Episode 斜陽

 敵。倒さなければならない存在。仲間。助け合わなければならない存在。敵とはなに。自分に危害を与えるもの。そうなのか。蠅やゴキブリは敵なのか。人に危害を与えるのか。おそらくそんなこととは関係なく殺されるでしょう。だって、気持ち悪いもの。

仲間とはなに。自分に利益をもたらすもの。そうなのか。あたしは腹が減っている。仲間が利益をもたらしてくれるのなら殺して喰っても構わないでしょう。仲間はわたしの為に存在するのだから。死んで頂戴。あたしの為に。死んで頂戴。あたしの欲を満たす為に。だって仲間なのでしょう。身を差し出す覚悟がなければ仲間だなんて言わないで。

 

女王蟻の為に働き、敵と戦って死んだ蟻は勇ましいと言われる。女王蟻の空腹を満たす為に喰われた蟻は可哀想だと言われる。おかしな世界。女王の欲望を満たした点では、二匹は同じ扱いを受けるべきでしょう。

 

人も同じ。玩具を買い与えて悦ばせてくれた父も、死の念慮を抑えられなくて死んでくれた父も等しく感謝されるべき。父の仕事とはこどもを悦ばせることなのだから当たり前。

 死んで。みんな死んで。あたしの快楽の為に。だって、同じ仲間でしょう。


暴挙。ひとしきりラクササの肉や内臓を喰い散らかした利里は、目を赤く光らせたまま翔に飛び掛かり首を締め上げる。翔はなんとかそれを引き剥がし、転んだ利里と少し距離を置いて語りかけたわ。

「何するんだよ、利里。僕だよ。誰よりも君を愛している翔だよ。目を覚ましてよ。いつもの優しい利里に戻ってよ。」

 利里はその言葉に耳を傾けるつもりはない。優しい。誰が?利里が。彼女は可笑しくなって笑った。起き上がり、再び翔に向かって全力で立ち向かい、手刀を向けた。翔は両手でそれを防ごうとしたが、その壁を突き破って手刀は翔の左胸に突き刺さったわ。利里は翔を敵だと判断したわけではないの。ただ、腹が減っていただけ。そう。腹が減っているだけで、これまで充分に自分を愛してくれた翔を殺して喰いたくなる。食欲とはそんなに怖ろしいものなのよ。それを抑制する為にクレイシアは造られた。人が生きものを襲って、殺してまで喰わなくてもよい為に。

あたしはクレイシアで食を満たすこの時代の人が愚かしいと思ったことがあるけど、実はそれは正しい判断なのかもしれない。

 

「あなたはわたしを尊重してくれるのでしょう。なら、ここで餌になって頂戴。わたしはまだ腹が減っている。あなたが満たして。あなた、わたしとひとつになりたいと思っていたでしょう。今、叶えてあげる。あなたはわたしの身体に取り込まれることが出来るのよ。」

 翔には利里の声がはっきりと聞こえる。しかし、利里はもう喋るという人固有の能力を失ったようだ。退化したわけではない。直接、脳に語りかけるという術を手に入れたの。

 

致命傷を負った翔はまだなにか利里に訴えているが利里の耳には届かない。もちろん、利里の耳が機能を果たさなくなったのではない。翔が利里の脳に訴えかけるという術を持ち合わせていないだけだ。ただ、翔の口が動いているのでなにかを訴え続けるということを利里は理解した。なにを言っているのか分からないし、耳を傾けようとする気もない。まだ餌には抵抗するだけの底力があるのだろう。喰う為にはその動きは邪魔くさい。利里は翔の身体に手刀を刺したり抜いたりを繰り返し、とどめにレッドの首を捻じ切ろうとした。

「僕の命はどうでもいいからいつもの利里に戻ってよ。無理をしてでも笑顔を作る優しい利里に。本当は弱いくせに、力強そうに振る舞う利里に。尊厳のある利里に戻ってよ。」

 それが翔の最期の言葉。そして首と腕をだらんと垂らしたジャナンレッドの遺体は千切られて利里の腹の中におさまった。ジャナンが死ぬと空気と同化して消えるのではなかったの?それはちょっと違う。ヒトやジャナンが共食いをすることは禁じられていたが、共食いをされたしばらくは遺体はその場に残るのだ。それは自分のことを喰えと主張しているよう。ジャナンレッドの遺体を利里は喰らう。犠牲になった翔に有難味を感じることもない。力を持て余している自分が貧弱な動物を喰ったくらいにしか思っていないの。その様子はクリプジオンの本部のモニターに映し出されていた。気持ちが悪くて吐き気を催すもの、悍ましくて目を逸らすもの、この先どんなことが起きるのか不安と期待に焦がれるもの、様々だった。

 その様子を見ていた葉月とマヤは同時に呟いたわ。


「デイバ化している。」


 同じ言葉を発してもふたりの表情はまったく対照的。葉月は怯え、マヤは笑っていたわ。この世の浄土化にはデイバと最後のジャナンとなったレッドの遺体が必要なのだが、デイバを殺す術が葉月にはもうないの。それに対してマヤが目論む地獄化にはすべてのジャナンを滅ぼすことと葉月の遺体さえあれば成就してしまう。葉月はマヤのこの世の地獄化の計画の詳細や発動条件などを知っていたわけではないが、それを阻止する為にはデイバを葬らなくてはいけないとは勘付いていた。デイバがいかなる存在なのかを知っていたのではないの。そらからもデイバについての情報は与えられなかった。それはつまり、デイバのことを知っていたとしても葉月の力では何の抵抗も出来ないということでしょうね。

 

この世にもう、ものもジャナンも存在しない。デイバが次に標的とするのはクリプティッドである葉月かマヤに決まっている。どちらが先にデイバの標的になるのかは定かでないが、葉月はすぐにデイバを迎え撃つ準備に取り掛かったわ。デイバとの戦いは一瞬で決着がつくだろう。葉月にはたったひとつの対抗策しかない。

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