エピローグ

 私の自宅が風香さん宅になってから早くも1年以上が経ち、この春、私は同居のための約束であった「卒業すること」を全うした。

 以前住んでいた実家を飛び出して、見ず知らずだった人と暮らすようになるなんてあの頃は露ほども思っていなかった。


 学校生活はというと、それはもう記憶に残っていない。インパクトがある出来事なんてなかったし、最低限度の会話しかしていなかったのだから友情が芽生えることもない。


 修学旅行は風香さんと離れ離れになったけど、文明の利器によって会えないなりにコミュニケーションは取れた。班員やホテルの同室になった子じゃなくて、スマホだけを見ていた。


 おかげで修学旅行の思い出は、観光地やクラスメイト関連のことはなくて、風香さん一色に染まっていた。帰ってきて、お土産のキーホルダーを風香さんにプレゼントしたのがメイン。つまるところ平常運転である。


 他にも体育祭や文化祭なんかもあったけど、私は出し物や個別競技に参加していなかったから、自分事のようにはしゃぐことはなかった。


 学生は避けて通れない卒業式も例に漏れない。寄せ書きは誰にもしてもらっていないし、誰にもしていない。部活動をやっていた人は後輩から花束を贈られていた。帰宅部の私に贈り物など、あるはずもない。


「卒業おめでとう」


 ま、風香さんがお祝いしてくれたから全て良し。


 卒業式の日の夜、激しい制服エッチをしたのは昨日のことのように覚えている。翌日も仕事だというのに「制服は見納めだから」と言って貫徹し、私は腰がガクガクになるまで抱かれた。


 私も制服を着て変に気分が盛り上がっていたから風香さんだけを責められないけど。


「ご両親はなんて?」

「特にコメントはありませんよ。そうか、とだけ」


 風香さんと交わした約束の1つだった、お父さんとお母さんからの連絡は返す、については拍子抜けするほど何も起こらなかった。

 私が家出してから1度も帰宅していないはずはないけれど、娘が家を空けていて不審に思うことはなかったのだろうか。


 両親は両親で無関心を貫いていたから、卒業式にも姿を見せなかったし、卒業したことを報告しても電話すらなかった。晴れ姿を見たいと思ってくれていたのは血の繋がりがない風香さんだけ。


 でもそれでいい。

 この年齢になり高校も卒業すれば、どうとでもできる。足枷は一気になくなった。

 ご飯を作りながら風香さんとの将来を思い描く。


「ただいま、詩ちゃん」

「おかえりなさい」


 私だけじゃ持て余す広い空間に癒しの声が響く。

 風香さんが仕事から帰ってきたのだ。


「詩ちゃんのエプロン姿もだいぶ様になってきたね」


 開口一番、風香さんが褒めてくれた。

 そう、客人でなくなった私は少しずつ新しいことに挑戦している。例えば、このご飯づくり。


 金銭面は風香さんがなんとかしてしまうので、私の出る幕はなかった。

 けど仕事帰りの風香さんをもてなす方法はお金を使う以外にもある。


「もっと砂糖を入れるべきでした……」


 お手製の肉じゃがを作ってみたのだが、一口食べて私は甘さが足りないのが気になった。

 風香さんが作れば砂糖と醤油のバランスが取れていてお箸が止まらないのだけど、自分で作ると違和感や物足りなさが付きまとう。


「十分に美味しいと思うけどな~」


 風香さんはなんでもニッコリ笑顔で食べてくれるし、この人に限ってお世辞なんて言わないだろうから、その評価は信じている。

 しかし自分としては納得できていないのも事実で、焦らず慣れていくしかなかった。


「大学生活はどう?」


 肉じゃがをおかわりしながら風香さんに尋ねられる。


「高校までと違って、1人でいるのが珍しくない環境で好きですね」


 実は私は全日制の大学に通っている。勉強は得意じゃないから中堅レベルの大学だけど。


 私だけではどうやっても出せない入学金や授業料は風香さんが肩代わりしてくれた。親子関係じゃないし、保証人の用意も大変だと思ったけど、風香さんが動き回って煩雑な手続きを代わりにしてくれた。


 自由度の高さ故にサボる人が少なくない中、その恩に報いるために私は大学の講義を欠かさず受けるようにしている。


 高校より授業時間は長いし、テストの形式も想像がつかないけど、大学にいると若干だが孤独感が薄れる。

 家に帰れば風香さんがいて、バイトや授業の時間割の関係で1人にならざるを得ないケースも多々あるからだろう。


「レポートは大丈夫そう?」

「規定の文字数はクリアしましたよ」


 目下私がやらなければいけないことは小レポートの提出だった。

 とある講義が、期末試験がない代わりに授業期間内で課されたレポートを成績にするという形式。1年のうちは取らなきゃいけない講義が多いから、期末試験がないのは嬉しい反面、進めるのが大変だったりする。

