第22話「憎悪と悪意」

 なんでここにかぐやがいるの?


 後ろの集団は一体誰なの?


 誰一人顔を見たことないはずなのに、どうして知っている気がするの?


 いくつもの疑問が頭に浮かぶ、でもそれを声にすることはできない。


 ただ、ここにいてはいけない。そんな警鐘が私の脳裏を駆け巡っている。


 でも、全身が硬直して、動かせない。


「桃華だよね?」


「……いや、私は……」


「どうして桃華がここにいるの……?」


「それ、は……」


 うまく言葉が紡げない。


 知らない、人違いだ。そう言ってしまえばいい。そう言いさえすれば、この場は乗り切れる。


 なのに、頭も口も、私の思い通りに動いてくれない。


「なぁ、あれ……」


「あぁ……」


「やっぱり、そうだよな……」


「うん……」


 かぐやの後ろにいる集団から、小声が聞こえてくる。私の正体に気づいたという声が。


 その言葉に、身体の震えが止まらない。全身から、冷汗が流れ出る。


「君たち、誰?」


 私のおかしな様子に気づいたのか、エンが少し剣呑な口調で前に出る。


「君は……?」


「ボクはエン。お姉さんの仲間だよ」


「仲間?」


 エンの言葉を聞いて、彼らに動揺が走る。


「今、仲間って言ったか……?」


「あぁ、確かにそう聞こえた……」


「嘘つけ、何かの間違いだろ」


「だって、あんな奴に仲間なんて……」


「……?」


 少しずつ大きくなっていく声に、エンが首を傾げる。


「君たち、一体なんなの? お姉さんの知り合い?」


「私たちは……」


「同じ学校にいるだけの、赤の他人だよ」


 後ろの集団から一人、前に出てくる。顔は見たことない、はずなのに、私にはその正体が誰なのか、分かってしまった。


「おいかぐや、なんで新島がここにいるんだよ。まさかお前が呼んだんじゃないだろうな?」


「いや、えっと、それは……」


「キミ誰?」


「ふん……」


 エンの口調に鼻を鳴らした彼が、エンの背丈までしゃがんで、左手で肩を掴む。


「なぁガキ、小学生だから敬語も分からねぇのかもしれないが……」


 そして右腕を軽く引いて——


「年上相手にはもう少し殊勝な態度で臨めよ!」


 ——固く握りしめた拳をエンに振り出す。


「エン!」


 ようやく身体が動いてくれる。慌ててエンの元へ駆け寄ると、


「!」


 エンは握りこぶしを左手で受け止めて、右手に持った短剣を喉元に突き立てている。


「……いきなり殴りかかってくるなんて、どういうつもり?」


「なるほど、ガキのクセになかなかやるな」


「ちょっと!」


 エンのフードを引っ張って、無理やり引き剥がす。


「いきなり何するの!」


 自分でも驚くほど鋭い視線を、彼らに向ける。


「おぉ、怖い怖い」


 そんな私の視線なんて問題外であると言わんばかりに、彼らはおどけて見せる。


「きっと例の子にも、同じような殺意を振りまいたんだろうな」


「っ……」


 ドクンッと、心臓が跳ねる。キュッと、唇が固く閉まる。


「例の子?」


 何も知らないエンが、疑問を鳴らす。


「ん? お前、もしかして知らないのか?」


「知らないって、何をさ」


「……なるほどなぁ。道理で、そいつを仲間だなんて呼んでるわけだ」


「どういうこと?」


「卑怯な奴だな、お前は。自分の正体を教えないまま、お友達ごっこしてるなんてな」


「……うるさい」


「だから何も知らないガキは、ちゃんと教えとかないとな」


「黙って!」


「そいつが、人殺しだってことをな」


「————」


 息が、詰まる。


「人、殺し……? お姉さんが……?」


「ちが……私はそんなんじゃ……」


「ちょっと雄也くん! 桃華はそんなんじゃ!」


「あー、確かにそうだな。本当の意味で人を殺したってわけじゃない。だが、未来ある一人の女の子の選手生命を奪った。これが人殺しと同じでなくて、なんだってんだ」


「っ……」


 その通りだ。彼の言ってることは、全て正しい。


 私は、彼女の未来を奪った、……人殺し。


「それにこいつは、俺たちの夢を奪いやがったんだ!」


「夢を奪った……?」


「あぁそうさ。こいつのせいで、俺たちの努力は全て無駄になった。なのにこいつは、その責任を取ろうともしない、クズ野郎だ」


「…………」


 驚きと疑惑の目を、エンが向けてきた。


