第25話「背負う十字架」

『いぁあああああっ!』


 会場に響く、威武を孕んだ声。


 振り下ろした切っ先から、手をしびれさせるほどの衝撃が伝わってくると同時に。


『一本!』 


 白旗が振り上げられる。


 それは私が、中学生の剣道女子の中でたった一人だけが手に出来る、日本の頂に至った瞬間だった。


 物心つく前から剣を握り、その道を歩んできた私にとって、初めての実績、最強の証明。


 他の剣士を一切寄せ付けない圧倒的な実力は、歴代最強の中学生剣士とまで言われた。


『ようやくこの部に入った意味を実感したな……』


 剣道部への入部することについて、最初は気が進まなかった。


 稽古なら道場でも出来るし、おじいちゃんの勧めがなかったらきっと入部しなかった。


 実際入部した後も、後悔の連続だった。


 入部したての頃は雑用ばかりでロクな稽古もさせてもらえない。

 しかも年功序列が強すぎて、入部した時点で部内に敵なしだったにもかかわらず、試合には出してもらえない。


 稽古自体もレベルが低すぎて、ここにいるよりも家の道場で剣を振る方が私自身の為になると、何万回も思った。


 それでも何か得られるものがあるかもしれない、なにより師範の『ほかの環境に触れる良い機会だ』という言葉を信じて、耐えてきた。


 もっとも、結局三年間で学んだことは、反面教師にするべきことだけだったけれど。


 かくして、ようやく目に見える実績を手にした私は思った。


『私のしてきたことは、何一つ間違っていなかった』


 その過信が、最大の過ちであったことに気づくのは、もう少し先。


 その後、日本一という最強の証明を手にした私は、県内でも有名な、全国大会常連の部活を多く抱える学園から推薦を受けて入学。


 当然剣道部に入部した。


 中学の時とは違い、今度は完全な実力主義。


 部内の二・三年生を全員斬り倒して、一年生ながら代表の一人として大会に臨んだ。


 地区大会から始まって、全国大会へと危なげなく進んだ私の一回戦の相手は、去年二年生ながらに全国大会を制した強敵。


 昨年度の高校日本一の剣士と、昨年度の中学日本一の剣士の一戦。


 めったに見られない組み合わせに注目が集まるのは当然で、当日の会場では他の試合も同時に行われているというのに、ほとんどの人が視線を向けてきていた。


『始めッ!』


 開始の掛け声と共に、一挙に攻め込む。


 神速の剣、常に相手の先手を取って斬り伏せる。それこそが私の剣の真髄。


 当然例に漏れることなく、先制攻撃を仕掛ける。


『はぁあああああっ!』


 しかし私の剣は、簡単に受け止められる。


『ならばっ——』


 相手は去年の優勝者、その程度のことは想定の内。

 故に、剣戟をより鋭く、より早く突き立てていく。


 けれども正面から竹刀を振り下ろせば、寝かせた竹刀で受け止められる。

 横薙ぎで胴を狙えば、一歩身を引いて空振る。

 突きを繰り出せば、軽くあしらわれる。


 私の方が攻めているはずなのに、攻めの一手を打ち込むたびに苦悶の息が漏れ出る。


 そうさせられているのだ、この対戦相手に。


 どれだけ剣に威武をこめようと、気合を発して圧をかけようと、いなされてしまう。


 おかしい、道理が立たない。


 そう思えば思うほどに、勝利への天秤は相手の方に傾いていく。


『あああぁぁぁ!』


 上から下への振り下ろし。けど、それが甘かった。


 待っていたと、面の奥の相手の目がギラリと光る。


『くっ』


 同時に、相手の剣先による受け流しの妙技が、私の竹刀を弾き返す。


『しまっ……』


 跳ね返された竹刀を戻すまでの、ほんの僅かの虚を、相手が見逃すはずない。

 振り下ろされる竹刀と、遅れて衝撃が襲ってくる。


『一本!』


 振り上げられる白旗。


『負け、た……?』


 何も、できないままに。


『この程度?』


『なんかあっけなかったね』


『全中優勝者って聞いたから見に来たけどさ』


『正直に言って、期待外れだった』


 会場の周囲からは、そんな言葉が漏れてくる。


『っ——』


 面の奥から見えた、対戦相手の目も、同じような失望の目をしていた。


『く……』


 奥歯を噛み締める。


 剣を握って十五年。こんな思いをしたのは始めてだった。


 それは単に、敗北したからというだけでは説明できない、私の剣に対する侮辱のようなものを感じていた。


 そんなもの、本当はあるはずないのに。


