職場見学
休日を返上して茜の研究室に籠もり、茜が作業をしている隣で未来視の練習をした。まだ起きたまま特定の未来を見ることはできないが、眠る前に知りたい事象を強く意識しながら寝ると、その夢を見るようになった。
茜は研究室で寝ることも多いので簡易なベッドがあり、そこで何度も眠った。おかげで二日間は昼夜逆転し、寝たいと思っても夜は眠れなかった。朝方に何とかまた少し眠り、夢を見ることができた。
「おねえちゃん……頑張りすぎだよ」
「頑張ってるって言ったって、寝てるだけだよ」
起きてすぐ夢で見た光景をノートにメモしていると、ブラックコーヒーを片手に持った茜が心配そうな目を向けてきた。かくいう茜も徹夜で研究結果を整理し仮説を立てていたようだ。茜がこの年齢で優秀な研究者として世界中から持て囃されるのは、才能だけが要因ではなく、努力の賜物でもある。
「茜ちゃんに比べたら私の努力なんて小さなこと。いつも頑張ってて凄いね、茜ちゃんは」
そう褒めると、茜は照れているのか頬を紅潮させた。
研究室の窓から、オレンジ色に光る綺麗な朝日が見える。ここから見る朝はこんなに綺麗なのかと思った。
「おねえちゃん……今日から職場見学だよね……?」
茜が散らかった机を慌てた様子で片付け、書類と書類の間から出てきた小さな何かを持って仄香に渡してきた。それは、自作らしいお守りだ。
「異能力科の職場見学は危険だって聞くから……。おねえちゃんが無事帰ってこれますようにって作った……」
「嘘、ありがとう。嬉しい。茜ちゃんは優しいね」
「おねえちゃんが死んだらわたしも死ぬから、気を付けてね……」
それは責任重大だ、と仄香は苦笑した。茜がいなくなればいくつもの異能力関係の研究が頓挫する。国にとっても大きな損失だろう。
研究棟の二階にある生徒用のシャワールームでシャワーを浴びた後、学校へ行く準備をする。シャワールームに入るための研究棟のセキュリティカードは茜が貸してくれた。職員に見つかって怪しまれないかとひやひやしたが、朝早いため誰とも会わなかった。
職場見学に持っていくのは、授業関係でのみ所持と使用を許可されている拳銃二丁と煙幕弾。実践練習で玩具は何度も使っているが、これは本物だ。何だかドキドキしながら鞄にしまった。
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学校の駐車場に行くと、既に生徒が大勢集合しており、現地に向かうバスが何台も並んでいた。担任の先生がこの職場見学でのグループ分け資料を配っていたので受け取る。基本的にはどこの課の見学を希望する者も三人一組の構成で、一人異能力対策警察のプロが監督として付く。
希望する第一課になれているか、緊張しながら資料に目を通す。
【 第一課 Aチーム 伊緒坂尚弥 一迅咲 紫雨華仄香 】
【 担当職員 志波高秋 】
「えええええええっ!?」
思わず大声を出してしまい、はっとして口を押さえた。周囲が怪訝そうに仄香を見つめているので恥ずかしくなる。
ひとまず深呼吸して落ち着いた後、見間違いではないかと思って何度も資料を見直した。
(志波先輩!? 何で!?)
志波は第一課のエースだ。任務で毎日多忙な存在。高校生相手に時間を取らせていいような立場の人間ではない。
「ああ、仄香、いた。金曜から寮帰ってこないから心配してたのよ? どこ行ってたわけ?」
ルームメイトの咲がほっとしたような顔で近付いてくる。一応、別の所で泊まるという旨の連絡はしていたのだが、詳しいことは伝えていない。
「ごめん、ちょっと妹と一緒にいて……。っていうか、咲、チーム分け見た?」
「ええ。まさかあの志波さんがうちのチームの指導者とは思わなかったから、間違いじゃないかって先生にも確認してみたわ。先生も驚いてるみたいだった。こんなこと初めてなんだって」
「だよね? 第一課も人手不足なのかな……」
「いや、それが、この見学授業に参加するって言い出したのは志波さんらしいわよ?」
「ええ?」
志波のファンとして、志波の性格は何となく掴めているつもりだ。有益でないことはしない、必要以上の仕事はしない――ただ、任せられた仕事は確実に遂行する、そんな性格。そこがかっこいいと仄香は思っているのだが、自ら高校生の相手をするような仕事を希望するというのは、志波のイメージから少しずれている。違和感を覚えた。
「しかも志波さんから、足手まといになるような生徒は俺のチームに付けるなって指示があったみたいで。よりによってあたしと伊緒坂尚弥が一緒っていうね」
本来、この授業のチーム分けはチーム内の生徒たちの成績の平均が均等になるように設定されている。学年で成績ツートップの尚弥と咲が一緒なのは不自然だと思ったが、そういうことらしい。
