Episode 15 不安

 そら。この世界を創った存在。この世界とはなに。世界のこと。地球のこと。宇宙のことなの?

あたしもそこまでは知らない。でも、すべての生きものを創ったのはそら。地球上の動物はすべてが微生物が進化して生まれたものではない。無からそらが創ったものもある。あたし達もそらに造られたもの。猿が進化して人の形になったものもいるし、そらに創られた人もいる。人はみな母の身体から生まれてくる。だけど、母の身体に命を植え込んだのはそら。

 そらとはなに。答えは簡単。今、あなたの頭上にある蒼く、あるいは黒く広がっているもの。生きものは感傷的になったとき自然とそらに話し掛けたくなる。ただ、返事は絶対にない。あたし達の声などそらには面白くないから。だけど、もし話が通じるならあたしは聞いてみたい。なぜ、あたしを創ったのだろうか。


クロロはマヤと話したこと、彼女の正体のすべてを葉月に報告した。返答は意外なものだった。

「あの子が般若の化身であることは想像していたわ。ただ、目的も能力も分からない。なにかそれについて分かったことはないの?」

「申し訳ないけどそれはなにも分からなかった。ただ、昔と変わらず戦闘能力はないのではないかな。女の心を乱す能力しか特別な力はないのではないかな。イエローの子が狙われる危険性が高いのではないかな。」

「別に構わないわ。イエローの子は被験者なのだから。色んな意味で。あの子がジャナンスーツを纏うことのリスクは承知している。それでも、あの子を利用して知りたいこともたくさんあるのよ。」

 葉月が利里を使って知りたいと思うことは、女の持つ力というものだ。女には男のみなもととは違う特徴を表すことに気が付いていた。クロロは納得して自らベルトのスイッチを押して姿を消した。

 

その日の夜。葉月ナミは指令室の中でそらに呼びかけた。呼びかければいつでも応えてくれるそらではないが、今日はすんなりと意思の疎通が出来た。

「計画が遅れているわ。ジャナンの処分も考えなくてはならないのだけど、ものは一体あとどれほど存在するの?」

その問いには答えられないとそらは言う。葉月以外にそらに接触している者にはマヤも含まれているのか言う問いに、そうだとそらは答えた。そらは葉月とマヤのどちらの味方なのかと問う。そらはどちらの味方でもないと答える。葉月はそらがこの世界が浄土化するのとを望んでいるのかと問う。そらは、あまり興味はないと答える。この世界は人による極端な支配を受けている。それがより加速した姿も見たいし、人間の滅んだ世界も見てみたいと答える。葉月は自分があと何年生きられるのかと問う。それには答えられないとそらは答える。デイバはもうすでにこの世に存在しているのかと葉月は問う。それには答えられないとそらは答える。例の計画通りにことをすすめれば、本当に自分は四体のこどもを生んで死ぬことが出来るのかと葉月は問う。間違いなくその通りになるとそらは答える。最後に葉月は問う。自分の進んでいる道はこの世界に幸せをもたらすものなのだろうかと。今の世界よりは間違いなくよくなるだろうとそらは答えて、それ以上の質問には応えなくなってしまった。そらと葉月の関係はこの程度のものだ。


同日。マヤはそらに呼びかける。葉月がクリプティッドであることは承知しているが、クリプジオンの中にもうひとりクリプティッドがいないかと問う。もうひとりいるとそらは答える。将来クリプジオンにクリプティッドが増える可能性があるのかとマヤは問う。それには答えられないとそらは言う。一体、あと何体のおにを作りだせるのかと問う。四体だとそらは答える。その数にはデイバも含まれているのかと問う。含まれてはいないとそらは答える。そらはマヤと自分のどちらの味方なのかと問う。そらはどちらの味方でもないと答える。マヤはこの世界が浄土化するのと地獄化するのかどちらを望んでいるのかと問う。マヤの追求する世界の地獄化の方が望ましいと答える。マヤは例の約束を全うすれば、本当に自分の望む地獄を作りだすことが出来るのかと問う。必ずその通りになるとそらは答える。自分はあとどのくらい生きられるのかとマヤは問う。それには答えられないと空は返す。自分は願いを成就して世界を地獄に変えられるのかと問う。それには答えられないとそらは答える。最後にマヤは問う。自分の進んでいる道はこの世界に幸せをもたらすものなのだろうかと。今の世界よりは間違いなくよくなるだろうとそらは答えて、その後はマヤの問い掛けになにも応じなくなってしまった。そらとマヤの関係はこの程度のものだ。


 勇気。興奮。(もっと長く)マヤとそらが会話をしているときに、翔は利里の部屋の前に立っていた。明かりがついているので利里は部屋にいるのだろう。なかなか思い切って呼び鈴を鳴らせない。翔には利里に伝えたいことがあった。その言葉を口に出すのには大変な勇気が必要だ。何度も何度もその言葉を出す練習をして、やっと呼び鈴を鳴らした。無警戒に利里は玄関のドアを開けたが、そこに立っているのが翔だと分かった瞬間に自分の姿が見えないようにドアを少し閉めた。

