくりしました」
「そうだな。まずは監禁だ」
『まずはティータイムだ』の声音で出てきた監禁というワード。
どうやらまだ殺しに対してハードルを感じているようであるところが救いだが、こんなにあっさり監禁なんて言う軽さは前科者のそれだ。
「……まさか既に色んな人を監禁して……?」
「人聞きが悪いな。そんな趣味はない。君が初めてだ。まずは監禁部屋を作り、君の失踪を不審に思われる要素を全て排除する。やるのであれば完璧に、少数を選択し集中して遂行する」
「…………」
「……何故顔を赤くしている?」
「や、ちょっとエロティックだなって思って……」
「……は?」
「志波先輩の手で特別に監禁されるって、ちょっといいなと……」
志波が一瞬黙り込み、直後に大きな溜め息をついた。
「君は俺の想定より頭が弱いようだ。これだけ時間をかけるほどの脅威ではない。俺のミスだな」
志波はそう言って再び手紙を仄香の目の前で開く。
「『人の死を美しいと思っていますか』――これはどういう意図で送った?」
「……単純に、志波先輩が人の死をどう思っているのか確かめたくて……。作文、そう、作文です! 授業で人の死に関する作文を書かなきゃいけなくて、それで志波先輩に意見をもらおうと……」
まさか直接手紙の内容について聞き出しに来るとは思っておらず、うまい言い訳を何も用意していない。必死に絞り出したそれも、志波先輩は本気にしていないようだ。
志波が急にまた手首を掴んでくる。
「脈が速い。目が左右に動いている。瞬きが立て続けに六回以上。分かりやすいな、君は」
「……っ」
「嘘をついているだろう」
「違います! これは志波先輩が好きだから――あ」
つい告白のような発言をしてしまって慌てた。
「あれだけ恥ずかしい手紙を何通も送ってきておいて今更何を恥ずかしがっているのか理解に苦しむ」
「だって……異性として好きって言葉は、志波先輩と対等に並べるような異能力者になって、夜景の見えるレストランで言いたいなって思ってたから……」
ごにょごにょと言い訳のように小さな声で呟く私を見た志波が、憐れむような目を向けてきた。
「君は少し馬鹿すぎるな。これまで生きてくるのもさぞ大変だっただろう。……いやしかし、武踏峰の偏差値はそこまで大幅に下がっていないはず。君が入学できたのは何かの手違いか?」
志波の発言にしょんぼりしていると、彼は「まあいい」と話を切り上げた。
「とにかく、この手紙に書かれていることは君の狂言というわけだ。本来ならば尋問するところだが、その手間も惜しい。君はもう帰っていい」
雑に手を離され、帰ることを促された。仄香は言われた通り帰ろうとして、一番大事なことを思い出す。
「志波先輩、最後に一つだけいいですか?」
「未来視の話か?」
志波は仄香と尚弥の会話をしっかり聞いていたらしく、仄香の言いたいことを一発で言い当てた。
「はい。尚弥をこのチームから外してほしいんです。それか、明日は休みにさせるか……。でないと、尚弥が死にます」
「悪いが、俺は確定した未来というものを信じていない。未来はわずかな誤差で変化が生じるものだ。今俺が君の予知の内容を知ったことで未来は変わっただろう。俺が監督している限り、生徒は誰一人死なせない」
そんなに単純な話だろうか、と思う反面、志波が言うなら絶対だろうと信じてしまう自分もいた。
渋々納得して車から出る。最後まで見送ろうと思って突っ立っていると、車の窓が開いて志波が話しかけてきた。
「ああ、それと。さっきの告白の返事だが」
「はい」
「答えはノーだ。君と俺がこの度の見学実習以外で会うことは二度とない。残り数日のみの関係だが、引き続きよろしく」
「…………」
走り去っていく車を見つめながら、仄香は思った。
(はっきり言える志波先輩もかっこいい……)
幼き日、志波のような異能力者になりたいと言って『無理だろう』と一蹴された仄香は、それでも志波を目指すことを諦めなかった。その仄香が、一度告白を断られたくらいで諦めないはずがないのだった。
◆
翌日、尚弥は何食わぬ顔でバスの駐車場にいた。咲と一緒に駐車場まで来た仄香は、もう一度尚弥に行ってほしくないアピールをする。
「尚弥、本当に行くの?」