 バイトもサークルも現状所属していないから余裕はあるけど。


「靄が晴れた感じ。生き生きして見えるよ、詩ちゃん」

「そうですか?」

「朝も夜も毎日が楽しいって顔してる」


 楽しい、か……。うん、私はこの日々を楽しんでいる。

 行く宛もないモノクロの世界を彷徨っていた私に、手を差し伸べてくれた人がいるから。

 今の生活が夢のように思うことも時々ある。それも家出するまでの悪夢のような生活とは比べるまでもない。


「そんな詩ちゃんに真面目なお話があります」

「な、なんですか……?」


 コホン、と軽く咳払いして改まる風香さん。

 やんごとなき空気に背筋が伸びる。


「詩ちゃんもめでたく高校を卒業して大学生になったわけですが。私たちの関係はまだ同居人のままですね?」

「風香さんの言う通り、です」


 現状を確認する風香さんに頷く。

 元は血縁関係のない他人だった私と風香さんは、一緒に住んでいるだけでは他人のままなのだ。

 風香さんのことだから大丈夫だと思いたいけど、真面目な顔で真面目な話があると言われたら全身の筋肉が強張ってしまう。


「ちょっと、身構えないでよ~。悪い話じゃなくてね――」

 あの日、私たちの関係はまた変わった。


 一応は成人扱いになった私は真の意味で家を出ることになった。それまでは家という箱から物理的に出て行ったに過ぎなかったけど、あの日を境に私は風香さんのものになった。


 両親との関係もすっぱりと断たれた。


「聞くまでもないと思うんだけどね。ご両親に黙っていなくなるのはつまり、絶縁するってこと。それで心残りはない?」

「心残りなんてないですよ、とうの昔に消え失せましたよ……」


 絶縁。縁が切れる。

 縁なんてものは最初から私と両親の間には存在しなくて、だから家出の連絡もしなかったし、風香さんのパートナーになったことも報せていない。

 今頃あいつはどこに行ったんだ、と探しているだろうか。


 冷静に考えてみれば、成人したての私が保証人なしで住む家を確保するのはかなり難度の高いことだと思うが……私がその辺の道端で野垂れ死にするのを良しとするほど無慈悲であってほしくはないけど、それももはや私の与り知らぬこと。

 両親との過去より、風香さんとの未来の方が大切だ。


「結婚式や挨拶はできなくても、2人でお祝いしたいですね」

「お祝い、いいね。何しようか」


 こういうお祝いというのは私の凝り固まった、狭い見識では親類と豪華な食卓を囲むとか、丸いテーブルがいくつも入る巨大な会場で友人にスピーチをしてもらうとか、そういうのしか浮かんでこない。

 親も友人もいないから誰も呼べない。


「風香さんのご両親って、どんな方なんですか?」


 私の両親は呼べないものの、風香さんのご両親に関しては聞いたことがなかった。

 風香さんに似て穏やかな方なのだろうか。


「父も母も元気な人だよ。人間関係については神経質というか、どうも偏見の塊みたいなところもあって大変だったけどね」


 風香さんは嘆息しながらも語ってくれた。

 キラキラして見える風香さんの過去を、一部だけだけど覗かせてもらった。

 昔の風香さんを知ることができて嬉しかったし、それを共有してもいいと思ってもらえることがこの上なく私を舞い上がらせる。


「風香さんも学生時代、大変だったんですね……」 


 しかし同時に、自分だけが悲劇のヒロインを気取っていると思い知り、いたたまれない気持ちにもなった。

 私に見えている以上に誰もが悩みを持ち、日々葛藤している。

 視野が歪んで狭くなっていた私の瞳は他人を見ようとしてこなかった。


「辛さを感じるポイントも度合いも個人差があるからさ、誰かが大変だからって詩ちゃんが我慢することはないんだよ。あなたも辛いし私も辛い、それでいいじゃない」


 風香さんに頭をポンポンされる。

 風香さんは私を認めてくれる。アドバイスをしつつ、私のことを思いやって、支えてくれる。

 風香さんが肯定してくれるだけで私の中に活力が生まれる。


「辛いことより私たちの今後のことでしょ?」


 風香さんに言われて私の意識も切り替わる。

 そうだ。仕事やらなんやらで忙しくてできていなかったお祝いをしようという話だった。


「ハネムーンでも行っちゃう?海外とかさ」

「行きたいですね……でも英語とかあまり得意じゃないんですよね……」


 風香さんとのハネムーンは国内でも海外でも行ってみたいけど、外国語力が絶対的に足りていない。

 まずもって得意教科なんてないけど。


「私も英語はそんなに話せないよ?便利な発明品が沢山あるから、それを持って行けば現地でもなんとかなるよ。あー、でも仕事の調整とかしなきゃいけないし、すぐには行けないかな」

「じゃ、じゃあ……いつか行けるといいですね」


 風香さんに着いて行けば海外でもやっていけるだろう。

 根拠のない自信が湧いてきた。


「お祝いの海外旅行は行くとしても当分先だから……あ!指輪を買いに行こう?」

「ふ、風香さん?」


 私が頷くのを待たずに外行きへ用の服に着替えを始める風香さん。

 指輪って、え?あのダイヤとかがはめられている指輪?


「さ、好きなのを選んで?」


 困惑したまま立たされたショーケースに無数の指輪が置かれている。

 星々よりも近い輝きに目がクラクラしそう。


 でも、風香さんに引っ張られるのが好き。

 細やかな気配りができるのに、誰かのことを想うと自分の意見を曲げない強い芯もある。

 今見ている指輪だってそうだ。だけど、私はそんな風香さんにこれからも振り回されたい。

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失恋した私、お持ち帰りから始まる最低な恋 星乃森(旧:百合ノ森) @lily3

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