「なによ。こんな時間に。何か用?」

「なんだよ。何か用事がないとここにきちゃいけないのかい。」

 そう言った翔は後悔した。ふたりは心を許し合った恋人ではないし、友達だとも言いづらい関係なのだ。余程の用がなければここに来られる立場ではないのだ。

「あの、ごめん。たいした用事じゃないんだけど利里に伝えたいことがあって。」

 利里は強引に翔を追い出したりしなかった。おそらく、翔はなにかを求めているのだろう。利里も少しだけ気の小さい翔に気を許すようになっていた。ただ、あくまでジャナンレッドの操縦者としてだけ。ジャナンではないときの翔はやはりどこか苦手だ。

「あの。もしよかったら今度僕とどこかに遊びに行って貰えないかなと思って。」

「どこかってどこよ。」

「利里の好きなところでいいんだ。遊園地とか水族館とか。」

 もしも正好が生きていたなら、利里は誘いに乗らなかったかもしれない。

「じゃあ、水族館に連れて行ってよ。言っておくけど、全部あなたのおごりだからね。わたしが付き合ってあげるのだからそのくらい当然でしょ。」

「うん。いいよ。水族館に行って遊んだら美味しいご飯でも食べようよ。利里と出かけられるなら僕はなんだってするよ。」

「それならいいわ。だけど、いつ出かけられるのかなんて分からない。出かけられる日になったら呼びにいくからいつでも出られるように部屋で準備していなさい。」

そう言って利里は勢いよく玄関のドアを閉めた。利里の大きな瞳はいつもより余計に大きくなっていた。これまで、自分の瞳が大きくなるのは怒りを感じたときだけだと自覚していた。つまりは興奮したときだ。別に自分を遊びに連れて行ってくれると言う翔に怒りは感じていない。では、なぜ瞳が大きくなったのか。興奮していたことには変わりはない。ただ、怒りではなく悦びを感じていたのだ。利里に問い掛ければそんなことはあるはずがないと答えるだろう。利里は自分の心の動きを感知することも苦手だし、素直でもないからね。利里はベッドに仰向けになって天井を見ながら呟く。

「なんであいつはわたしなんかを相手にしてくれるのだろう。何の成果もあげていない、ただの凡人なのに。」


 利里は自己実現も果たせない、戦いでたいした実績もない自分のどこか気に入られるのかが分からない。


愛。正好は頑張ったときには褒めてくれた。成果を残したときに愛してくれた。翔はなにもない利里を愛してくれる。一体どちらが幸せなのだろう。正好に好まれる自分は好きだ。翔に好まれる自分は好きではない。せめて、翔が利里のどこを好んでくれるのか知りたい。恋愛とは相互理解がなにより必要だと勘違いしている。


 翔は触れたいと望む。なにに。色んなもの。特に利里に。触れれば、相手と心を通わすことが出来ると信じているから。両手で利里の肌に触れたい。それは人が持つ最低限の欲求。食欲よりも性欲よりも睡眠欲よりも人の根底に染み渡る欲望。もっと触れたいと思うのはもっと知りたい、もっと親密になりたい、もっと溶け合いたいから。人とは個体では感じない。誰かと繋がり、溶け合っているから気持ちがよいのだ。傍に誰もいなければ人は満足しない。もっと感じさせたい。この手で触れれば感じさせることが能うはずだから。感じてどうするの?感じさせてどうするの?

 自分が生きていることを実感したいの。誰かを気持ちよくさせることが出来るのだと証明したいのだ。そう。感じられれば、感じさせれば寂しくはない。だから翔は利里に触れたいのだ。お互いに気持ちよくなれるはずだから。生きていることに悦びを感じるはずだから。利里が好きなんだ。だから触れたいと思うんだ。男にとって当たり前の感情だろう。僕を男でいさせてよ。利里に触れたいと欲望くらい持たせてよ。


 利里はマンションの屋上でそらを眺めていた。なんだか身体が熱い。頭も熱っぽくてぼんやりする。こんなに力が入らないのは久方ぶりだ。そんなときになにを想うのか。利里は触れられたいと望む。誰に。色んな人。特に翔に。触れられればお互いを理解出来ると想っていたから。頭、肩、胸、性器、太もも。それは利里が持つ根っからの願望。触れられれば相手と繋がることが出来ると信じているから。触れられたいと思うのはもっと知りたい、もっと親密になりたい、もっと溶け合いたいから。翔と繋がり、溶け合えれば気持ちよくなれるだろう。触れて欲しいのはクロロでもなければ、もちろん正好でもない。翔の手で触れられればたくさん感じられるだろう。感じてどうするの?翔はきっともっと自分を求めてくれるだろう。

 自分が愛されていることを実感したいのだ。男に感じさせられる身体であることを証明したいのだ。感じさせてくれるのならば寂しくはない。だから利里は翔に触れられたいのだ。お互いに気持ちよくなれるはずだから。触れられると悦びを感じるはずだから。翔のことは好きではない。だけど、あの子ならわたしの身体を悦んで触れてくれるだろう。

翔は欲情してくれることだろう。わたしを女でいさせて。男に弄ばれたいという欲望くらい叶えてよ。


 そらはなにも言わない。利里の声などそこまで届かないのだ。だが、利里の心は少しは楽になった。心の奥底に隠してある本音を漏らすだけでも楽になるものだ。ただ、心の奥底にある言葉など簡単に口には出来ないのだけど。


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