第2章 逃亡編

10話 フクロウ

 肺が痛む。ズキズキと。

 汚い空気を吸いすぎたんだ。


 僕らは学園が倒壊した翌日、王都の貧民街を歩いていた。

 黒く澱み汚染されたような空気が滞留している。崩れた道のりが、僕の足をもつれさせる。そんな街にいるのには、ある理由があった。

 その理由を語るには、今から少し前に遡る必要がある。



***



 今朝、新聞が。それも号外が街に大量にばら撒かれた。風になびかれ飛んできたその一枚を手に取り、記事を見た。

 『リトヴィア魔導学園襲撃!犯人は見つからず』と書かれた見出しの記事を読んでいくと、そこには『王は実行犯を捕まえたものには勲章と褒美を授けるつもりだ』と書かれていた。国の中枢をやられたのだ。絶対に犯人を見つけ、不安を取り除きたいのだろう。


 ベンチに座っていた僕は、その新聞をぐしゃりと握り、捏ねて丸めた後、付近のゴミ箱へ勢いよく投げ入れた。


「どしたんレイくん。怒ってんの?」

「怒ってる……というか、なんというか」


 僕は思わず顔を下に向け、顔をしかめる。


「みんなは生きてる。貴方がそう信じてあげなくてどうするの?」

「そうですよね。コクリアが、みんなが、簡単に死ぬわけない……。実行犯の金髪の男を見つけましょう」

「それ、殺すの?」

「当たり前じゃないですか。僕達の学校をあんなにしてはい終わりじゃ許されませんから。例え、四肢をもがれても……」


 僕がそういうと、ルピカは僕の握りこんだ拳を、両手で挟むようにそっと包んだ。


「?」

「レイくんは、一人で戦うわけじゃないんだから、背負い込み過ぎなくていいんだよ」


 優しく笑いながら彼女は言った。

 その言葉に、手が緩む。僕の心も、自然と和らいでいた。


 僕らに今一番必要なのは『情報』だった。

 リトヴィアで一番の情報屋『フクロウ』の居場所を探して、僕とルピカは一枚の手紙と地図を手に城下町を歩いていた。


 この手紙は今朝、僕の部屋へと届いたものだ。クリシュの執事、爺やが送り主だ。まさか死後にこうやって手紙が来るとは思わなかった。

 爺やもフクロウほどではないとはいえ、かなりの情報網を手にしている。僕の家が分かったのも、こうやって手紙が届いたのもその関係だろう。


 今回の僕の依頼も完璧にこなしてくれた。それから、嫌味なのか師匠の情報もひとつまみ。会いたいとは思っていたが、こんな形で知るとは思わなかった。フクロウから情報を聞いた後にでも探してみようかな。


「ルピカ行くぞ」

「まって」


 僕が情報屋のいる貧民街へと歩き出そうとすると、彼女は僕の手をつかんで引き止めた。

 ルピカはそのまま僕を手繰り寄せて胸に抱いた。

 なんだか1カ月前の、あの廊下での出来事を思い出すような気分になる。


「ちょっとごめんね?」


 僕の髪をかき分け、彼女は鼻を近づけると、すんすんと匂いを嗅いだ。

 昨日ちゃんと寮のお風呂に入ったし、変な匂いはしてないと思う。そう信じたい。


 一通り堪能したのか、彼女は僕から離れた。彼女の温もりが少し名残惜しい。

 ルピカは難しい顔で悩んだあと、僕に結果を伝えた。


「うん、やっぱり変わってる」

「変わってる?」

「前はへんてこな混ざったスパイスみたいな匂いがした。けど今は辛めのスパイスみたいな匂いが強くなっている気がする」

「そんなことってあるの?」

「わかんない。私も初めての体験だから」


 僕たちは少しの間立ち止まって考えた。


「色は感情で変化する。例えば、赤が感情によって薄くなったり濁ったりすることもあるらしいの。だから魔法使いは常にメンタルの調整が大切なんだよねぇ。もしかしたら、無色から有色に変化する可能性もゼロじゃないのかな」

