Episode 6 弱い男と強い女

 正義感。あたしには理解出来ないもの。納得いかないもの。正義とはなに。人の道にかなって正しいこと。人の道ってなに。正しいとはなに。規範や規準に対して乱れたところがないこと。それって正しいの?

違うと思う。規範や基準とは所詮誰かの都合に合うように人が造りしもの。

 

覚悟。当たり前のこと。危ないこと、難しいことを予想して、それを受けとめる心構え。危ないことも難しいことも毎日訪れる。だから人は必ず覚悟を持っている。特別な人だけが持っているものではない。待ち受けている危ないこと、難しいことの大きさによって多少必要な覚悟の量が違うだけ。覚悟とは受け容れること。立ち向かうことじゃない。受け容れることは立ち向かうことより力がいる。あたしは覚悟も勇気も持たなかったから苦しかった。立ち向かうべき問題はたくさんあったけど、あたしは見て見ぬふりをするしかなかった。


 不条理。釈然としないこと。満足しないこと。悔しいこと。利里はクリプジオンに呼び出された。ジャナンスーツを纏って実践演習を行うらしい。演習の相手はジャナンシルバー白木正好。以前、解析室にてシルバースーツとイエロースーツの能力を見比べたことがあったわ。その結果によるとイエロースーツの能力の方が高いのは明らかだったのだが、実践演習となるとまるでシルバーに歯が立たない。演習は途中で打ち切られた。納得のいかない利里はケイコに掴みかかって問う。なぜ性能の高いイエロースーツが無様に負けるのかとね。ケイコの答えは明確だった。ジャナンスーツの能力はイエローが上回っていてもそれを操るみなもとの能力に差があるらしい。シルバーは正好が身に纏うことにより「正義感」と「覚悟」が大きく上昇すると言う。その数値は並みの値ではないのだって。これほど「正義感」と「覚悟」を持ったみなもとはいないのよ。そして、「正義感」と「覚悟」はジャナンスーツの性能を向上させる大きな要因なの。  


利里は不思議と合点がいった。年齢は正好の方がひとつだけ上だったのだが、それ以上にやけにおとならしく、いや男らしく憶えていたのだ。演習が終わった後、利里は思い切ってふたりで公園で話をしようと誘った。人が苦手な利里にしては随分思い切った行動だと思うでしょう。だけど利里は表情を強張らせて正好を誘ったのではない。顔の筋肉を支えていたワイヤーが取れたみたいに穏和な顔を見せた。人が苦手なのに不自然だって?あなたはなにも知らないのね。女というのはそういうものなのよ。


関心。不可思議。正好は快く受け容れてくれた。ふたりは公園のベンチに座って話がしたかったのだが、ベンチは雨で少し濡れている。正好はズボンのポケットからハンカチを取り出して利里の座る場所の湿り気を綺麗に拭き取った。他愛のない話をしながらごく自然にね。そして利里の手を握ったまま隣に座った。素敵なことだと思わないかしら。利里は随分久しぶりに女として丁寧に扱われた。


やはりふたりのやりとりは「もの」に関する話になる。まったくロマンチックではないけどそれは仕方のないことでしょう。利里にとってはそれは寂しいことではない。折角正好と話がすることになったのに、つまらない話などしたくない。なら、一番自分達に身近なものについて話をすることが心地よいだろうと見做した。正好は利里とは違って随分と「もの」を憎んでいるようだわ。弟の仇討がしたいのだって。正好の弟は正則という名のふたつ年下の幼い子供だったらしい。正好より先にジャナンを操る者としてクリプジオンに仕えていた。正好には知るはずもないが、生贄として葉月に目を付けられたみたいね。


やはり弟は戦闘には向いていなかった。最初に出会った「もの」に殺されてしまったのだって。弟の無念を引き継いで正好自らがジャナンシルバーになることを葉月に志願したの。悔しかったのでしょう。憎らしかったでしょう。「もの」が、おとなが。「もの」に怒りを憶える気持ちは当たり前よね。だけど、正好はおとなと呼ばれる人も憎んだ。正則を戦いの世界に引きずり込むというおとなの判断が間違っていたのだから。だから実は葉月もケイコも信頼してはいないのだって。理由こそ違うけれど、おとなを信頼しないというのは利里と同じだ。正好は自分の考えで動き、必ず「もの」を全滅するのだと熱く語った。その顔色には照れ臭さや恥じらいなど感じられないわ。利里に読み取れたのは情熱くらいね。


理解し難い人の気持ち。自分は持っていない感情。利里は正好の戦う理由に疑問を持ったわ。もう死んでしまったことが明らかな人の為に命を懸けるというのはどういうことなのだろう。別に正好の行動の原理を否定するつもりではなかったわ。利里は両親がどこかで生きているという希望がある。だから戦える。道の先には幸せが待っていると信じているのよ。正好の行く道の先にはなにがあるのか。せいぜい自己満足くらいのものではないのだろうか。それを得たところで正好は幸せなのだろうか。もしかしたら更なる悲しみと虚しさを背負うのかもしれない。

