第23話「強がり」

「…………?」


 気がつくと、周囲は真っ暗闇。


 時計の針がカチカチと鳴り響く。


「……そっか、私」


 あのまま気を失ったんだ……。


 とりあえず手探りでスマホを探す。

 布団の上に置きっぱなしにしていたスマホの画面をつけると、時刻は夜の十時を過ぎていた。


「十時……」


 我が家は早寝早起きが基本。この時間だとみんな自分の部屋に戻って寝ているか、寝ていないとしても部屋から出てくることはない。


 そっと、部屋の扉を開ける。


 すると足元に、小さな皿が置かれていることに気づく。

 皿ごとラップに包まれた三つのおにぎりと、置き手紙。


「『洗い物はちゃんとするように』か……。ありがとう、おばあちゃん」


 ゆっくりとしゃがんで、おにぎりとかじる。程よい塩加減と、真ん中に梅干しの入ったシンプルな味付け。でも今は、それが身に染みる。


「……ごちそうさまでした」


 あっという間に三つ食べ終えて、手を合わせる。


 縁側を静かに歩いて、台所へ皿を持って行って、手早く洗い物を済ませる。


「……大丈夫」


 湯船に手をつけて、まだ温度が下がってないことを確認してから、着替えを取ってきてお風呂に入る。


「ふぅ……」


 天井から水が落ちてくる音が、お風呂場に響き渡る。


「…………」


 無言になると、どうしても思い出してしまう。

 今日一日の間に起こったことの、全てを。


「…………」


 ギュッと、膝を抱える。


「……なんで」


 どうしてこんなに弱いんだろう。


「私は……」


 こんなに弱くなってしまったのだろうか。


 頬に、水が滴っていくのが分かる。

 それは決して額から流した汗でも、天井から落ちてきた水滴でもない。


 そんな弱い自分が、許せない。


 でもどうしたらいいのか分からない。どこへ行けばいいのかも。


「……まるでエンみたい」


 そう言えば、あのまま彼のことを置いてきてしまったけど、大丈夫だろうか。 

 申し訳なく思っても、今はあそこに戻ろうとは思えない。


「……ごめん、なさい」


 誰もいない場所に、小さく呟いた。

 