「なるほどな。よし、とりあえず僕の匂いについて考えるのはそれぐらいにしよう。それよりも情報だ」


 ルピカは頷くと、僕に手を差し出した。

 そうか。契約したなら、もう気にする必要もないしな。


「行くぞ」


 僕はしっかりと、彼女の手を握り返した。


 貧民街。ここは王都の中でも特に酷いところだ。工場で働く人たちが溢れている。


 特に最近できた下水道の匂いは酷く、ルピカは思わず鼻をつまんだ。

 狭い通路に崩れた道のり。賃金が少ないと黒パン片手に叫ぶじいさんに同調する人達。地面で寝る浮浪者。とても王都とは考えられない世界だ。


「お金...…それか食べ物をください」


 気づくと、足元に僕たちより小さな子供たちが集まっていた。

 みんな工場帰りなのか、あちこちが汚れている。


「食べ物は無いけどこれならやったげれるよ」


 ルピカは手のひらから水を出した。子供たちは喜びながら水を浴びていく。

 気持ちよさそうに水を浴びる少年を見て、ルピカは顔を緩め笑みを浮かべていた。

 僕はカバンをまさぐると、ひとつの硬貨を取りだした。


「これでフットボールのボールを買ってきな。そして友達と遊んでやれ。お前はここの奴らが持ってないモンを持ってるって一躍ヒーローになれる」


 僕はそう言ってその子の頭を撫でた。

 思わずその子供の笑みが深まるのが見える。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」


 それを受け取ると、子供たちは喜んで走っていった。


「良かったの?」


 ルピカは首を傾げながら訪ねてくる。

 僕は振っていた手を下ろすと、彼女の方に向き合った。


「僕も、師匠に剣を教えて貰わなかったら彼らのようになってたかもしれない。だから、昔の僕を救うみたいな感じなんだよね。多少は便宜してあげたいんだ」


 はにかみながら言う僕を、ルピカはただ無言で見つめていた。

 そのまま貧民街の奥の方へと進んでいく。

 いくつかの角を曲がり、行った先にひとつのお店があった。


「レイくん、ここ?」

「あぁ、ここみたいだな」


 僕はバーの扉を開く。その奥からは、鼻の奥が痛くなるほどに甘い香水の匂いが流れ込んできた。


「……らっしゃい」

「……」

「好きな席に座んな」


 無愛想にこちらを見たマスターはコップを拭きながら言った。

 いくつもの視線が刺さる中、僕とルピカは中へと進んでいく。

 軋む木の床を歩きカウンターの席に着くと、マスターに注文をした。


「フクロウをロックで2杯。籠をつけてくれ」


 これはただの注文ではない。爺やの手紙にも『暗号の一つ』と記されていた。


「……お客さん、2杯目はどうする?」


 予想通りの返答が帰ってくる。思わず喜びで歪みそうになる顔を抑え、僕は返答する。


「バーボンを二つ。食後に鍵と一緒にください」

「これから混み合う。奥の部屋で飲んでくれ」


 マスターはそう言い放つと、僕らを奥の部屋へと案内した。

 ギシギシと音が鳴る階段を下る。この下が、貧民街の地下だと言うことは理解していた。


 この王都には地下への入り口が三つあるらしい。しかし、フクロウに会う為にはこのルートを通る必要があった。

 彼は警戒心がとても強いらしく、この地下空間の一角にバリケードを貼り、このバーの地下階段を下りドアを開けた先でしか会えないという。しかも、このしばらく行った先には家があり、そこに住んでいるそうだ。だから、バリケードを壊そうとしたら家の鍵を閉められ、窓もない家には入ることが出来なくなってしまうのだ。


「埃っぽいねえ」

「だいぶ長い事使われてないんだろ」


 僕らは階段を下り終え、ドアを開ける。

 奥には薄暗い空間が広がっていて、黒い空が広がっていた。ここはリトヴィアの地下のような場所で、地上から漏れた光だけが暗いこのフロアを照らしているのだった。


「臭いな……」


 近くにゴミ溜でもあるのだろうか?酷い悪臭立ち込める空間にうんざりしながら、僕らは道を進んでいく。


 肺が痛む。ズキズキと。

 汚い空気を吸いすぎた。僕は口を押さえ、ゆっくり道を歩く。黒く澱み汚れた空気が滞留するその通路の先にはたった一軒の家がある。僕はその家の扉をノックした。


「何すかぁ」

「フクロウさんですか?」

「……アンタ、バーから来たんすね。入ってください。ここの空気は臭くてなんか嫌なんです」


 奥に入ると、暗い空間に一つ、ランタンが灯されていた。テーブルは木製で手作りなのか、少々歪な形をしていた。テーブルを挟んで二つ置かれた椅子に座ると、奥からペストマスクを顔につけた男がぬっと顔を出した。


「俺がフクロウっす。んで、客っすよね?」

「そうです。お願い事が二つほど」

「その前に手紙を確認させてくんさい」


 僕は爺やの手紙を差し出すと、フクロウは眺める。手紙に刻まれた印を確認すると、たしかにと言って返してくれた。


「それは後で燃やしてください。それで何スカ?」

「イプリル=アーヴァンディって言う人を知ってますか?」

「……その人は王都のほうに居ますよ。それより、他になんか聞くことがあってきたんじゃないっスか?」


 勘が鋭いな。僕は用意していた新聞を取り出し、開いてリトヴィア学園の記事を見せつけた。


「僕は昨日のこの事件で消えた友人を探したいんです。大勢の人が死にました。死体の確認も出来てないから生きているかどうかも分からないけど、生きているならせめて居場所を知りたくって」