 

利里は遠回しに正好になぜ、亡くなった弟にそこまで固執するのか尋ねた。

「もういくら「もの」を倒しても弟さんは帰ってこないのよ。」

「それは分かっているさ。もうなにが起きようが弟は帰ってこない。だけど、敵討ちがしたいのだ。「もの」はすべて滅してみせる。弟を殺した「もの」は、もうすでに殺したけど、他の「もの」にも死ぬこと以上に悔しい、痛い思いをさせてやりたい。「もの」はすべて許さない。そして、僕と同じように肉親を「もの」によって奪われる人を極力減らしたい。利里はもちろん、翔やクロロだって同じこと。こんなに悲しい思いをするのは僕で最後にしたい。「もの」はすべて殺す。僕の為にも、他のすべての人の為にも。」


正好の語る理想はちょっとだけつまらない。もっと詳しく言うと正好の「正義感」が想像していたよりつまらない。殺された弟の敵討ちをしたいという気持ちは分からなくはない。だけど他人の悲しみの原因となるものを排除する為に戦うというのはどういうことなのだろうか。家族が殺されてそんなに悔しい想いをするのは正好だけかもしれないのよ。あたしの性根が腐っているからかもしれないけど、きっと両親を殺されても悔しい想いはしなかっただろう。もちろん悲しいけどね。父と母はあたしが守るべき存在ではないのよ。あたしが守らなくてはならなかったのは可愛い弟。その弟を亡くしてしまったからあたしはすべてを恨んだの。憎んだの。

だけど、弟の敵討ちを正好に頼みたいとは思わない。あたしの力で弟を苦しめたものを傷付け、殺めないと気が済まないわ。


男らしい。前向き。強い責任感。正好はとにかく誠実で単純なの

である。

弟を殺められば、殺めたものやそれに類するものを討ち果たしたくなる。それを目標とすることが出来るのだ。それが利里や翔、あたしとは大きく異なる点ではないかな。あたし達は自分の本当に大切な人を殺したものにしか怒りをぶつけることが出来ない。正好は的外れなものにも怒りをぶつける。多くの「もの」と戦うのは、一体どれが弟を殺した「もの」だか分からないからではない。もしも弟を殺した「もの」を仕留めたしてもその他の「もの」にも敵意を持つのよ。不思議なことよね。「もの」と人を入れ替えて考えれば分かるわ。殺人鬼に家族を殺されたからといって、幼い人の子まで殺したくなるわけがないわ。

 

あたし達が「もの」を倒そうとするのはもっと別の理由があるからなの。あたし達だって「もの」を打ち破ろうとはする。だけどそれは、「もの」を憎んでいるからではないのよね。倒したその先にあるものを得る為に戦っているだけなのよね。利里は両親と再会する為に、翔は何の為に戦っているのかしら。  


おとなっぽいこども。可愛がられて当然のこども。正好は「もの」が憎むべき存在で、人が清い存在なのだと信じている。迷いがない。自分の信念こそが正しいと信じている。そのくせ自分より経験の豊かなおとなに指摘されればそれを必ず受け容れる。指摘されることを有難いと感じ、自分の思考を修正する器用さを持ち合わせていた。いつも自分を信じている、あるいはこどもっぽい男らしさに利里は惹かれていた。


敵としての認識。正好は「もの」の素顔も存在理由も分からないが、まるでおにのような存在だと識別しているらしい。すべての「もの」の殲滅を目標としているが、その目標の為には自分の命を投げ出しても構わないと語る。もう自分の命を大切にはしていない。命以上に大切なものなんてあるの。正好にはそれがあるらしい。敵を殺すこと。自分は生きたい。敵は殺したいでは、都合が良すぎると見做しているのだって。

自分とそれ以外のみなもとの無念を晴らすことを目的としているのだろう。ああ、この子はこれまで誰かに心の底から愛されたことなどなかったのだろうな。


他人のことなど興味を持たないと決めていたのに利里は唯一友達だと言えるあかりが死んだことに執着した。それは彼女がイエロースーツを纏って死んだから。我が身の身代わりになってしまったから。利里は自分の死ななければいけないときを、あかりに任せてしまったから悲しいのだ。あかりが死ぬべきときに死んだのならこんなに切なくはならなかっただろう。人は死ぬべきときがきたら死ねばよいのだ。もちろん、自分も両親も。ただ両親はまだ生きている可能性があるのだから捜し出したいだけなのだ。もしかしたら死んでいるのかもしれないが、それでも逢いたいと願う。利里は望みの為に「もの」を殺したい。正好は憎しみを晴らす為に「もの」を殺したい。利里と正好はどちらがおとなげないのでしょう。