尚弥はふいっと顔をそらして仄香の問いには答えず、さっさとバスに乗り込んでしまう。
(無視……)
尚弥に暴言を吐かれたことはあっても無視をされたことはないため、少しショックを受ける。
隣の咲が溜め息をついた。
「やっぱりダメね。作戦Bにしましょう」
咲とは昨日、寮で尚弥の夢のことを話している。あの未来視が本当に当たるのか自信がない仄香とは違い、咲は本気で信じてくれて、未来を変えることに協力すると言ってくれた。志波はああ言ったが、やはり保険がないと不安だ。
昨日の夜、作戦をいくつか立てた。しかし、頑固者の尚弥をそもそも現地に行かせないという作戦であるAは今不可能になった。
次はB。作戦中咲に常に尚弥の近くにいてもらい、危険が迫れば尚弥を瞬間移動させてもらうというものだ。夢の中に咲の声や姿は入っていなかった。おそらく別行動していたのだろう。咲の存在は大きな影響を及ぼすと仄香は踏んでいる。
「行くわよ、仄香」
咲が意気込んでバスに乗り込む。仄香もその後に続いた。
◆
しかし、現場に到着した途端、担当者である志波の言葉によって作戦Bは打ち砕かれる。
「ここからは二手に別れる。最も襲撃の可能性が高い、四階と五階に別れよう。四階には緊急時出動の警備ロボットも大量に存在する。こちらは生徒だけでもいい。念のため、四階の監視カメラは常時俺の手元で見られるようになっているからな。一迅咲と紫雨華仄香は四階、俺と伊緒坂尚弥は五階で待機だ」
早速尚弥と咲が分断されてしまった。五階は夢で視た、尚弥が死ぬフロアだ。仄香は慌てて調整を求めた。
「あの、多分テロリストたちが襲撃するのは、昨日の食料品とかお土産を売っているフロアだと思います」
「根拠は?」
「未来視で視ました」
「君は異能力を発現して何日だ?」
「……一ヶ月半くらいです」
「であれば、まだ安定期にも入っていない。それを根拠に行動を起こすのは危険だ」
志波の言うことももっともだ。しかし、不安材料は消しておきたかった。
「じゃあ、せめて尚弥は四階に回してください」
「――余計なお世話だ」
ここでようやく、昨日から仄香を無視し続けていた尚弥が口を開いた。
「そこまで言われりゃ俺だって慎重になる。俺が気を付けてたうえで殺されるとでも思ってんのか」
「でも……。ねぇ、志波先輩、五階は私と咲で、四階が尚弥と志波先輩じゃだめですか?」
「五階に生徒のみは危険すぎる。そうだな……。そこまで言うのなら、五階は俺と一迅咲、紫雨華仄香の三名体制。四階は伊緒坂尚弥のみで対応するというのはどうだ?」
「ありがとうございます! ……でも、尚弥を一人にするのもそれはそれで心配なんですが」
「元より伊緒坂尚弥は一人の方が異能を扱いやすいだろう。広範囲の電撃、それは周囲に味方がいればいるほど出しづらくなるものだ」
確かに、尚弥は一人でいる時の方が強い。そのうえ、四階には尚弥が電撃の応用でハッキングして支配下に置ける警備ロボットが何体も存在する。尚弥に有利なフィールドだ。
「俺はそれならそれでいいぜ。一人でも勝てる自信あるしな」
あの志波にほぼ単独の任務を頼まれたことで気分良くなったのか、尚弥は自信ありげな笑みを浮かべている。
(でも、四階で何が起こるかまでは視れてない……)
急に不安になってきた。もし四階の方が凄惨な戦場となっていたらどうしよう、と尚弥を見上げる。すると、尚弥は不服そうに眉を寄せた。
「あのさぁ、俺、どんだけお前に舐められてるワケ?」
「……ごめん」
「四階の様子は志波さんが常時カメラで見てくれてるんだろ。無線も繋がってるし、いざとなれば応援も呼ぶ」
「本当に、無理はしないでね。ライフルには気を付けてね」
尚弥が打たれてその場に崩れ落ちるあの映像が何度も脳内で再生される。あんな光景はもう二度と見たくない。
真剣にそう言うと、尚弥は少し黙り込んだ後、ぽつりと呟いた。
「お前、そういうところは茜に似てんな」
「そういうところ?」
「大して仲良くねぇ奴のことも平等に心配するところ」
それだけ言って、尚弥は面白くなさそうにポケットに手を突っ込んだまま四階に上がっていってしまった。その背中を眺めながら疑問に思う。
(茜、人のこと平等に心配するっけ……?)