しかしまだ解せない点がある。
「じゃあ何で私がこのチームに……?」
学年成績一位二位を争っている尚弥や咲と違って、仄香の成績はぎりぎり二十位以内に入れるか入れないかだ。仄香以上に優秀な生徒は他にまだ沢山いる。
「あんたの科目全体の成績順位が低いのは、うちの学校が異能力至上主義だから。異能力関係の授業を抜きにした筆記の成績はかなり上でしょ、あんた。そういうところを買われたんじゃない? 自信持ちなさい」
咲が嬉しいことを言ってくれる。
確かに、武踏峰異能力高校のテストでは咲の瞬間移動や尚弥の電撃のような、移動速度や攻撃の飛距離など、数値で評価しやすい能力が圧倒的に有利だ。
未来視は評価基準が曖昧なうえ、成績評価に関係するような課題では一切活かせない能力のため、仄香は必死に筆記試験で点数を稼いでいる。そういった努力が買われたと思えば良い気持ちがした。
何より、憧れの志波と直接話すのは小学生ぶりだ。授業に集中しなければと思う反面、志波に担当してもらえて嬉しいという下心は少し生まれてしまう。
「何にやにやしてんのよ。ったくもう。気持ちは分かるけど、授業に集中しなさいよ? 特に第一課の見学は過去に死亡者も数名出てる危険な授業なんだから」
「う、うん、そうだね」
気を引き締めながら、咲と一緒にバスに乗り込んだ。
高校からバスで一時間。異能力対策警察の本部は、大都会の中心に建っている。そのビルの大きさに圧倒されながら、咲と一緒に駐車場に向かった。上を見上げれば首が痛いほどの高さだ。
別のバスに乗っていた尚弥は先に着いていたようで、仏頂面で志波の隣に立っている。久しぶりに直接見た志波は、小学生の頃見た時より大人っぽく、格好良くなっていた。
他の生徒たちはパトカーに乗り込んでいるが、志波が乗り込んだのは普通の車に見える覆面パトカーだった。警察という立場を隠しながら行わなければならない任務なのだろうか、とワクワクする。
「仄香が前ね」
咲がニヤニヤしながら先に後部座席に乗り込んだ。仏頂面の尚弥もその隣に乗り込む。残るは志波の隣の助手席しかなくなり、遠慮がちにドアを開いてそこに乗り込む。礼儀正しい生徒だと思われたくて、意識して足を揃え姿勢を正した。こんなに緊張したのは久しぶりだった。
志波が車を出し、運転を始める。バレない程度にその整った横顔を見つめた。志波の運転する車に乗れるなど夢のようだった。
(こんなに丁寧に運転する人があんな大量殺人を犯すなんて想像付かない……)
やはりあれはただの夢、あるいは能力発現直後の不安定さが生み出した幻想なのでは、などと思っていると、志波が淡々と告げてくる。
「今日は東京MIRAIタワーの下見だ」
その言葉を聞いた瞬間、体全体が冷えた気がした。
尚弥、志波、そして東京MIRAIタワー。最近視た未来と状況が揃いすぎている。
「明日、タワーをテロリストが襲撃するという情報がこちらに入っている」
異能力対策警察には、盗聴や追跡に特化した異能力者も多数存在する。犯罪を企てる輩の情報を事前に掴むことなど容易いのだろう。
「今回行うのは、その計画の関係者を捕獲する任務だ。君たちにも参加してもらう。ちなみに、他の人員は呼ばない」
志波と、高校生三人でその事態に対処しろと言うのか。さすがにそれは鬼畜なのでは、と思ったのは仄香だけではないようで、後ろから咲がその点を指摘する。
「お言葉ですが志波さん、その任務に同行するのは我々には荷が重いのでは?」
「だから優秀な生徒のみを集めろと指示したんだが、君たちはそうではないのか?」
しん、と車内が静まった。
志波はクールなヒーローとして人気な存在だ。一般的な善人として有名なのではなく、厳しい言葉をかける愛想のない男だが圧倒的な実力があって強い、という部分で多くのファンを獲得しているだけ。そこに優しさは一切ない。
車内に気まずい沈黙が流れる中、車は東京MIRAIタワーへと向かった。
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東京で最も高い電波塔。東京のシンボルとも言えるその場所には、外国人観光客も多くいた。
志波は車を出る前に顔を隠すようなサングラスをかけた。彼には顔が割れている有名人であるという自覚があるのだろう。
志波が下見に来ているところをテロリストの集団にもし見られたら警戒される可能性がある。そういう意味では、高校生複数人と一緒に来るのはカモフラージュになるかもしれない。
エレベーターで上に上がり、警戒すべき箇所の説明をされた。考えられるテロリストの侵入経路は複数あるらしく、そのどの地点においても警戒する必要があるらしい。志波の説明を聞きながら必死にメモを取る仄香のことを、尚弥はハッと鼻で笑った。
