第24話
旅行最終日はチェックアウトした後、道中で寄り道をした。
ホテル内のショップでもお土産は買えたけど、麓の町や下道の途中にもお土産屋さんが点在しているから、そっちに寄ろうという流れになった。
「さっきのお店で買ったこれ、美味しいです」
私は助手席に座り、本場のもみじ饅頭を頬張っていた。こし餡と粒餡の2種類の詰め合わせで、お茶と一緒にいただく。
サイズが一口大のため次から次へと食べてしまいそうになる。
「夕飯が食べられるくらいにするんだよ?」
「分かってます」
苦笑いしている風香さんだったけど、彼女の席のポケットにも何袋か空のものがあった。
美味しくて手が止まらないのは風香さんも同じのようだ。
昨日までに負けないくらい楽しみながら帰る道は、太陽が沈み始める頃には見慣れた景色へと戻りつつあった。
山や平屋の住宅がメインだった街並みは、ビルやマンションが林立するエリアに変わる。
知らない土地より馴染みのある地域の方がリラックスできる。
それだけではない、けど。
「お邪魔します」
長い旅路から戻り、とあるマンションの一室。握り慣れないドアノブを掴み、重たい扉を開ける。
私を迎えたのは2度目のお目見えとなる、広い空間だった。
「お邪魔します、じゃないでしょ?」
家主である風香さんが私の頬をつつく。
「――ただいま!」
私は言い直した。
今日から私の自宅になった家。我が家と呼ぶべき風香さん宅。帰宅の挨拶は「ただいま」になる。
◇
客人ではない、この家の住人になったのだと思うと、感無量だった。
その日から私と風香さんの生活がスタートした。
旅行の翌日は月曜日。祝日ではないので風香さんは仕事が、私は学校がある。
夕方には帰宅して早めに就寝したから眠気はあまりないけど、なんとはなしに疲労感が残っているような。
疲労が多少あったとしても、今日は学校に行く。風香さんと約束したから。学校に行くのはそのうちの1つだ。
両親からのメッセージや電話にはきちんと応答すること。
成人を迎えるまで、関係を進展させられないこと。
学校に行き、卒業すること。
3つ約束することを条件に、風香さんは私を引き取ってくれた。風香さんの好意と恩義に報いるためにも、私は約束を果たす。
「おっす。雛本じゃん」
「双木さん?」
雛本家からの登校ルートからかなり外れた所で双木さんに名前を呼ばれた。
独りなのに心細くなさそうにしているのは、最後に会った日から変わっていない。
「随分とまぁ爽快な表情ね。良いことでもあった?」
「双木さんの言う通りにしたら進展があっただけ。背中を押してもらったことには感謝してる」
あっそ、と、双木さんは短く返事して去った。
今はもう誰かといられなくても、心細さを覚えることはない。
教室でどんな話題が飛び交っていても、私には私の居場所がある。安心して話をできる人がいる。
「ただいま」
今朝、風香さんから預かった合鍵を鍵穴に挿す。
この家に来るのはこれが3度目、帰るのは2度目だけど、雛本家のドアより温かさがあると思う。
帰ってくる人がいるからだろう。
ただいまという決まりきった挨拶が、よほど馴染んでいる。
馴染んでいるからか、着替える前に気が緩んでしまう。制服が皺になるのを気にせず、与えられたベッドに寝転がる。
あの家にいた日々よりも気が楽だった。
「ただいま」
「!おかえりなさい!」
微睡んでいた私の耳に風香さんの声が届き、跳ね起きた。
時計の針は19時を指していた。
「おお~。制服姿の詩ちゃんは初見かな?」
「あ~……そうかもしれません。どの日も私服で会ってましたから」
風香さんが色めき立ち、私の全身をくまなく観察する。
学校帰りに会う約束はしたことなかったから、制服を見せたことはない。
まじまじと見つめられるとむず痒くで、皺になるのを気にせず寝ていた自分が恨めしい。
「すぐにご飯作るから、適当にくつろいで待ってね」
手を洗い部屋着に着替えた風香さんがキッチンに立つ。
包丁とまな板が奏でる小気味いい作業音。フライパンから香る鮭の香ばしい匂い。
名店で使いそうな洒落たお皿に盛りつけて、完成。
「お待たせ~。食べようか」
「仕事帰りなのに作らせてすみません」
「いいのいいの。私が作りたくて作ってるんだし、大好きな詩ちゃんに食べてもらえるなら仕事帰りでも作るよ」
いただきます、と言って風香さんは食べ始めた。
私もそれに倣って食べる。
献立は鮭のムニエルと生野菜のサラダだった。ムニエルのお皿にはレモン、蒸したじゃがいも、パセリが添えられていた。
レモンを絞って風味が増した鮭に箸を入れる。外身はカリッと、中身はフワっとしてほぐしやすい。
ふっくらとした身はとろけるように口の中で消えた。
しゃきしゃきの野菜サラダも新鮮で、ドレッシングがなくても箸が進んだ。
