第24話「逃げて、逃げて」

 試験は三日間。水曜日から金曜日まで行われた。


 普段私に嫌悪の視線を送ってくる周囲も、試験期間は流石にそんな余裕がないのか、誰も私なことを気にする素振りはなかった。


 ずっとこのまま私のことなんて気にしないで、空気として扱ってくれた方がいっそ楽なのに。


 そんなことを思いながらも、私も試験に集中する。


 そうして三日間の試験を全て終えて、試験から解放されたという賑やかな空気が学園中に湧き上がる。


 そんな中を掻い潜って、一人帰路へと着く。


 真昼の空いてる電車に乗って、地元までとんぼ返り。


 住宅街を抜けて、坂道を登って、周囲から少し浮いた私の家へと帰ってくる。


「ただいま」


「あら、桃華さん。おかえりなさい。学校は終わったのですか?」


「はい、終わりました」


「そうですか。お昼ごはんは?」


「食べます」


「わかりました。すぐに準備しますね」


「ありがとうございます」


 そんな会話を玄関でしつつ、手洗いうがいをしている隙にお昼ごはんは用意されていた。


「……ごちそうさまでした」


 昼食をサッと食べて、部屋へと戻る。


「さてと……」


 バックから今日の問題用紙を取り出しつつ、昨日まで受けた試験の分も机に置く。

 試験が終わったら必ずやっている復習。教科書と照らし合わせながら答え合わせ。

 二年生になってから科目が増えたから、余計に時間がかかる。


「うーん……」


 教科書と睨めっこしてうんうん唸りながら、答え合わせをしていく。


「…………」


「桃華さん、そろそろ晩ごはんになりますよ」


「あ、はい。今行きます」


 自己採点に熱中していたら、いつの間にか19時を過ぎていた。


 そのおかげで、残りはあと2教科。この分なら今日中には終わるだろう。



     *



 夕食にお風呂まで済ませて、やり残した教科の自己採点をして。


 やるべきことは、全て終えた。つまり、暇になってしまった。


 この時間から稽古というわけにもいかないし、そもそも今の私は道場への出入りを禁止された身。


 こうして改めて、自分自身の無趣味さを自覚する。


 かといって、なにか新しいことを始めようとは思えない。


「…………」


 ……いや、本当はやるべきことが一つある。


 テーブルの上にそっと置かれたディサイファーを眺める。

 SLOにログインして、エンに会いにいかなくちゃいけない。


 でも、躊躇してる。


 また彼らと会ってしまったらどうしよう、そんな低い可能性に怯えてる。


 試験と、その後にやるべきことがあったから気にならなかったものの、それを全て終えた今、何かと理由をつけて逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだ。