「みんなに迷惑をかけておいて、お前は平気な面してのうのうと学園に通って、こんなところにもいる。まだ人を傷つけたりないってか?」


 周囲を歩いている何の関係もない人たちさえも、彼のその言葉を聞いて、同じような視線を私に向ける。


「私は…………っ」


 涙が、勝手にあふれ出る。視界が霞んで、誰の顔も見れなくなる。


「おいおい、なんでお前が泣いてんだ。なんでお前が被害者面なんだ? 俺たちの方が被害者だってのに」


「そうだ……」


「お前のせいで、俺たちの方がひどい目にあったんだ」


「お前さえ居なければ!」


「そうだ、お前が全部悪い!」


 彼らの口から吐き出されるのは、恨みとつらみが混じり合った、悪意をむき出しにした罵詈雑言。


「…………」


 言い返す気力さえ、既に私から失われていた。


 俯いて無反応の私を見て、彼がフンッと鼻を鳴らす。


「……もういいや。こんな奴放っておいて行こうぜ。これ以上相手する理由もないし、俺たちの時間が勿体ない」


 そうして彼らは、私の横を通っていく。全員が同じ視線――憎悪の視線を向けながら。


「ごめん桃華。私、こんなつもりで……」


「…………」


「……ごめんね、桃華」


 そう言い残して、かぐやも去っていく。


 後に残ったのは私とエンの二人だけ。


「お姉さん、さっきの人たちは一体なんなの?」


「…………」


「わけのわからないことばっかり言ってたけど」


「…………」


「あの人たちが言ってたことって、本当のことなの?」


「…………」


「ねぇ、お姉さ——」


「うるさい!」


 差し出された手を弾き飛ばす。


「え……」


「あ……」


 我に返っても、もう遅い。


「……ごめん」


 そして私は、逃げだした。

 その場から、奇異の目を向けてくる群衆から、エンの視線から。


「お姉さん……」


 心配そうに私を呼ぶ声を背中に受けながら。


 一心不乱に、逃げて、逃げて。


 街の裏通り、人気のない場所に出て。


「……あ、あぁ……ああぁ~~~~~~~~~」


 声にならない叫びを上げた。



     *



 気がつけば、見慣れた天井がそこにあった。


「私……」


 いつの間にゲームからログアウトしたのだろう。記憶がない。


『そいつが、人殺しだってことをな』


「っは——」


 記憶が甦る。


「はっ……はぁ……っ!」


 胸が苦しくなって、呼吸が浅くなる。


 布団の中で小さく蹲る。


 ピピピッ。


「っ⁉」


 傍に置いていたスマホから音が鳴る。


 何とか手を伸ばして、スマホを手に取ると、アラームが鳴っている。


「……行かなくちゃ」


 稽古15分前。力の入らない身体を無理やり起こして、胴着を仕舞ったタンスへと向かう。


 いつもよりはるかに長く時間をかけて着替えを済ませて、道場へと向かう。


「失礼します……」


「来たか桃華。今日なんだが……」


「はい、なんでしょうか?」


「……桃華、今日は休みなさい」


「え……」


「今のお前がこの場に居ても、何も得るものはない。そればかりか、他の者にも悪い影響を与えかねない。それは皆にとっても、お前にとっても不幸なことだ」


「いえ、ですが……」


「桃華!」


「っ……。……分かりました。失礼します」


「どうしたんだろ、桃華おねーちゃん?」


「こんなこと今まで一回もなかったよな?」


「何かあったのかな?」


 みんなから困惑の視線を浴びながら、道場を後にする。


 石畳を伝って、縁側に戻る。


「桃華さん? お稽古はどうなさって……」


「…………」


「桃華さん……?」


 おばあちゃんとすれ違ったけど、何を言っていたのかは分からない。何も耳に入ってこない。


『そうだ……』


『お前のせいで、俺たちの方がひどい目にあったんだ』


『お前さえ居なければ!』


『そうだ、お前が全部悪い!』


 そんな罵詈雑言だけが、私の耳を支配している。


 やがて部屋にたどり着いて扉を閉じると、膝から崩れ落ちる。


「私は……」


 なんで……。


「どうして……」


 目から、涙が溢れ出して、視界を滲ませる。


「~~~~~~~~~……」


 声はかれて、やがて涙も枯れて。


 それなのに、言い表せない感情を吐き続けた。


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