Episode 21 非と


 利里は人の肉が喰いたい。それが異常なことだとも意識してはいない。利里にとっては当たり前のこと。人はそういう己の欲を剥き出しにするものをエゴイストだと言って非難する。果たしてそれはそんなに非難されることなのか。ならば人の正しい欲求とはなんなの。他の人と同じものを求めることが正しい欲なの?進むべき道なの?そんなものでは人は満たされない。あなただけの欲求や望みを叶えることで満足するのではないのよ。もっと素直に欲に従った方がいい。本当にあなたが欲しいものはなんなのか。女の身体。富。名声。もしくは自己実現。なにを求めようとも他人に批判されることなど気にすることはないわ。あなたはあなたの好きなものを求めればいい。好きなことをすればいい。なにも他人と同じものを求める必要なんてない。そんなものを手に入れても虚しいだけだから。


あなたは、あなたの欲の為に日々努力をしているはずだから。いい加減に他人の目を気にするのは止めなさい。安定した生活を手にしてもつまらないことだと知りなさい。そう心掛ければあなたもヒトになれる。


 翔は利里に会いたいと葉月に懇願した。利里は一日の殆んどの時間を眠って過ごしている。食事をすることも、誰かと話をすることもない。ラクササの毛細血管の中に浸けられていたとしてもクリプティッドである葉月となら意思の疎通は出来るはずなのに。翔が利里の前に立ったとしてもなにも起こるはずがないわ。翔の申し入れをむげに扱って戦うモチベーションを下げられてしまっても困ったことになる。デイバを倒すまでは翔に生きていて貰わないといけないのよ。翔は解析室に通された。そこで、ラクササの毛細血管に浸けられている利里とふたりきりになったわ。

「利里。僕だよ。逢いに来たんだ。目を開けてくれないかな。」

 利里は翔の言葉に反応して目を開いた。もっとも、相手が翔だと認識していたからなのかは定かではないけど。

「気が付いたのかい。よかった。みんなずっと君のことを心配しているよ。もちろん僕もね。ねえ、そこから出てこないか。利里の声が聞きたいよ。気にしなくても君に酷いことをする人なんていないから。」

「ここから出たらなにかいいことがあるの?」

 意外なことね。利里は翔の脳に直接話し掛ける力を身に付けているみたい。

「なんでも出来るさ。利里はなにがしたい?どんなことでも叶えるように僕が頑張るよ。」

「食事がしたい。」

「それはいい。利里はもうしばらく食事をしていないから。なにか美味しいものを食べよう。総司令にお願いしてここから出て一緒にご飯を食べに行こうよ。なにが食べたい?」

「肉。血の付いた肉が喰いたい。」

 翔は少々戸惑った。この時代に生肉なんかを提供してくれる店などないもの。いや、探せば闇営業をしているそういった店もあるかもしれないわ。だが、翔はそんな店とコネクションなどあるはずもない。

「人でいい。人の肉。出来れば生きているやつがいい。」

 利里はさらに無茶な要求をする。

「利里。そんなことは無理だよ。生きている人間なんか喰えるはずがないじゃないか。例え死んでいても人の肉なんて喰うべきじゃない。」

「ならいい。どうしても喰いたくなったらここから出て勝手に喰うから。」

 僅かな会話しかしなくても翔は利里がどこか変わってしまったと察知していた。体調が悪いとか、気分が悪いとかそういうことではないでしょう。もっと根本的ななにかが変わってしまったの。それを元に戻してやるのが翔の使命だと彼は疑わなかったわ。

「利里。人を喰いたいなんて思うべきじゃないよ。なんだか利里らしくないよ。今はきっと心が不安定なんだ。落ち着けばそんな欲求はなくなるはずだよ。」

「そう。わたしは欲求に従っているだけ。そして、それを封印するつもりは一切ないの。」

「そんなバカな。それじゃあ変態的なエゴイストじゃないか。想い出してよ。君は優しい人だったんだ。その気持ちを取り戻せば、きっと元に戻るから。」

「わたしは過去のわたしになんか戻りたくない。過去のわたしは貧しかったから。今の方がずっと気持ちよく暮らしていけるわ。わたしはあなたの言葉の意味が分からない。変態的なエゴイストとはどういう意味なの?」

 利里は嫌味のつもりで質問したわけではない。本当に翔の言葉の意味が分からなかったのよ。翔もそうだと認識したから説明をするわ。

「エゴイストとは自分の快楽を最優先して、他人の利益を軽視する者のことだよ。自分さえよければそれでいいと考える人のことなんだ。」

「それでいいじゃない。わたしはエゴイストで間違いないと思う。わたしはわたしのことにしか興味ない。わたしだけが満足出来ればそれで充分なの。満腹になればいいの。他の人のことなどどうでもいいわ。」

「ダメだよ。いいわけないじゃないか。人は他人との繋がりを持って和と為すから生きていけるんだ。ひとりの力では生きていけないんだよ。お互い力を合わせて生きていくんだ。そんな大切な存在を喰ってしまったら繋がりを築けないじゃないか。」

「繋がり。そんなもの必要ないわ。わたしはひとりでも喰っていくことが可能なんだから。」

「利里。生きていくということは喰っていくことだけじゃないだろう。この世は人と係わらないで生きていける世界ではないだろう。想い出してよ。利里は他人想いの優しい人だったじゃないか。」

「喰っていくこと以外に必要なものってなに?人は食事と睡眠さえあれば生きていけるわ。他人は喰いもの。それ以外になにかわたしの役に立つとは思えない。わたしは他人想いでも優しい人でもないわ。生きていく為の欲求が満たされれば他にはなにもいらない。」

 利里は強がっているわけでも突っ張っているわけでもない。人からヒトに変わってしまった利里の本音を話しているだけなの。 

 

あたしは別に人を喰いたいとは思わない。ひとりで生きていけるほど強いとも思っていない。ただ、利里の言うことが分からないでもない。利里には協力というものが必要ないの。ひとりで自分の欲求を満たすことが叶うのだから。利里の望むものはもう、自己実現の欲求などではない。食欲と睡眠欲だけなのだ。力は充分にあるし、生きものを殺すことにも躊躇いもないので、餌を捕らえることは難しくない。睡眠とは静かで温かい場所があれば満たされる。


 利里のように欲が限界まで削ぎ落とされた心理には憧れすら感じるわ。欲深いあたしは欲に振り回されて随分苦しんだ。友達や家族との関係も、成績も学校の評価も気にしていたから息が詰まりそうだった。

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