 それがどれほど惨めで情けない姿か、他者に指摘されるまでもなく分かっている。


 それでも、どうしても一歩、踏み出すことができない。


「……今日は寝よう」


 結局、逃げる道を選ぶ。

 部屋の電気を消して、布団に入って目を閉じると、自然と睡魔に誘われていった。



     *



 そこがどこか、ハッキリとは分からない。


 周囲を見渡しても、ただ真っ暗な闇の中。


 足元は水が張っているのか、一歩踏み出すごとにピチャンッと音がする。


 やがて、歩いている先に、人の影が見える。


「エン……?」


 それが誰なのか、すぐに分かる。


「エン!」


 声を出して、走って彼の元へ。


 けれどもどうしてか、その距離は一向に縮まらない。それどころか、いくら呼び掛けても彼はこちらを振り返ろうとしない。


「なんで……エン! エンってば!」


 何度も、必死に呼びかける。


 喉が痛くなるほど叫んだおかげか、ようやくエンがこちらを振り返る。


「なっ……!」


 でもその瞬間、エンの身体に何かが絡みつく。


「エンを、離しなさい!」


 数メートルある距離を一気に詰めようと、足に力を込めて跳ぶ——


「ぅわっ⁉」


 ——しかし足に何かが絡みついて、頭から地面に倒れ込む。


 エンの身体にまとわりついたものと、同じような何かが私の足から伸びてくる。


「なにこれ!」


 逃れようとしても、外れるどころか余計に絡みついてくる。


「っ、エン!」


 手を伸ばしても、声を張り上げても、エンは答えてくれない。


 彼の身体は、どんどん闇の中へと引きずり込まれていく————



     *



「エンッ!」


 ガバっと身体を起こす。


「はぁ、はぁ……」


 全身から、汗が吹き伏してくる。


「なに……今の夢……」


 あまりにも不吉な、恐ろしい夢だった。


「…………」


 時刻を見れば、深夜の四時前。


「……行こう」


 とにかくエンの安否を確認したい。


 時間がどうとか、彼らと会ってしまうかもしれないとか、他の全てがどうでも良かった。


「『トランスレイト・イグニッション』」


 ディサイファーを被ってから目を瞑って、ゲームの世界へと旅立つ。


 やがて視界に映るのは、パミクルテで取ったホテルの部屋。

 急いで部屋を出て、エンの居るはずの隣の部屋の前に。


「エン、いる?」


 ノックして声をかけるものの、返事は返ってこない。


「入るよ?」


 一言断ってから、部屋のドアノブに手を掛けて。


「鍵が開いてる……?」


 エンがカギをかけ忘れたのか。

 とにかく、部屋に立ち入る。


「エンは……」


 電気が点けられていない、真っ暗な部屋の周囲を見渡す。


「……なに、これ?」


 何故か部屋は荒れに荒れていて、嫌な予感に拍車をかける。

 まさか、本当に……。


「あ、れ……?」


 声が聞こえる。


「エン……?」


 部屋のすみっこ、部屋の壁とタンスの間の小さな隙間に、エンは小さく蹲っていた。


「お姉、さん……?」


「はぁ、よかった……」


 ホッと、胸をなでおろす。ひとまずエンが無事で……。


「お姉さん!」


「うわっと」


 ゆっくりと立ち上がったと思えば、ものすごい勢いで飛び込んでくる。


「ちょ、ちょっと。エン……」


「だって……だってぇ……」


 大泣きしたまま、私にくっついて離れようとしない。


「もう……会えないかもしれないって……だから……」


「…………」


 反論できなかった。


 確かに昨晩までの私は、あれこれ理由を付けて避けようと必死だったし、ここに来たくないとさえ思っていた。


 さっき見た夢のことがなかったら、二度とログインしなかったかもしれない。


「…………ごめんね」


 エンが泣き止むまで、そっと頭を撫で続けた。


 それから十分、いや十五分くらい経っただろうか。涙を流し尽くしたエンが、ようやく私から一歩離れる。


「お姉さん、ちょっと来て」


「え? なに?」


 私の手を引っ張って、そのままホテルを後にする。


 昼間の街とは大違いの、静寂に満ちた町。


 人であふれかえっていた道は、二人だけで歩くと広く感じる。


 建物から光が漏れることはなく、街灯もほとんどないからほとんど真っ暗な中を進んでいく。


 やがて辿り着いたのは街の真ん中にある、一番高い時計塔。


「ちょっと失礼……」


「え? ひゃっ!」  


 私の腕を前に引っ張ったかと思え、いつの間にか背後に回って私の身体を持ち上げる。


「ま、まさか……ひゃあぁぁぁ!」


 三度目の逆バンジー。塔の中腹の展望台に着地する。


「もうちょっとガマンしてね」


 私を抱えたまま、展望台から続く螺旋階段を駆け上っていく。


 そうして登った、その先にある扉を出ると。


「わぁ……」


 そこは時計塔の屋上。月がなく、街の明かりもほとんどないおかげか、目の前に広がるのは満天の星空。


「綺麗……」


 こんな星空は、現実では見たことない。


「数日街を回って見つけた、とっておきのスポットだよ。と言っても、普通はここには来られないんだけどね」


「ちょっと待って、それってつまり……」


「細かいことは気にしなくて大丈夫」


「細かいことじゃないでしょ!」


 つまり私たちは今、不法侵入してるってことじゃ……。


「大丈夫。誰もボクたちがここにいるなんて思わないし、バレることもないから」


「あのね……」


 手を顔に当てて、大きなため息を吐く。


「……こういうことは、今日だけだからね」


「はーい」


 もう入ってしまったのだから今更というのもあるし、ここまで連れてきてもらってこんな景色を見せてくれた。怒るのは筋が違うだろう。


「さてと、それじゃあお姉さん」


「うん……?」


「……聞いても、いいかな?」


「っ……」


 ここに来たら、エンと会ったら、避けることができないと分かっていた。

 エンに全てを話さなければならない。そんなこと、分かってる。


「…………」


 でも、上手く口が動かない。話さなくてはいけないという覚悟はできているのに、身体が、心が、そのことを受け入れられていない。


「……前にも言ったけれど、ボクは無理に聞き出そうとは思っていないよ。でも、やっぱり聞きたい。だってボクは、お姉さんのことを助けたいから。お姉さんには、ボクのこの世界で笑っていてほしいから」


「エン……」


「だから教えて。お姉さんの抱える物がなんなのかを」


「…………。……分かった、話すよ」


 一歩前に出て、手すりに身体を預ける。


「……たった一度の敗北で我を失った、情けない剣士の話を」


 私、新島桃華の話を。


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