Episode 卑しいたたかい


 利里はヒトとして理想的な状態にあるのではないかしら。

ヒトは人の進化形ともいえるが、人はもともとヒトだったとも言える。生きる以外には興味がないのね。

「利里。しばらくはこの器の中で静かにしておいておくれ。どうしても人が喰いたくなったら僕を喰ってくれ。それでも足りなければこのクリプジオンの中にいる人を喰ってくれ。きっともうここには世界を幸せにする力なんて残っていないんだ。みんないなくなってしまった。僕ひとりでは敵を滅ぼすことなんて能わないよ。どうせ死ぬなら利里の中に吸収されたい。」

「誰でもいいわ。人なんてどれも味は一緒。」

 翔は随分落ち込んでしまったが、まだ萎えてはいなかった。希望があると信じていた。利里を助ける、元に戻す為の必要条件は、ものをすべて倒すことだろう。それだけで利里が元に戻るとは思えないが、まずはそれを為すしか思い当たらない。もしかしたら利里の体内には穢れが混じっているのかもしれない。だから、「もの」のように人の肉を求めるのだ。時間をかけて利里の血液を浄化させなければいけない。

 彼には知るはずもないが、この世に降り立つ予定の「もの」はあと一体。そして、デイバが一体。それを幼い少年ひとりで打ち負かすことが可能なのだろうか。


 残り一体の「もの」。残り二体の敵。クロロが滅し、利里がヒト化した戦闘から一月が経つ。未だに攻撃をしてこないマヤのことを葉月は少し侮っていたわ。手の内にジャナンジャーがある。それに怖れをなして沈黙しているのだと思い込んでいたの。ただ、葉月にはひとつ不安がある。利里を保管する為には予想以上の穢れが必要なの。ラクササが供給する穢れの量より、利里が消費する量の方が少し上回っていた。ラクササの供給する穢れを貯蔵している余裕はないわ。ラクササから流れ出る穢れをすぐに利里に与える為に、ラクササは日本海底からクリプジオン本部に移されることになった。クリプジオンに移動したラクササはこれまでより順調に穢れを流すようになったわ。まるで、死にかけの身体が健康体に戻ったように。

 それは現実。マヤはそらとの最後の交渉でラクササの復活を望んだ。そして、それは受け容れられたの。ただ、ラクササは今すぐ起動はしない。葉月とクリプジオンの真の狙いを探っていたのよ。ラクササは自分と利里の力を互角であると判断した。北の枕の位置情報も確認した。それはマヤの地獄化計画を成し遂げる為にはなんとしても手に入れなければいけない沙汰。ラクササはマヤの課した問題をほぼすべて解決した。あとは出来るだけ利里が弱っているときを待つだけ。ラクササは意図的に血を流すのを止めた。利里はどんどん穢れを消費する。いずれ、穢れは底をつきて、利里はやむを得ず毛細血管の外に出された。利里は葉月と面談する。どうにも意識がぼやけているみたい。間もなくおにが現れるだろう。あなたの使命はそれを滅することだと葉月の指示を受けたが、まったく興味や関心を示さない。おに。あのおかしな形をした蠅のことか。あの程度の生きものを殺す為にわたしを起こさないでくれ。まだ、眠気がおさまらないのだ。利里は退屈そうにあくびをしたまま第十六会議室のソファに寝転がってしまった。

