Episode 変な女

戦いの拒否。数日後、「もの」が福島県相馬市に現れた。それぞれのジャナンのみなもとはクリプジオンのジェット機で現場に急行する為本部に至急集まるようにと指示があった。しかし、利里はジャナンスーツを纏まったままベッドから起き上がろうとしない。

今すべきことはもっと母と会話を重ねて、頭の中にあるたくさんの疑問を解決すること。利里は葉月の呼びかけにものと戦う意味が分からないから行きたくないと言ったわ。やはり強がっていても彼女もまだこどもなのね。

 

その日現れたものはジャナンのみなもとの記憶を操作する力を持っていたの。クロロがそんな力に打ち負けるわけがない。ものは翔に狙いを切り替えたわ。ものと目を合わせた翔は幻覚を見た。幼い頃の記憶が蘇る。母と、父と公園で仲良く遊んでいる風景が目に浮かぶ。母はとても優しく、穏やかな笑顔で走り回る翔を目で追っている。対照的に父は難しい顔をしながら翔に見入っている。幼い翔は父の機嫌が悪いのを察した。

「どうしたの。お父さん。僕なにか悪いことしちゃった?」

 無邪気な息子は父親にも笑って欲しくて、にこやかに話し掛けた。父、神谷啓は厳かに言う。

「翔。大きくなりたかったら肉を喰え。」

 翔は元気よく答えたわ。

「うん。僕、大きくなってお父さんみたいに強くなれるなら何でも食べるよ。」

 父親が翔に差し出したのは人間の片腕のようだった。

「それを喰え。まだ鮮度は落ちていないから生でも喰えるだろう。俺の息子ならば喰いたいと感じるはずだ。」

翔の顔は暗くなり、怯えているようだわ。

「こんなの食べられないよ。だって、これお婆ちゃんの腕じゃないか。お婆ちゃんはどうしたの。」

「俺が喰った。俺の食欲は極限まで達したのだ。俺は生き続ける為にはなんでも喰わねばならない。人としての欲求を開放するのだ。それが人らしいということだ。」

「そんなの人らしいとは言わないよ。お婆ちゃんを食べたりしたらいけないよ。例え食べたくなっても食べちゃいけないし、そもそもお婆ちゃんを食べたいって思ったら人らしくないよ。」

「そんなことはない。お前も喰え。母親でも俺でも。必ずその日はくる。欲求を満たすことは人として恥ずべき行為ではない。誇らしい行為なのだ。お前も俺の息子ならそういう気概を持って生き続けろ。」

 少年は懸命に異論を唱えた。

「そんなのおかしいよ。僕のお父さんはそんなこと言わないよ。お腹が空いたからって家族を殺して食べようなんて言わないよ。お父さんは誇りの高い人なんだ。欲求に負けたりなんかしないよ。お前なんかお父さんじゃないよ。偽物だ。お父さんの恰好をした悪魔なんだ。お父さんを返してよ。そしてお前は死んじゃえよ。」

翔は確かに気が狂った。しかし、「もの」の予想とは違う行動をとった。目の前のものを父親の顔をした偽物だと認識。翔にとって父親とはあまりに偉大な存在なの。なにかを伝えたければ幼い翔にでも分かりやすい言葉で教えを説いてくれるのよ。そして、それはいつでも翔を納得させる立派な言葉だった。今みたいに理不尽なこと、納得出来ないことを押し付けるおとなではないのだ。だから、目の前に現れた父が偽物であると嗅ぎ分けられたのでしょう。

「偽物、偽物。お前はお父さんの偽物だ。死ねよ。」

 そう叫んで翔はものの首を絞めた。自分の父親をバカにされたような気がしたようだわ。自分はいくらバカにされても、笑われても構わない。ただ父親は崇高な人なのだ。大事な人なのだ。父を侮辱するものはみな敵であると認めるのは当然。

「お父さんを弄んだな。バカにしたな。見下したな。お前は絶対許さない。百回痛い思いをさせて殺してやる。お前の大切なものも同じように殺してやる。殺してやる。お前も早く死んじゃえよ。」

 首を絞められたものはまだ生きている。翔はこれまで「もの」を殺すことだけを意識してきた。せめてなるべく苦しませずに息の根を止めてやろうと心掛けてきた。滅することが目的であるが、翔は心からものを憎んではいなかったのだから。


しかし今日は違う。執拗に「もの」を痛めつけた。「もの」の手と足の骨を一本ずつ折った。「もの」の目に指を指し込んで視界を奪った。舌を引き抜いて声を奪った。死なない程度にものの身体に手刀を突き刺した。

 もう傷付ける部位がないとなると、翔は再びものの首を絞めて喚くの。

「まだ死なないのか。なら謝れ。僕のお父さんをバカにしたことを謝れ。早く死にたいだろう。死ねよ。死ねよ。早く死ねよ。」

 ものはもう反応出来ない。やがてものは気を失ったようだ。した。それでも翔は首を絞める力を緩めない。遂には「もの」の頭と身体を切り放した。噴き出す穢れを存分に浴びてしまってその場でうつ伏せに倒れてしまったわ。クロロは翔の戦いの一部始終を立ち尽くして見ていただけ。身動きがとれなかったのね。過去の自分も同じように激昂しておにを殺したことがある。翔の気持ちはよく分かるし、そんな風に怒りをおににぶつけることも悪くない。ただ、憎しみが強すぎておにを喰ってはいけない。そんな気配がない限り翔の好きにすればよい。いつもの気概に欠けた翔はおそらく自制しているだけで、ときには開放も必要だろう。眠ってしまった翔を優しく抱いてクロロは帰還した。