     *



 明くる日曜日。


 いつもの朝稽古もおじいちゃんの一喝で無しとなった。


 当然だ、今の私では止水の境地に入ることなんて不可能。そんな状態で稽古なんてできるはずがない。


 故に何もすることなく、ただ時間を浪費していた。


 でもその無為の時間は、昨日の出来事を脳が反芻するだけだと気づいて、それからはずっと試験のための勉強に勤しんだ。


 精神的な喪失感を埋めるには、何かしている方がいいことを悟ったから。


 それが逃避だということは誰の目にも、私自身も分かってる。

 でも、そうでもしない限り、私は私の精神を保てそうになかった。


 それを分かってるから、おじいちゃんもおばあちゃんも、何も言わずにただ私を見守ってくれている。


 そうして一日は過ぎていき、月曜日になる。


「桃華さん、起きていますか?」


「……はい、起きてます」


 体内時計というのは正確で、毎朝の稽古の時間に目覚めた。

 でもやはり稽古は禁止されているため、その時間を勉強に充てていた。


「学校は……」


「……大丈夫です、ちゃんと行きます」


 正直、本当は学校には行きたくない。行けば、彼らがいることは分かりきってるから。


 どこでもいい、逃げ出してしまいたい。そんな気持ちすら芽生えてる。


 でも、私の中にある良心の呵責がそれを赦さない。ここで逃げ出したら、私は私たり得なくなると、警鐘を鳴らしてる。


 そして、私の中ではまだ、その警鐘の方が強い。

 たから制服に着替えて、準備を整えて家を出る。


「っ……」


 久しぶりに浴びる陽射しは、少し眩しかった。

 家の前から続く坂道を降りて、住宅街に辿り着く。


「おや、桃華ちゃん。おはよう」


「……おはようございます。それじゃあ、今日はちょっと急いでるので」


「ん、そうかい……?」


「それでは」


「あ、桃華お姉ちゃん、おはよう!」


「……うん、おはよう」


「お姉ちゃん、大丈夫?」


「大丈夫って?」


「だって一昨日……」


「私は大丈夫だよ」


「でも……」


「私よりも、自分の勉強のことを気にしてね。もうすぐテストなんでしょう?」


「う、うん……」


「それじゃあね」


 そんな簡単な会話を繰り返して、駅に続く道を急ぐ。

 いつも通りの時間の電車に乗って、学校の最寄り駅に到着。

 電車を降りて、人の波に乗って学園へと歩いていく。


 その道中で、脚が止まった。


「主将……」


 向かいからやってきたのは、剣道部の松本主将。


 武道場が一か所しかなく人数も少ない剣道部は、稽古も基本は男女混合。

 うちの部の主将は、三年生の男子の先輩。


「……新島か」


「……お久しぶりです」


 この人の目はいつも、明確に敵対の意思を孕んでいる。

 それは去年の入部初日、実戦稽古で私が一瞬のうちに斬り伏せてしまったから。


 あるいは、私のしてしまったことに腹を立てているのだろう。


「ふん、聞いたぞ」


「聞いた……?」


「お前がSLOなるゲームで、人斬りをしていると」


「なっ……」


「あんな事件を起こしておいて、まだ物足りないか」


「ちがっ、私はそんなこと!」


「黙れ。剣士の風上にも置けない面汚しが!」


「っ……」


「二度とその顔を見せるな!」


 私のことを睨んだ後、鼻を鳴らして去っていく。


「…………」


 もう、反論する気にもなれなかった。


 周囲からの嫌悪の目と小言を浴びながら、それでもなんとか学校にたどり着く。


 昇降口で上履きに履き替えて、階段を登って二年生のフロアへ出ると、そこは針の筵。


「ちっ、なんであいつ学校に来てんだよ……」


「一昨日散々言ってやったのに」


「一周回って、その胆力を褒めるべきなんですかね」


「馬鹿言うなよ、あいつのせいでどんだけ迷惑かけられたことか。貶す謂れはあっても褒めるところなんて何もないだろ」


「っ……」


 耳を貸すな、聞かなくていい。これ以上、私の中の何かを彼らに乱されてたまるか。


 平静にしていれば、彼らもいずれ飽きるだろう。


「ほんと、よく来れるよな」


 その声に、足を止めてしまう。

 でも振り返らない。振り返らなくてもそこにいるのが誰かなんて分かっている。


 だからその場から立ち去ろうと足を踏み出して——


「おい、無視するな……」


「触るな!」


 ——背後から伸びてきた手を振り払う。


「はっ……」


 気がついた時には、手遅れ。

 周囲からは、嫌悪と畏怖の目が集中していた。


「………っ」


 そこから走り去った。


 とにかくその場から、逃げ出したかった。


 がむしゃらに走って、たどり着いたのは、お昼休みにいつも使う私唯一の憩い場。


「なんで……」


 私が、こんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。


 瞼の奥が熱くなって、視界がぐにゃりと歪む。


「……桃華」


 私を呼ぶ声に慌てて目を擦って顔を上げると、そこにいたのはかぐや。


「っ、かぐや……」


 身体が硬直する。学校に来た以上、避けられるとは思っていなかったけど、やっぱり会いたくはなかった。


「その、桃華……ごめんなさい」


 そう言って、深く頭を下げる。


「……ごめんって?」


「私、知らなかったから……。桃華がSLOやってるなんて……。知っていたら……」


「……気にしなくていいよ、そんなこと」


「気にしなくていいって……」


「私だって、かぐやが誘ってくれたのがまさかゲームだなんて思いもしなかったし。だからあそこで私たちが出会ったのは、単なる偶然。それを謝る必要なんてない」


「でも……そのせいで桃華が、あんな……」


「今更。みんなの言ってることは正しいんだから。言われて当然」


「そんなことっ!」


「前にも言ったけど、これは私の問題。かぐやが気にすることじゃない」


「でも……」


「かぐやは自分のことだけ心配して。私なんかに付き合って、かぐやが私と同じような目に遭う必要はないんだから」


「桃華……」


「それじゃあね」


 バッグを持って、彼女を置きざりにこの場を後にする。


「桃華!」


「大丈夫、授業にはちゃんと出るから」


「違う、そうじゃなくて、桃華……」


 悲しげな声でかぐやが私を呼ぶけれど、振り返ることはない。


 心配してくれるのは嬉しいけど、これ以上は彼女を不幸にしてしまう。


 だから、これでいい。これでいいんだ。


「ありがとう……ごめんね、かぐや」


 小さく、そう呟いた。


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