むしろ茜はかなり贔屓目がある方だ。好きな人にはとことん懐き、そうでない人には無関心。それが茜の基本スタイル。
ただの幼なじみである尚弥より家族である仄香の方が茜のことを知っているのは当然である。けれど、自分から見た茜と尚弥から見た茜の齟齬があまりに大きく、少し気になった。
「俺たちも五階へ向かう。君の希望通りにしてやったんだから、ぼうっとするな」
そう言って志波が先に歩き始める。仄香と咲は慌ててその後に付いていった。五階へ向かうエレベーターに乗り込んだ時、志波が何かに気付いたように瞠目した。
そして、同じくエレベーターに入りそうになっていた仄香と咲を押し返し、小さな声で伝えてきた。
「表示されている重量がおかしい。このエレベーターは使えないな。一迅咲、俺と紫雨華仄香を五階に瞬間移動させることはできるか?」
「は、はい。しかし、五階とここはかなり高度が異なるので、一人ずつでないと移動させられません」
咲の瞬間移動能力には、一度に運べる物体の重量と距離に限界がある。
「それでいい。俺だけ五階まで移動させてくれ。紫雨華仄香は一般客を装って階段で五階まで上がってこい。怪しい者がいれば報告しろ」
志波はそう指示し、咲と先に五階まで移動した。
エレベーターの重量が違うということは、おそらくエレベーターには既に何か仕込まれているということだ。直にエレベーターは使えなくなる。相手は思いの外用意周到だ。
(こういう時は、まず周囲の人間の安全確保……)
警備の人たちに武踏峰の学生証を見せ、エレベーターの前に急いで使用禁止のテープを貼るよう指示した。今回襲撃されることを知っているのは東京MIRAIタワーの警備員のみだ。犯人を誘い出すため、観光客を出入り禁止にはしていない。この中には無関係の一般人たちが大勢いる。被害者はゼロにしたいと思った。
不審者に注意しながら階段を登り、五階までのエレベーターを順番に使用禁止にしていく。すると、耳に付いたワイヤレスイヤフォン型の無線機から、手元で全フロアの様子を見られる志波の声がした。
『何をしている? エレベーターを使用禁止にさせろという指示は出していない』
「しかし、このままでは一般客がエレベーターに乗り込みます。おそらくエレベーターの上に既にテロリストが潜んでいるか、エレベーターを利用できないようにするためロープを切られるか、爆弾を仕掛けられているかですよね? どの場合もエレベーターに乗り込んだ者の安全が保証できません。乗らせないようにすべきです」
『勝手な行動は慎め。任務の基本だ』
「こういった場合に優先されるのはまず周囲の人間の安全の確保ではありませんか? 無関係の誰かが死んでしまうかもしれません」
『人命より任務の遂行が優先だ』
「…………」
『俺たちの任務はテロリストの確保のみ。誰が死のうと構わない。エレベーターを使用禁止にすることで相手にこちらの存在を悟られることの方が問題だ』
――異能力警察にとって、上の人間の命令は、絶対だ。これが職場見学であり、異能力警察を目指す人間のための授業である以上、従うべきである。
夢の中の光景が浮かぶ。尚弥が死んだのは自己判断で勝手な行動をしたから。
「……申し訳ありません」
指示を待たず先走ってしまった。その点は悪いと思いながらゆっくりと階段を登っていく。
志波の指示はあまりにも人命を軽視している。しかし、仄香の行動によって本当に計画が駄目になってしまう可能性は避けたい。
それに、先にテロリストを捕獲してしまえば被害は最小限になる。今は自分よりも実践経験が圧倒的に豊富な志波の指示に従おうと思った。
(……志波先輩なら、きっと全員守ってくれる)
仄香は知っている。志波がヒーローであることを。誰が死のうと構わない、と言いながら、最後には全員を救う。志波がそういう人であることを、仄香は信じている。
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