この機会を逃す手はない。マヤはラクササに起動命令を出した。突然動き出したラクササにクリプジオンの軍事部隊が対応出来るはずがないわね。  

欲を持つもの。人に近いもの。まずは目をはっきりと覚ましていない利里を殺すことが最優先だとマヤは羅刹に命令した。羅刹が利里の目前に迫ったとき、翔がその場に駆け付けた。翔は善戦した。力ではラクササに及ばなかったはず。ただ、利里を守りたいと必死だったの。人の為に自分の命を投げ出すという無謀な行動は翔には初めてだったかもしれないわ。これまでは、人を守る為に人の目の行き届く場所でしか戦ったことはない。クリプジオンの本部でおにを殲滅しても民からの賞賛はない。せいぜいクリプジオンの職員から感謝されるくらいだろう。そんなもの求めてはいない。今回の戦いは誰かに認めて貰う為の戦いではないのだ。守るべきものを守る為の孤独な戦いなのだ。しかし、徐々に戦況は羅刹優位に傾く。羅刹は他のおににはなかった意思とか欲望というものがあった。生きものを殺したい。この世で最強の存在になりたいと欲張っていたのね。その意識は戦うもの、敵の命を奪おうとする為にはとても重要なもの。欲は希望に変わる。希望とは為し得て初めて意味を為すもの。満たされるもの。欲深い羅刹はこれまでのおにとはまったく違う意欲を持ってジャナンの前に立ち塞がった。

 

このままではいけない。最後のジャナンとして生き残らなければならないレッドに危険が迫っている。使えるものは利里しかない。葉月は利里の目を覚ますことにより懸命になった。だが、利里はその声に反応しない。手段を選んでいる暇はない。葉月は禁断の言葉を口にしたわ。

「あのおにを喰ってきなさい。」

 利里は僅かに反応したわ。葉月の顔を見つめた。人である利里なら関心を示さないし、欲も湧かないはずね。ただ、利里はもう人ではないの。ヒトになってから初めて強い欲を感じた。手足が震え出す。おにとはどんな味がするのだろう。あれだけ引き締まった体なのだから大層喰いごたえがあるだろう。よくよくおにの姿を想いだせば、旨そうな身体をしていた。利里の欲求は解放された。

おにが喰いたい。その気持ちを抑えられなくなり、真っ黒な大きな瞳を赤く光らせて羅刹の元へ走って行ったわ。

 

翔がラクササと対峙している。翔が押されているわ。利里は翔を認識しているのかいないのか、思い切り蹴り飛ばした。ラクササと目を合わせた途端、利里の食欲は限界に達した。口から涎、いや、穢れを垂らした。利里を殴ろうとしたラクササの手を掴み、ラクササの関節の可動領域を超えるくらい捻って千切った。それは驚くべきことよ。羅刹はこれまでの「もの」とは比べものにならないくらい力が強かったのだから。おにの弱点は首である。それを脳で覚えていたのか本能で知っていたのか、利里はラクササの首に噛み付いた。もう、とにかくおにの肉を腹におさめないと堪らないのだ。しばらくの間、ラクササの穢れだけを身体に吸収して食欲を抑えていた。目の前には実に美味そうな肉があるのだ。それに魂があろうが、抜け殻であろうが関係ない。魂が残っていればその灯を消してしまえばよい。抜け殻であるのなら、まずは首から喰ってしまえばよい。

ラクササは強力な生命力があるのでなかなか死なない。いや死ねない。利里はそれの手をもぎ、足を喰い千切った。穢れのついたままの肉を美味そうに微笑みながら喰い漁る。 


一部始終を目にしていた翔は嘔吐した。

体の一部を千切られる度にラクササの身体から大量の穢れが舞う。それをいくら浴びても利里は食事を止めないわ。


 本来、クリプティッド同士の共食いを神は禁じていたはず。喰ったものが喰われたもののエネルギーを吸収し、その力を制御できなくなること、喰った側の精神状態に異常をきたすことが理由。別に神が喰った側のクリプティッドの精神を犯すのではない。喰った側のクリプティッドの神経、精神が勝手に壊れてしまうのだ。自制が利かなくなる。理性がなくなる。欲求を抑えられなくなる。快楽に溺れる。そうなってしまったクリプティッドは常に空腹を感じて、喉の渇きを訴えて愚行を何度も繰り返すしかない。かつて、寛永の時代にクロロは「おに」を喰った。そのせいで人間とは識別されなくなった。ヒト化に失敗してジャナンスーツに吸収されたのよ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る