「一回聞いて覚えらんねぇのかよ。ダサ」
尚弥に悪口を言われるのはいつものことなので気にならない。それよりも――志波だ。並ぶと実感する高い身長も、思ったよりがっしりした体つきも、シワ一つない衣服も、細くて長い指先も睫毛も仕草も顔も、全てが仄香の琴線に触れる。
志波の説明は一言一句逃したくない。そんな気持ちで、仄香はメモを取り続けた。
一通り現場を見終わった後、主に食べ物とお土産店があるフロアに案内された。最先端の警備ロボットが巡回しているその様子を見て――それが夢で見たものと同じであることに気付く。夢の中でロボットは破壊されていた。そして、この形状のロボットは一年前に開発され、各施設に導入されたものだ。仄香はこのフロアにこのロボットがいることを見たことがあるわけではない。
やはりあの時見た夢が妄想ではなく未来視である可能性を強く感じ、仄香は思わず尚弥の服の袖を引っ張った。
「……尚弥。明日は休んで」
「あ?」
尚弥が威嚇するような低い声を出す。
「俺の成績下げようってのかよ」
「違う。尚弥、死ぬかもしれないから」
隣の咲がはっとした表情でこちらを見てくる。
「死ぬだぁ? この俺が? 舐めてんのか」
「信じられないかもしれないけど、可能性としては確かにあって……」
小さな声になってしまうのは、仄香自身自分の異能力に自信がないからだ。
視た未来が実際に起こった事例は今のところ一度しかない。そんなわずかな経験を頼りに、能力を発現したばかりであるにも拘らず『絶対起こる』とは言えなかった。
けれど、わずかでも可能性があるのなら防ぎたい。尚弥には休んでもらうべきだと思った。
「死んでからじゃ遅――」
「お前ごときが俺の心配かよ」
尚弥の傍に、ばちんばちんと電気が走る。尚弥がその気になれば仄香のことなど一瞬で殺せることを思い出す。尚弥の異能はそういう異能だ。
「この任務、お前だけ足手まといなの自覚してねーの? 逃げた方がいいのはお前の方じゃね?」
「――私の異能、未来視なの」
できれば尚弥には教えたくなかった。けれど、言っていることに説得性を持たせるためには暴露するしかない。
尚弥の眉がぴくりと動いた。
「未来視だぁ? クソの役にも立たねぇ能力種だなぁおい」
「ちょっと尚弥くん。言い過ぎよ」
「お前は黙っとけ」
咲が尚弥を窘めるが、尚弥はそんな咲を突き飛ばし、仄香の胸ぐらを掴む。
「いいか? 未来永劫俺に指図すんな」
「咲に謝って!」
「指図すんな、つってんだろーが!」
苛々した様子で怒鳴った尚弥に怯んで何も言えなくなってしまった。
「あーあーあーあー、何でお前みてぇな、ブスで成績も俺以下で何の取り柄もないような女が、茜の〝一番〟なんだよ」
続けて発せられた言葉に、拍子抜けしたような気持ちになった。尚弥に対して抱いていた罪悪感のようなものが薄れていく。
「……尚弥が私をいじめるのって、ただの嫉妬なの……? 私が茜ちゃんに懐かれてるから?」
怒りで握りしめた拳が震える。
「そんなことで私の教科書めちゃくちゃにして、生卵かけたの?」
「教科書だぁ? 何の話だよ」
尚弥の眉がぴくりと動く。とぼけるつもりらしい。
その時、買い物から戻ってきたらしい志波が仄香たちの間に入った。
「喧嘩は授業時間外にやってくれるか?」
その手にはお土産の東京MIRAIタワーのマスコットキャラクターの柄が彫られた煎餅が三セットある。
尚弥がちっと舌打ちして手を離す。仄香は自分のせいではないので謝りたくなかったが、「すみません」と一応謝った。
すると、志波は無表情のまま仄香たち一人ひとりに煎餅の箱を渡してきた。
「……これ、私たちに……?」
「この授業では担当者が生徒たちに土産を渡す慣習があると同僚に聞いた」
無愛想な志波がこんなことをするとは全くの予想外で、一瞬ぽかんとしてしまう。
「意外と優しいのね。志波さん」
こそっと小声で言ってくる咲にこくこくと頷いて同意する。同僚から聞いたことを守ろうとする意外な一面も好きだと思った。
その後はまた志波の車に乗り、一旦学校に帰ることになった。担当者は生徒たちを直接学校まで送り届けなければならないらしく、志波は一時間かけて運転してくれた。
道中、尚弥は一言も喋らなかった。
夕日に染まる学校の駐車場に着いた。咲がお礼を言ってから車を出る。礼儀など持ち合わせていなさそうな尚弥も、珍しく「ありがとうございました」と言って出て行っていた。
仄香も慌ててお礼を言って車内から出ようとすると、その手首を志波が掴んできた。
「お前は残れ。紫雨華仄香」
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