利里はこどもっぽいと言われても気にはしない。自分に正直に生きたいのだ。それが利里の小さなプライドなのよ。あなたはそのプライドを認めてあげられるかしら。それともつまらないものだと感じるかしら。


男と女の役割。正好はシルバースーツが研究や解析に優先的に使われて戦闘に使われないことが多いことを嫌っていたようだ。積極的に「もの」と戦いたいのだから。正体の分からないブラックのみなもとを除いて、翔よりも利里よりも自分の方が戦闘に向いていると自負している。

「危険な戦闘に女の子や迷いのある者を巻き込みたくはないんだ。」

 正好はなにか勘違いしているわ。戦闘に適しているのが強い意思を持った男だと思っているのがあたしには気に入らない。実は男は守ることに向いていて、女こそが攻めることに向いているのよ。

百獣の王と呼ばれている生きものも、敵から群れを守るのが雄の役割であり、餌を捕えるのは雌の仕事である。雄と雌の戦闘能力のどちらが高いのかというものではないかもしれないが、雌の方が殺しに向いているといってもよいのではないかしら。

あたしは人も百獣の王と同じだと思っている。餌を捕えるのは女の仕事。男は見栄やプライドを持って自分とその仲間を敵から守る。他人を喰らいにいく男などあたしは見たことはないわ。男はいつも優しさの仮面をかぶって、女を騙すくらいの能力しかない。罠を張って待ち構えているだけ。牙をむき出しにして立ち向かっていくのはいつも女の方なのよ。あなたにも心当たりがあるでしょう。

 

ふたりにクリプジオンから緊急連絡が入った。ふたりのいる公園のすぐ傍で「もの」の存在が確認されたのだと。ふたりは急いでジャナンに変身する。クリプジオンの指示を待たずに、正好は積極的に「もの」を探し出そうとした。そして、「もの」を発見して攻撃を開始する。「もの」は人の若い女のようだった。かなり妖艶な。人の男達はその毒にかかってしまってまともに動くことが出来なくなっているわ。あまりに美しい「もの」だったのでそれが「もの」の異能なのか、女としての力なのかは分からない。クリプジオンからはイエローと協働するようにとの指示が出たが、それを無視してシルバーはひとりで果敢に「もの」に立ち向かいそれを殲滅した。


正好にはどんな「もの」であっても殺すことに躊躇いなどない。女の姿をしていようが、哀れな顔色をしていようがそれが「もの」であると指示されれば迷わず殺せるのだ。それは本当に「もの」なの?異形な人からも知れないじゃない。


正好は殺しに飢えている。ただ、それだけ。あたしには彼が人間に危害を加えるものにも見えた。輝かしい勇気を持っているけど、立ち向かう相手を間違えてはいないか心配になるのよ。正好のあまりに執拗な攻撃にあたしは少しだけ恐怖を感じるわ。女の姿の「もの」が少しだけ利里自身に重なって見えた。人の女とは戦う生き物であるのかもしれないが、腕力では男に勝てるはずがない。意思は強く、身体は弱い女の「もの」が死ぬことを悲しいと思ってしまった。おかしな話かもしれないわね。


男の魅力。利里はジャナンの強さはスーツの強さだけではなく、みなもとの力が大きく影響するのだと身に染みた。男を好きになったことなどないが、正好に抱くのはもしかしたら初めての恋心なのかもしれない。己の思想を持ちつつ、おとなの声を取り入れて、自分で分別をつけて行動する男が逞しいと勘違いをしていたのよ。

 

こどもの恋愛。淡い恋愛。遊びのような恋。恋をすること自体に焦がれている。その日の夜、利里と正好はマンションの屋上でキスをした。利里は逞しい正好に惹かれ、正好は利里の女らしい弱さに好意を憶えたよう。利里には両親以外にも愛する人がいるのだ。すべての人を守ると言わないが正好だけは失ってはいけない。だって憧れる男なのだから。憧れを持つものはいつも強くなければならない。憧れる男を守る為なら自分の身体を楯にする必要もある。利里は叶えるべき望みが小さい。男は守るべきものがとても多い。だけど覚えておいて。守るべきものがひとりであるものも、たくさんいるものも命の重さに変わりはないのよ。


だが、利里は正好のことを想っていても、いつの間にか翔のことを想い出してしまう自分が嫌だったの。正好とは真逆でおとなの指示に従うことしか出来ない、いつもおどおどしている男をなぜ想い出すのか。翔はあまりに利里と似ているの。利里だって心の底には望みを抱えて、それを叶えることが大切なことだと知っていても、それを為すためには今はおとなの言いなりになるしかない。


だけど利里にはまだ自分と翔が似ているとは理解が及ばないわ。利里は正好はもちろん翔にも消えて欲しくない。なぜ翔にも慈しみを感じるのかしらね。翔が自分にとって大事なものであることを心の底では分かっていたのかもしれないわね。自分を愛してくれる存在が大切だと認識し始めたのもこの頃からではないかしら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る