Episode 19 子宮

 約束。おとなとこどもの約束。守れなくても責任をとらなくてもよいもの。問題は約束を守る為にどれだけの努力をしたのか。我慢をしたのか。約束を守る為の途中経過を懸命に過ごしていれば結果はあまり問題にはならない。こどもが結果を残せなくても、経過が納得するものであればおとなはこどもを咎めたりしない。それどころか褒めてさえくれる。おとなが結果を残せなくても、経過が納得出来るものであればこどもはおとなを責めたりはしない。それどころか感謝の気持ちが湧いてくる。

 

おとな同士、こども同士の約束はそういうわけにはいかない。途中経過など関係なく結果だけが重要視されるのだ。守れない約束はもとよりしない。必ず約束が守れるものであろうと信頼しているのだ。だから、約束を守れないものを許せない。怒りすら憶える。それ以上に哀しみを憶える。なぜ約束を守ってくれなかったのかと相手を責める。おとなとこどもの約束は願いである。おとな、こども同士の約束とは契約。だからこどもはおとなとの約束よりこども同士の約束を優先して守ろうとするの。


クロロは葉月の浄土化計画のすべてを知っている。最終的には自分が最後のジャナンとなり、デイバを殲滅してから自らの首をはねて死ねばよいと考えているわ。そのことになんの憂いも迷いもない。ただ気になるのはイエロージャナンの様子。日々、進化し続けるイエローを自分の手で殺せるかを心配しているの。葉月は解析の結果を見る限りブラックの性能が上回っていると信じている。葉月は自身が死ぬ日を「はじまり」と呼んでいた。この世がひとつの大きな危機を超えて新しい世界を創りだす聖なる日になると考えていたから。

マヤとそらが交信をする。マヤの意思で造られる、「もの」は残り二体で間違いないのかと確認した。二体の他にデイバが現れるとそらは言うが、デイバはマヤの希望に関わらずそらの意思で用意するらしい。

マヤはしばらく悩んだ。この世を地獄化する為にはどんな「もの」を造りだせばよいのか。次に造り出す「もの」には少なくとも一体のジャナンを殲滅して貰わなくてはならない。マヤは目標をブラックに絞った。ブラックは寛永の時代からの生き残りだ。残り三体のジャナンのうち一番やっかいなのはブラックで間違いない。マヤは寛永の時代にブラックを最も脅かした酒呑童子の復活をそらに願った。願いは通じ酒呑童子は復活した。寛永の時代に二体のジャナンを殲滅させた強力なおにである。そしてクロロを狂気に追い込んだおにである。


酒呑童子は宮城県仙台市に放たれた。葉月はこの戦いで酒呑童子の命と引き換えにジャナンが一体は死滅するだろうと予感していた。おそらくはマハラプラーになるだろう。マハラプラーには充分仕事をして貰った。そろそろ、みなもとの命を吸収するべき時期だと考えていたわ。マンジュリーでも構わない。扱いがとても面倒な存在になってきたから。


三人のみなもとはジェット機で仙台まで運ばれる。クロロは利里と二人きりのときに呟いた。

「これが君と言葉を交わす最後の機会になるかもしれないな。」

「そんなことは言わないで。みんなで協力して「もの」を退治しましょう。そして、みんな揃って東京に帰りましょう。」

 クロロの表情がいつもよりずっと険しかった。だから、利里はこんな返事をしたの。もう、大切な人を亡くすのは嫌なのよ。だからこども同士の約束をした。お互い生きて帰ろうと。

 

仙台で待ち受けていたおには異形。身体の大きさがジャナンと比べて三倍くらいもある。腰に酒の入った瓢箪をぶら下げており常に酒をあおっていたわ。両脇に女を抱えており、時折その女を裂いて喰う。葉月はおにを攻撃する為の作戦を三人に伝えた。

 

イエローがおにの両手を押さえ、レッドが腰にしがみつき身動きが取れなくなったおにの頭部にブラックがナイフを突き刺す。事態は作戦通りに進んでレッドとイエローが酒呑童子の身体を押さえ付けた。いざブラックが酒呑童子の頭部にナイフを刺したときに突然敵は嘔吐した。吐き出されたのは酒だけではない。穢れが大量に含まれていたの。それを浴びたブラックは目眩がして立っていることさえ難しくなったわ。ジャナンスーツが敵の吐いた穢れに反応したのだ。イエローとレッドも酒呑童子を長い時間押さえ付けることは出来なかった。やがてふたりは振りほどかれて投げ出されてしまう。酒呑童子はイエローが女であることに気が付いたのであろうか。イエローを捕まえようとするが、マヤが、

「ブラックを捕獲しなさい。」

と大声で叫ぶ。酒呑童子はその命令に素直に従った。ブラックは酒呑童子に捕まったが、クロロならなんとかしてくれると葉月も翔も利里も信じていた。しかし、それは虚しい希望。誰にだってどうしようもない危機に巡り合うの。約束が守れないこともあるのよ。ブラックは首を強く絞められてしまう。イエローがそれを阻止しようとするが、酒呑童子が再び口から吐き出した穢れの力でイエローは身動きがとれなくなってしまったわ。怯えて立ちすくんでしまったレッドに葉月は怒鳴りつけた。

「なんとしてもクロロを助けなさい。あなたが身代わりになってもいいから助け出しなさい。」

 人の身代わりになって死ぬ。そんな勇気も覚悟も翔にあるはずがないじゃない。レッドが怯んだその隙に酒呑童子が振り回す刀によって彼は腕を切られるという傷を負ってしまった。


