後編 矢田京

第8話 恋愛相談

 若島は数日で落ち着いたようだ。危ないことをする様子もなく、もう誰かが見ている必要はなくなった。

 しかし、明らかに彼女から元気がなくなったのも事実だ。リーダー的な位置にいたはずの彼女は、佐藤の自殺によりすっかり影を潜めてしまい、今やみんなをまとめているのは乱橋になっていた。

 乱橋はオレたち男の中では、もっとも冷静で落ち着いており、頭もよく回る。佐藤の一件以来、若島のことをよく気にかけており、適度な優しさもある。顔面も程よく整っており肌も綺麗で、職場にいたら圧倒的にモテそうなタイプだ。

 それなのに婚活合宿に参加した、というのは妙だ。いや、もしかしたら彼には、裏の顔があるのかもしれない。実はドMだとか、救いようのないマザコンだとか。女性に引かれるような一面があるならば、納得のしようもあるだろう。

 とはいえ、オレにとってはどうでもいいことである。

 オレにとっての最優先事項は、ここから出ていくことなのだ。いい加減に運営のしっぽをつかんで、元の姿が分からなくなるまでボコボコにしたい。


 庭へ出ると、落ち葉が目立つようになっていた。ここへ来てから、もうじき一ヶ月が経とうとしていた。

「……秋だな」

 ぽつりとつぶやき、建物の裏へと回る。

 佐藤が落ちた辺りまで来て、オレは周囲をきょろきょろと見回した。監視カメラで見ているためか、あの後、佐藤の遺体は一時間ほどで回収された。そんなにすぐ動けるものだろうか、という疑問は常にある。

 ここにはオレたちしかいないはずなのに、やたらと運営の動きが機敏で的確な気がするのだ。やはり、近くにいるのではないだろうか。

 ――それならどこに?

 もう何度も見て回った箇所を、念入りに観察して回る。

 どこかへ通じる隠し扉があるのではないかと思っていたが、それらしきものはどこにもない。途切れずに続く地面と、乱雑に生えた雑草。その先にはフェンスがあるが、高圧電流が流れている線が張り巡らされていて近づけない。

 最初の頃ははったりの可能性を考え、木の枝を試しに投げたこともある。しかし、木の枝は見事に焦げた。迂闊に近づいたら、マジでやばいものである。

「クソ、マジでヒントの一つもよこさねぇのな」

 このゲームにおけるルールは詳しく語られず、知らされたクリア条件も曖昧あいまいなものだった。とりあえず「愛」があればいいらしいことは分かったが、結局、運営のさじ加減でどうにでもなるのだ。あまりにひどい。こんなのゲームですらない。