「……その情報はお高くつくんですわ。裏来てくださいよ。欲しいものがありやす」

「タダじゃないんですね」

「当たり前じゃ無いですか。こっちも情報屋なモンでして、あげれるもんとあげれんもんがあるんですわ。あ、おたく魔剣士さんですよな?剣持って来てくださいよ」


 僕はフクロウに言われた通り、剣を持って彼の後をついていく。バリケードの一面を外した向こう側には、少し広めのグラウンドのようなものが広がっていた。

 指示に従い、僕だけ少し離れて立つ。


「ここで、何をするんですか?」

「腕試しですよ。貴方が探してる人と。ね?」


 次の瞬間、後ろから殺気が飛んできた。僕は思わず前へと転がって振り向き、膝立ちで剣を抜いて体を守る。そこに鋭い勢いで剣が突き刺さった。


「ひっさしぶりやなぁ!レイぃ!」


 そこには見知った顔があった。

 長い髪の毛を首元で縛り、余った前髪を左右で三つ編みにしている彼こそ、僕の師匠のイプリル=アーヴァンディだった。


「しっかしまぁ!見ないうちにすんげぇデカなったなぁ!?なんぼ伸びたんや!」

「178です!師匠も元気そうですね!」

「元気も元気!全身が暴れたがっててしゃあないわ!」


 僕は彼の剣をいなしながら立ち上がり、剣に思いっきり力を込めて弾き、距離を取る。

 彼はニヤリと笑い、僕を見た。


「しかもお前、ええ姉ちゃん連れとるやないけ!お前、こいつの契約色素使いか?」

「は!はい!」


 唐突に声をかけられたルピカは驚きのあまり、うわずった声を出す。


「こいつ、手のかかる奴やろ!ほんま自由人で、制御が効かん。首輪をつけるんも一苦労な狂犬やほんま」


 師匠は剣を構え、地面を蹴り僕の方へ飛んでくる。剣を振ると見せかけ、僕の腹へ蹴りを繰り出し、蹴り飛ばした。真正面からそれを受け止めた僕は地面に転がり、お腹を抑えて嗚咽を漏らす。


「レイくん!」

「来るな!」


 駆け寄ってくるルピカを僕は一喝する。


「師匠は僕を殺せない。だから、大丈夫」

「何をアホな事言うてんねん。殺せないんやない。殺さんのや。お前なんて俺が本気出したらゴミみたいにすっ飛んで行ってしまうからなぁ」


 あっはは!と笑った師匠は剣を収め、僕の手を思いっきり引っ張り、体を起こさせた。


「フクロウはん。こいつは口が硬え。お前から情報が出たなんて、死んでも漏らさねぇよ」


 フクロウはペストマスク越しにため息をついたような声を出し、左右に手を広げた。


「分かりやした。では知ってる事全部話ましょうか」


その言葉に、僕達は顔を引きしめた。



***



 馬の蹄の音が鼓膜を揺らす。その度座席は揺れて、腰に負荷が掛かる。

ぼうっとした視界の中、私の前にはローブにを包んだ男がいた。


「応えろ」

「はい」


 男に応える。いや、元魔法論理学担当の先生か。はっきり言えば、私は少し前から催眠が解けていた。


 私は魔剣士科にいて無色のように見えるが、本当は無色ではなく、橙の色素をもっている。これには深い経緯があるが、今は置いておこう。

 私の橙は色相環から見ても桃に近い。さらに黄色素も含む為、黄色素の持つ光属性も持っている。


 よって私には洗脳の耐性があった。更にルミリスとよく練習することで、常に耐性を高めていた。

 彼女の桃の色素は薄い。しかし、魔力量や回数を重ねることでことでより強固な耐性を得ていた。


 だからこそ、ある程度の洗脳は効かないのだ。


「お前の名前はクリシュ=カリス。間違いないな?」

「間違いありません」


 襲われた時のことを思い出す。学校が壊れた直後のこと。そして一緒に攫われたコクリアとフィルエットのことを。

 私は歪みそうになる顔を押し殺し、淡々と質問に返していく。


 彼等にもそれぞれ監視がつき、別々の馬車に乗せられている。そのため、下手に手出し出来そうにないのが歯痒い。


 質問が終わったのか、男は紙に何かを書き始める。

 私は隙をねらい、髪留めに加工された熊の魔石を外した。私はそれを後ろに回した手の中に納め、魔力を込め続けるのだった。

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