・岐路

第17話「背信」

 ──2月14日。快晴。

 ここ数日は晴天に恵まれていたが、その中でも今日は一番だった。

 早朝から雲ひとつない青空が広がっている。絶好の行楽日和である。


 ここはクバール国内、南西部の街。

 港町ミリバルから近く、馬車でも半日かからない距離にある。


 元々は街道沿いの集落で港町からあぶれた者たちが移り住み、やがて宿場町として機能するようになった。ギアリングとの国境が近く王都に続く街道の終点であったが、長らく終点それと認知されていなかった歴史がある。


 それ故に中央を当てにせず、地元の港と緊密となることを選んだ。

 ──ひとつの生存戦略とはいえ、苦渋の選択だった。


 決して平坦な道のりではなかったが、街は徐々に発展を遂げる。

 次第に人も物も集まるようになり、今や物資の集積地、クバール西の要衝としての側面を持つに至った。


 物々しい街壁に囲われた、堅牢な街の名はパスカールといった。


*


 運び屋一行がこの街に到着したのは昨日、夜のはじめ頃だった。

 馬なりではあったが一日中、走りまわっていたことになる。


 12日からの行程をあらためて振り返れば……


 昼から夕方まで走らせ、陽が落ちるまで休憩──それから勝手な行動を慎むよう、一同に釘をさすと夜間に移動する事を通達し、出発。馬は一定の速度を保ち、大体、人が急いで歩くほどの速さで進ませる。


 ……正直、夜間移動は効率が悪い。

 急がせれば予期せぬ転倒など重大な事故が起こる可能性が高くなるし、安全を重視すればこそ街道から離れられなくなる。そして街道は今、兵士が巡回しているのだ。 

 数日前より数は減ったとはいえ、遭遇すれば彼らに協力せねばならない。


 ──先頭の御者台には明かりを置かず、月明かりだけを頼りに夜目に任せて手綱を握る。車両の最後尾、幌には角灯ランタンを吊り下げて後続の目印にする。


 先頭車両と中間車両の人員も遊ぶわけにはいかない。

 馬車の後部から後続を見張りながら、停車まではぐれないように監視をする。

 その間、事故アクシデントが起こらないように──兵士などに進行を邪魔されないことをただ祈るのみだった。


 ──結局、約一時間の砂時計が三回転分の時間、馬車を走らせた。

 幸運なことに邪魔も入らず、事故も起こらず、逃避行は順調に推移した。


 ……その後、適当なところで停車して仮眠をとることにしたが、準備が整う頃には夜半に差し掛かろうかという時間帯であった。


*


 ──翌日、2月13日。疲労ひろう困憊こんぱいの中、夜明けを待たずに馬車は出発する。

 二時間毎に休憩を挟みながら御者も交代しつつ、急ぐよりも長く無理のない範囲で移動距離を稼ぐことに終始する。


 そして、朝靄あさもやの中、国境を越えてクバール国内へ進入──

 一路、南西の街パスカールを目指し……そうして、たどり着いたのだ。


*****


 ……朝っぱら、宿とは違う立派な商店の前に男はたたずんでいた。

 店の者にねだって恵んで貰った、贈答用ではない小さな葉巻をくわえ、味わいながら紫煙をくゆらせている。


 朝陽を背に浴びながら、男はぼんやりと店構えを眺めていた。店の両開き扉はまだ閉まっているが、人の気配がない訳ではない。準備中というだけだ。


 もっとも、それは知っている──

 何故なら男たちは昨日、この商店の中で寝泊まりしたのだから。


 ……今は人を待っている。

 なんでもやっこさんは一足先に起きて、整備倉庫ガレージへ顔出しに行っているらしい。


 店の者が気を利かせて、自分の代わりに呼び出しに行ってくれた。だからその間、小さな葉巻なぞを吸いながら贅沢に待ちぼうけていられる訳だ。


「…………」


 この街には<ラクレア>という商会の支部がある。

 今回、男に仕事を依頼してきた商会の──いや。実質的に雇い主と同義、か。


 ──ラクレア商会とは、クバール~ギアリング~スフリンクと西に進んで存在する大国『豊穣の国ラフーロ』に本拠を置く古い商業組織の一つで、その歴史は穀物の輸出業から始まる。その後、酒に代表される穀物の加工品や木材に染料など、販路の拡大と共に商売の幅も広げていった。