 佐藤の落ちた場所も、いつの間にか以前の形を取り戻していた。今では、どこだったか記憶しているものはオレ以外にいないだろう。

 あの時、上から見たオレだけが、その場所を正しく把握はあくしていた。


 外の敷地を一通り見て回ってから、オレは屋内へ戻った。

 玄関ロビーに入ると、女どもが何かを叫んでいた。

「聞いてるんでしょ、運営! 寒いんだから、新しい服をよこしなさいよ!!」

 背が高い竜野と、一時期オレにつきまとっていた長山である。

 彼女たちはカメラに向かって、自分たちの要求を叫んでいるらしかった。

「お布団も温かいやつちょうだい!」

 緑に囲まれたここは、元々空気のひんやりとした場所だった。いわゆる避暑地にあるのだろう。だが、季節が秋になったことで肌寒くなってきたのだ。

 うん、それはよく分かる。二泊三日分の服だけで、これまでやりくりしてきたことを思えば、むしろ褒めてほしいくらいだよな。

 そう思いながらも、彼女たちの横を通り過ぎていく。

 まっすぐ自分の部屋へ戻って、食事の時間まで昼寝でもしていよう。スマホがないから退屈でしょうがない。

 階段の踊り場まで来ると、下りてきた乱橋とばったり出くわした。

「運営のしっぽはつかめたか?」

 と、彼がたずねてきて、オレは仕方なく足を止める。

「ダメだ。マジでどこにも痕跡がねぇ」

「どこにもか?」

「ああ。この建物の中も、外も、何回だって探してるけど、何のヒントも出てきやしねぇんだ」

 思わず舌打ちをする。

 乱橋は「そういえば、地下にも部屋があるようなんだが」と、今思い出したように言う。

 しかし、オレはすぐに返した。

「前に行ったよ。けど、暗くて何も分からなかったし、人のいる気配もなかった」

「そうだったか」

 と、乱橋がうなずき、オレはさっさと歩き出す。

「こんなのゲームじゃねぇ、ただの迷惑な誘拐だ」

 つぶやいたオレに、乱橋が呆れたようなため息をつく。

 オレはかまわずに階段を上がっていき、自分の部屋へ向かった。


 夜、風呂から上がってあとは寝るだけという頃だった。

「矢田くん、君に相談がある」

 長谷川がオレの部屋にやってきて、懇願こんがんするように言った。

「オレに相談?」

 怪訝けげんに思って聞き返すと、長谷川は何故だか今にも泣き出しそうな顔をする。

「ああ、もう君にしか話せないんだ」

 何が何やらさっぱりだが、頼られたら悪い気はしない。

「分かった。座って話そう」

 と、部屋に最初から設置されている椅子とテーブルを手で示した。

「ありがとう」

 長谷川と向かい合って座り、オレは問う。

「で、何の話なんだ?」

「ああ、それが、その……」

 視線をさまよわせ、長谷川はため息をつく。そしてようやく本題を聞かせてくれた。

「間宮のことを、好きになってしまったんだ」

「……クリアじゃん、おめでとう」

 と、感情をこめずに返すオレへ、彼は少し憤慨ふんがいしたように言う。

「まだ間宮の気持ちを聞いてない。というか、誰かを好きになるのは、久しぶりなんだ。しかも七歳も年下の相手だ。どうしたらいいか分からない」

「そうか」

 同性愛者ゲイの恋愛相談なんて、ぶっちゃけオレには興味がない。

「でもお前、最近よく間宮といるよな」

「だからこそだよ、矢田くん」

 と、長谷川が再びため息をつく。

「一人者同士、仲良くやろうと思っていただけなのに、まさかこんなことになるなんて」

「そもそも男はオレ含めて、みんな一人で好き勝手やってなかったか? 間宮とあの二人は群れてたけど」

 少なくともオレはそう見ていた。間宮と東、唐木の三人が仲良くしていただけで、それ以外の男たちは特に親しくしていなかった。

 長谷川には複雑な思いがあるのだろう、何とも言えない顔をした。

「それはそうだけど、間宮だけ置いていかれて、かわいそうだったろ? 佐藤さんがいなくなってからは、特にしんどそうにしてた。だから一緒に映画を見たり、トレーニングをしたりして、少しでも彼の気持ちが前に向くなら、と思って」

「お人好しか」

「そうなんだよな。困ってる人を見ると、放っておけないタイプなんだよ」

 なるほど、長谷川はいいやつだ。しかし、それが今回、恋愛感情に発展してしまったということらしい。まあ、元々が同性愛者だしな。ありえない話ではない。

 オレは腕を組み、彼から視線を外した。

「そもそも、どうして好きになったんだ? 何かきっかけがあったのか?」

「いや、はっきりしたきっかけはないな。でも、三日前くらいから、可愛いなと思うようになって」

「でも、間宮は性格悪いだろ? 落とせそうな女のことばっかり考えてるし、あの佐藤にもつきまとってトラブったって聞いたぜ」

 長谷川は否定した。

「違うよ。間宮はただ、焦っていただけなんだ」

 ゆっくりと一歩一歩踏みしめるみたいに、彼は言う。

「実家にいる母親が、病気で入退院を繰り返しているそうだ。だから早く結婚相手を見つけて、母親を安心させてやりたかった。でも、こんなことになってしまったから、母親のことが心配らしい。それで一日でも早く帰りたくて、軽率な行動を取ってしまった。今では反省してるし、真面目に生きようともがいてるよ」

 そんなの、ただのお涙ちょうだいじゃないか。同情を得ようとしているだけのフィクションだ。そう思ったけれど、賢いオレは黙っていた。

「でも、彼はまだ若い。経験も浅いから、何をしても上手く行かず、空回ってしまう。そんな彼の話を聞いたり、一緒に映画を見たりしていたら……間宮のいいところも、たくさん分かってきて」