 でも一度そう思い込んだら、そこから抜け出すことは容易ではなかった。


 より強く、より早く、より鋭く、より高みへ。

 まだ届かない、もっと先へ。


 そんな焦燥感を常に抱えながら部活動や稽古を続けていたが、私の剣は伸び悩み、行く先を見失いつつあった。


 そうして年が明けた一月のとある土曜日。一人の女子中学生が部活動の見学にやってきた。


 顧問の先生曰く、来年度推薦でこの学園に入学予定で、剣道部に入るらしい女子生徒。


『見学ではあるが、同じように参加してもらうつもりだ。全員真剣に向き合うように』


 そうして部活動が始まり、実戦形式の稽古になった時、せっかくということで好きな相手との一本勝負を行うことになった。


『じゃあ……新島先輩と一本勝負をお願いしたいです』


『……私?』


『はい! 先輩の剣に憧れて、ここに来たので』


『……そっか。でも、手は抜かないよ』


『もちろんです。よろしくお願いします!』


 面と防具を付け、切っ先を向け合う。


『始めっ!』


 そうして練習試合が始まった。


 流石に中学生が相手、先達として先制は譲る。


『はぁあっ!』


 一直線に飛び込んでくる。


『っ……』


 振り下ろされる剣を受け流しつつ、冷静に相手の剣を見極める。


『いぁあ!』


 一歩引いてからの左薙ぎ——


『せあぁ!』


 ——をフェイントにした袈裟斬り。


『く……』


 竹刀を寝かせて受け止める。


 なるほど、太刀筋は悪くない。 


 未熟な部分もあるけれど、これからさらに磨きをかければきっと良い剣士になるだろうな。


 ……その真っ直ぐさが、眩しさが、羨ましい。


『はあっ!』


 剣を押し返して、仕切り直す。


『……こんなんじゃダメ』


 私の目指すべきものは、遥か彼方にいるあの敵は、こんなものじゃない。


『今のままじゃ、絶対に届かない』


 あの敵を、新島の剣で切り伏せるには、到底足りない。


『もっと早く、もっと鋭く、もっと強く!』


 自身の内にある威武を解放して、剣を振り下ろす。


『っ!』


 振り下ろした剣先から、鈍い感覚を受ける。


『え——』


 相手をしていたはずの彼女は、床に倒れていた。


『……た、大変だ!』


『おい、大丈夫か!?』


 周囲にいた人が、一斉に駆け寄ってくる。


『担架! 早く!』


 胴着の上に来た防具が脱がされ、運び出されていく。

 担架からはみ出した彼女の手は、力なくダランと落ちる


『あっ、あっ……』


 手に持っていた竹刀が、音を立てて床に落とす。


『あああ……』


 私は一体、何をした……?


『あああああ……!』


 私は、私の剣は、一体なんのために……?


 私が剣を振り下ろした結果、彼女は脳震盪を起こしてしまった。

 幸いにも後遺症などはなく、しばらくの安静で全快できたそうだ。


 試合中の事故であることから、私への処分は部活動への一週間参加停止という形で済まされるはずだった。


 しかし、私が戦った後輩の父親が教育関係に力を持った人物だったらしく、その決定に不服を申し立ててきた。


 結果私に下された処罰は、一週間の停学と部活動への無期限参加停止。


 それだけに留まらず、学園の在り様に対しても口出しをしてきたそうで、様々な不正や特権を抜き打ちされた。


 その一環でさまざまな部活が懲罰を下される中、サッカー部が一番重い処分を受けた。


 それは手に入れたばかりの、全国大会への出場権剝奪。

 様々な特権的優遇を学園内外から受けていたことへの罰ということらしい。


 そんな粛清が続けば当然、サッカー部を中心にほとんどの生徒が今回の処分に納得がいかないと抗議の声を上げた。 


 しかし今更逆らえるはずもなく、学園としては恨みを集める敵を作る必要があった。


 学校への不満を逸らし、生徒にとって憎悪を向けるべき共通の敵を。


 その適任者が、私だった。


 実際、学園の教員のほとんどが今回のことを、私の起こした一件が原因だと考えていた。


 そうして私に向けられていた日本一の剣士という期待の視線は、失望を経て憎悪へと変わっていった。


 同時に私自身も、


『かはっ……はっ、はっ……』


 剣を握ろうとすると、あの一戦のことや周囲からの罵詈雑言を思い出して、発作を起こすようになった。


 一週間の停学が明けるころには、私は全てを失っていた。


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