 太くて大きい敵の手によってブラックの首が捻じ切られるまでにたいした時間はかからなかった。

「ごめんよ。お母さん。僕がこの世界を救わなくてはならなかったのに。それが叶えられないのが申し訳ない。サトバ、いやヒトの力でこの世界が守られるように祈るしか能わなくなってしまった。ボクは自分の満足のいく時間を過ごしてきたつもりだった。身体も心も鍛え上げてきたつもりだ。それでも、やはり力不足だったのだろう。女に溺れずもっと修行にいそしめば、こんな結果にならなかったのではないかと多少の後悔はある。だけど、後悔するような時間を過ごしたボクも含めてボクは満足だ。どうだろう。お母さんはボクのしてきたことに満足してくれるだろうか。それがなにより気掛かりだ。」

「満たされるわけないじゃない。あなたはわたしの息子なのよ。あなたがどれだけ懸命に生きてきたとしても、わたしより先に死ぬことなんて受け入れられないわ。持てるすべてを費やしてそこから逃げ出しなさい。あなたはこれからもっとたくさんの幸せを掴む義務があるわ。お願いだから死なないで。あなたが死んだらわたしはどうすればよいのよ。あなたの為にもわたしの為にも生きて頂戴。」

 クリプジオンの本部指令室で葉月は喚いた。

 

人の親子ならごく自然な言葉なのでしょう。だけど、葉月とクロロは血も繋がってもいないし、この世に存在した時間もクロロの方がずっと長いのだ。それでもふたりがお互いを母親とこどもの関係であると信じ込んでいれば、そんなことは関係ない。葉月の蒼い瞳とクロロの瞳に涙が浮かぶのはごく自然なことなのよ。

 

やがてクロロは滅することになる。そしてブラックスーツは消えた。クロロは死に際に後悔もしなかった。惨めでもなかった。無念もなかったのよ。人が死ぬときというのはそういうものなの。四百年以上生きた彼だからこそ、そんな情緒になったわけではない。誰でもそう思うの。老人だろうが、赤子であろうが。色んな心地が入り混じってもちろんなの。それが死の味。怖ろしくもあるが甘美でもある。そのことを知っているから人という生きものだけが自死というものをするのでしょう。


そして、人は誰であろうと死ぬ前に必ずこう思う。「悲しい。」クロロにとっては初めての感覚だったかもしれないわね。なにが悲しいというわけではないの。充実感もあったし、楽しかったことも想い出す。だが、だからこそ悲しくなる。やがて意識は薄れていき悲しさだけを感じながら生きものは死んでいくのよ。


利里はクロロの悲しそうな表情を確かに見た。悲しいのは利里も一緒だ。こんなときどうしたらいいのかと母に問うた。母は、

「悲しみを力に変えなさい。」

と助言した。

「殺す。殺す。殺してやる。あんたが望まなくてもここで死ね。死ね。あんたはゴミだ。百回泣いて死ね。」

 娘は悲しみ、涙をこぼす。母は娘を愛おしみ、労わる。それは当たり前のことかもしれないけど、美しい繋がり。実はふたりの心がそんなに通じ合うこともない。その当たり前が起きたとき、ふたりは揃って前向きになる。大概は娘の進みたいと願う方角に母も向き直るのね。後ろからやって来ていつの間にか母を追い抜いた娘が、母の手を握って道を辿るの。

 利里も母の手を握り締めた。そして母の前を歩き、母を誘導した。そこは天国ではない。花園でもない。平坦な道でもない。修羅だけが通ることが許される焼き尽くされた道。母は娘の歩む道を否定したりはしない。苦痛を共にしてくれる。だけど、今回だけは利里の行く道は母が導くべきだったかもしれない。利里が選んだ道は一度踏み入れたら後には引くことの出来ない人の道から離れたものだったのだから。

 利里が人の道を踏み外して二、三歩進んだときにジャナンイエローは強い光に包まれた。それを見ていた葉月とマヤは同時に呟いた。

「ヒト化している。」

 

マヤは酒呑童子にイエローを殺すように命じたが、光の壁が邪魔をしてイエローに近付けない。発光をやめたときにその場に立っていたのはイエロージャナンではなく美園利里だった。利里は大きく飛び跳ねて酒呑童子の腰に足を絡めてしがみ付く。何度も酒呑童子の顔を殴打し、その頭が垂れたところでその首を絞めて、最後には噛み付いて首を切り落とした。酒呑童子は大量の穢れを噴き出して息絶えた。その穢れを浴びたせいか、利里はその場で意識を失い倒れ込んだ。


「行かなきゃ。」

 身体の感覚のずっと先で利里は呟きを繰り返した。どこに向かおうというものではない。とにかく前に進まなくてはならないのだ。行き着いた先になにが待っているのかもしらない。興味も無い。どうせあっても地獄くらいのものでしょう。この世界よりは幾分ましだろう。だが、肝腎な脳が傷んでいるから、もうその場で眠るしかなかったの。


 人型戦闘兵器ジャナンジャー。ヒト化したジャナンを葉月とマヤはそう呼んだ。ヒト化すると外見はみなもとの姿になるの。完全にジャナンスーツを取り込んでしまうので、ヒトをジャナンスーツとみなもとに分離することは不可能。もしもヒトが死ねば、どんな形であれスーツも消え失せる。スーツの回収は出来ないの。

 クロロは寛永の時代にヒト化しかけたが、なんらかの理由でヒト化に失敗。逆にジャナンスーツに取り込まれてしまった「もの」。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る