「ふーん」

「間宮が料理をできるようになったのは、小さな頃から、母親が病気がちだったからだそうだ。自分でご飯を作らないといけない日もあって、それで身につけたんだって言ってた」

 そう言えばあれ以来、食事は間宮が一人で作っていた。佐藤の作る料理の方が好みだったが、彼の作る料理もなかなか美味しい。

「ああ見えて、けっこう苦労しててさ。でも前向きに努力して、頑張ってきた人なんだ。軽率な行動や発言ばかりが目立つけれど、間宮なりに、ひたむきに頑張っているんだよ」

 長谷川へ視線を戻すと、彼は穏やかな顔をしていた。いかにも恋愛をしている顔だ。

 オレは困りつつも助言する。

「告白すればいいじゃん」

「そんな簡単に言わないでくれよぉ」

 と、長谷川がまたため息をつく。

「確かに、彼とは親しくなれたと思うけど、間宮はノンケだ。振られる可能性の方が高い」

「じゃあ、クリアできねぇな」

「そう、だよな」

「じゃあ、お前は何がしたくてオレに相談を? ただ話を聞いてほしかっただけか?」

 オレの質問に彼が押し黙る。

「どうしてオレを頼ったのか、言語化できないなら、この相談に意味はないな。オレはお前のくだらない話につきあわされただけ、ってことになる」

「……ごめん」

 長谷川が肩を落としてしょげる。しかし、相談とは往々にしてそんなものだ。

「告白できないって分かってるなら、他人を巻きこむな。でも、告白するための勇気が欲しかったって言うなら、背中を押してやらないこともないぜ」

「矢田くん……!」

 彼が目をキラキラと輝かせるが、すぐにまたため息をついた。

「いや、でもやっぱり無理だ。矢田くんだって、男からそういう目で見られてたら嫌だろ?」

 オレはうーんと考えこむ。

「そもそも、あんまり想像できねぇな」

「じゃあ、具体的に言うけど。仲良くしている男友達から、君の裸を想像して抜いた、って言われたら?」

 具体的になった途端に吐き気がした。想像であっても、性的な対象として見られるのはきつい。親しい友人ならなおさらだ。

「ないわ。すぐに縁を切る」

「間宮からしたら、そういうことなんだよ」

 なるほど、理解できた。長谷川が告白に踏み切れないのも納得である。

「ってゆーか、お前、あいつで抜いたのか?」

「……」

「マジか」

 長谷川の誰かに話したい気持ちも、なんとなく理解できてきた。どうしてそれがオレなのか、ということはまだ謎だが。

 オレはため息をつき、あらためて長谷川へ顔を向けた。

「可能性は低いかもしれねぇけど、やっぱ告白するしかなくね? お前が間宮に抱いている気持ちが本物なら、お前だけでクリアってこともありそうだし」

「俺だけクリアは、ちょっと嫌だな」

 と、苦笑する長谷川だが、オレは言った。

「一人でもクリアできると分かれば、残ったオレたちには希望になる。それだけでも、試す価値はあると思うぜ?」

 彼がきょとんとしてから気づく。

「そうか、そういう意味では確かにありかもしれない」

「曖昧なクリア条件の輪郭りんかくをはっきりさせるためにも、一人でもいいということが分かると助かる。まあ、結局は運営の気分次第なんだろうけどな」

 と、オレが苦々しく笑ってみせると、長谷川はくすりと笑った。

「そうだったな。でも、やるだけやってみるよ」

「おう、やる気になってくれたか」

「ああ。やっぱり、君に相談してよかった」

 と、安堵あんどした表情を見せ、少し恥ずかしそうに言った。

「矢田くんなら、予想のできないことを言ってくれるんじゃないかって、思ってたんだ。さっきは、言ったら気分を悪くされるんじゃないかって、言い出せなかった」

 何だ、きちんと言語化できたじゃないか。やればできるのに、まったく気の弱いところがあるやつだ。

「ありがとう、矢田くん」

 と、長谷川がにこりと穏やかに微笑む。いい方向に話が進んだことで、オレも満足してにやりと笑った。

「それならよかった。応援してるぜ、長谷川」

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