 ……そして今日こんにちでは南の大陸<ダフォール商会>を傘下に入れ、大陸の特産品まで取り扱うようになったのだが、それも随分ずいぶん前になる。


「おはようございます」

「おう。おはようさん」


 呼び出しに応じて戻ってきた見知った顔が挨拶をしてくる。ラクレア商会の傘下、ダフォール商会の人間だ。


 いつ身だしなみを整えているのか分からないが、旅程の最中でもだらしないところを見た記憶が無かった。今日も髭の剃り残しが見当たらないほど、深剃りを徹底している。男のように寝ぐせで一部といったこともなく、短い髪にも乱れた部分は一切なかった。……可愛げのない、几帳面な男だ。本名をトマス、といったか?


「念の為、馬を代えてもらうように手配しました。しかし──」

「……なんだい?」


「本当にいいんですか? まだ間に合いますよ? 馬車の方もここで乗り替えるべきなのでは?」


「あぁ、その話か……」


 男は葉巻を中ほどまで吸っていた。名残惜しいが、足元に捨てて踏みにじる。


「俺だって長い移動中に考えたさ……けどな、ここでの変わり身はやはり悪手だよ。もう十分だと見切りをつけて変化に逃げたい気持ちは分からんではないがね」


 男はそう言って、安心させるように笑いかける。

 だが、こちらに来てから提案された発想アイデアに未練があるようで、


「……計画は完璧だと思うんですがね」

「ま、そうだな」


 男もそれについては同意する。実際、予想もつかない方法だった。


 先方は商会の要人を運び屋にしようと言ってきたのだ。正確には要人の乗る馬車の隠し収納トランクに石像を入れて運ぶ、というものだ。

 要人の支部視察は一カ月も前から予定されていた。怪しまれる要素はない。


 その上で、時間をずらして堂々と港町ミリバルへ乗り込もうというのだ。

 例え町の門前で厳しくあらためられようが、商品はこちらの手元には無い。


 警備の視線をこちらが引き付けている間に、現地の整備倉庫ガレージで別の馬車に載せ替えられた商品は港に運ばれ、船内へ積み込まれる……そのような手筈になっていた。


「……ギアリングとクバールが結託して待ち伏せていると聞いた時は焦りましたが、これなら間違いなく衛兵をあざむけるはずです」


「しかし、俺たちがここに飛び込んだことでラクレア商会もまとになる羽目はめになった。それを忘れちゃいけねぇな」


「それは……!」


 この作戦に懸念けねんがあるとすれば、そこだった。


 彼らがラクレア商会を頼ってしまったことで共犯……いや。

 事が露見ろけんすれば、ラクレア商会こそ主犯の疑いがかけられることは必定だ。普通はどうしたって、距離をとらなければならない相手だ。


 強行軍のせいで馬だけでなく人にも限界ガタがきていたとはいえ、安易に親玉おやを頼ろうという判断はあまりにも浅薄せんぱくだった。


「……これ以上、こちらに迷惑はかけられんだろう?」


「私としましては──あの申し出は毒を食らわば皿まで、と腹をくくってくれたあかしだと思いたいですね」


「そうだなぁ……」


 男は涼し気に一理ある、といった風に同意した。

 会話の主導権は最後まで彼が握っていた。男は彼に向かって破顔すると──


「ま、こんな天下の往来で話すようなことじゃないわな! ははははは!」


 そう言って笑い飛ばし、店の中へ入っていく。

 誰が聞いているかも分からない。強引に会話を打ち切ったのだ。

 聞かれてまずい話もある。


 ……



*****


<続く>


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