戦う気力を失った兵士。後日、利里は葉月に呼び出されてクリプジオンに向かった。利里はものと戦うことの意味を強く疑っている。人間も必要に応じて他の動物を喰らう。「もの」が人間を殺したり、喰らうのは必然ではないのか。なぜ、クリプジオンはすべての「もの」を殲滅しようとするのか。葉月は答える。どんな動物でも黙って喰われることはない。可能な限り抵抗するものだとね。ものと戦う理由は人類の滅亡を防ぐ為とは言わない。クリプジオンは人が動植物を喰らうことも悪だと認識している。人がサトバを喰らうことは許されない。クリプティッドであろうがサトバを喰うということは穢れた行為なのだ。サトバは誰かの欲求を満たす為に死ぬべきではない。だから人を喰らうものは殲滅しなければならない。目の前に現れた捕食者を撃退するのは自然な行動だと諭すが利里は戦う気力が湧かないわ。戦うのはそれを好むものがやればいい。自分はジャナンとしての資格がないのだと言い、ものとの接触を拒否した。葉月は問い詰める。利里の大切なものを守る為に戦う必要があるのではないのか。  


利里は俯いたまま答えた。自分にはなにが敵でなにが味方なのか分からない。クリプティッドである葉月やマヤにも恐怖を感じる。今は味方なのかもしれないが、いつか人を脅かす存在なのではないか。そんな予感がするから葉月の指示には従えない。葉月は利里の頬を平手で激しく叩いた。

「わたしのことが憎いならいつでも殺しなさい。ただし、それはあなたのエゴよ。サトバ同士の共食いも許されないけど、自分のエゴだけで人を殺すのはもっと大きな罪になるのよ。狂人になりたければわたしを殺しなさい。人でいたいのならわたしの言うことを聞きなさい。そして敵を倒すことだけを考えなさい。」

 葉月の蒼い瞳が普段よりずっと煌びやかに怪しく輝いた。おそらく怒りによる現象だろう。クリプティッドだって怒りはするのだ。怒りとは人だけに与えられた感情ではない。ほとんどの生きものがそれを持っている。そして、それを乗り越える為に普段以上に力を発揮するのだ。身体的な力の場合もあるし、精神的な力の場合もある。


利里は葉月に従うことにしたわ。葉月の言葉に納得したわけではない。そもそも、我儘が許されるとは本心では思っていなかった。ちょっとだけ葉月を困らせてやろうと思っただけなの。利里にとって一番大切なのは母。つまりはイエロースーツ。それを没収される可能性がある行動を利里がとるはずがない。

こどもとは不憫なものね。自らの幸せを保つためにはおとなの機嫌をとらなくてはならないのだから。


 利里は何の為にものと戦わなくてはならないのかという疑問の答えを嗅ぎ分けることが能わない。別にものとは利里にとって憎らしいだけの存在ではない。ものと戦うときはいつも母の声をたくさん聞けるものなのだ。ものは利里にとって必要な悪だと言える。際限なくいつまでも現れてくれればよい。それを倒し続ければ母は悦んでくれるのだから。利里の思考には矛盾が多い。母と語らう為にものの出現を望んでいる。しかし、それを殲滅することが自分の使命なのだから。

 利里は己を幼いこどもだと知っている。なぜならものを利用して母と話がしたいという願望を満たしているからだ。世の中の為、正義の為にものと戦っているわけではない。己の満足の為にものを利用しているだけなの。ものが現れれば多少なりとも人が命を落とすわ。利里はそれを無念だとは思わない。人を守ることが目的ではないのだ。母と声を掛けあいながらものを殲滅することが重要なのだ。それくらい認めてくれ。最後にはものを倒すのだから。自分の欲求を満たしてくれと願う利里はやはり正しくこどもなのでしょう。


 翔はものと戦うことになんの疑問も持ってはいなかった。それは自分の仕事なのだ。

別に「もの」とは憎らしい存在ではない。「もの」を倒すことで自分の存在価値を認めて貰えるものだと思い違いしていたのだ。「もの」は翔にとって必要な悪だと言える。際限なくいつまでも現れてくれればよい。ものと戦う能力を持った人は限られているのだ。そして、自分はその数少ない人なのだ。己の存在価値を実感することが叶うのだ。翔の心理には矛盾が多い。自己実現の欲を満たす為に「もの」の出現を望んでいる。命を懸けて人の命をものから守りたい。ものを殲滅することで自分のことを褒めてくれる人が増えるのだ。「もの」が現れれば多少なりとも人が命を落とすわ。翔はそれをとても無念だと思う反面、そうあって欲しいものだと深層心理で願っている。犠牲になった人が多いときに、「もの」を倒せば尚更人々に悦ばれるのだから。僕に任せてくれ。期待してくれ。必ず怖ろしい「もの」を倒してみせるから。葉月やクリプジオンに課された使命をまっとうしようとする翔はおとななの。

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