存分に風香さんお手製の料理を堪能して、食後はお土産に持ち帰ったグラスで飲み物を飲む。
柄や模様は揃えていないけど、旅先のお店で一緒に作ったかけがえのない一品だ。
「風香さんのお仕事って、聞いたことなかったですね」
「どうしたの?」
「いえ、前から気にはなっていたんですけど」
アルコール入りのグラスを傾けつつ、風香さんが教えてくれる。
私のグラスにはよく冷えた緑茶が注がれている。
「コスメとかファッション系の業界。営業でいろんなお店に行けるし、イベントなんかがあると忙しいけど、それはそれで行ったことない場所に行く機会も貰えて、やりがいはとてもあるかな」
仕事について語る風香さんの笑顔は底抜けに明るかった。
オフでも楽しく語れる人だから仕事ができるんだろうし、稼ぐこともできているんだろう。
風香さんはマイナスの感情を噫にも出さない。愚痴をこぼすこともない。
目の前にあるその全てを前向きに捉えているというのか、溌溂としている風香さんにますます惹かれる。
「私の仕事の話はさておき、詩ちゃんはどうなの?学校生活」
風香さんの身の上話が一段落したところで、次なる話題が私に振られた。
「私の学校生活なんて味のないガムみたいなものですけど……」
聞かれても困る。
噛みまくって味がしなくなったガムの価値にも劣るのだけど……。
興味津々!というニコニコ顔で待たれてしまっては、無理矢理にでもネタを絞り出すしかないか……。
「私の学校生活なんて語ることはないですけどね……友達もいなかったですし」
「友達ね~。なんだかんだ私も友達って呼べる子はいなかったな」
「風香さんが、ですか?」
意外だった。
モテることと友達がいることは別問題なのか。人当たりのいい風香さんなら友達くらい何人もいそうだけど。
「友達の基準って曖昧でさ。人それぞれとも言うんだけど……一説によると、友達が多い人と少ない人の違いは、友達としてカウントする基準が違うだけなんだって」
「と、言うと……」
「休み時間にお喋りする程度でも友達と思うのか、休みの日に頻繁に会って遊んでようやく友達なのか。そんなものらしいよ。あくまで一説に過ぎないけど、あながち間違いではないと私は思うな」
「……そういうものなんですかね」
「卒業したら自然と疎遠になるし、まして社会人になると予定が合わせにくくもなるの。人生で友達なんてさ、1人か2人できれば万々歳じゃない?」
最後の1滴まで上品に飲み干した風香さんは、「だから友達の多寡なんかで卑下することはないよ」と言った。
風香さんがそう言うなら、信じてみても大丈夫はなずだ。
「それでそれで?」
「それで、とは」
「高校のお話」
あ、終わってなかったんですね。
「照れ隠しとかじゃなくて、本当に話すことがないんです……」
卒業アルバムの寄せ書きページは漂白剤メーカーも驚きの白さだし、集合写真以外で私が写っている写真は皆無だし、部活や課外活動で頑張ったこともないし。
私の学生生活じゃパンフレットすら作れない。
青春とはかけ離れた生活を送っているのだから無理もない。
「そっか~。けど落ち込まないで?学校は少しつまらないかもだけど、日常生活に彩りはできたでしょう?」
「それもそう、ですね……私には風香さんがいるから」
学校の教室には居場所がなくても、帰る場所はできた。
私の人生を彩るのは風香さんだけ。もう学校に、他の誰かに固執する理由はない。
「あの。1つ言い忘れていました。学校自体はつまらなかったけど、風香さんがメッセージをくれるようになってからは退屈せずに済みました。だからそれは、ありがとうございました」
私が長いこと言いそびれていたことを伝えると、風香さんはパチクリと数回瞬きした。
やや間が合ってから「どういたしまして」と返してくれた。
「私も詩ちゃんに何送ろうとか、どう返してくれるのか、考える時間が好きだったよ」
「もうこの家で毎日会えますけど……これからも外にいて会えない時、メッセージを送ってくれますか?」
「詩ちゃんのお望みとあらば、私は送るよ」
同居することになっても、傍にいられないことだってある。
学校か仕事か、互いにいるべき場所があるから。
風香さんとどこかで繋がっていることを思い出せば、私はやっていける。
オンラインでもオフラインでも私は風香さんと繋がっていたい。
風香さんだけが私の生きる希望なのだから。
「風香さん。1回だけ、しませんか……?」
繋がりたいなんて思ってしまったせいか、身体が火照って疼く。
「1回でいいの?」
「し、仕事とか学校とかありますから」
「気が済むまでしたくない?」
随分久々に見た風香さんの妖艶な笑顔。理性と欲望が戦って、いつだって理性が先に音を上げる。
その笑顔の沼に、私は見事なまでに引きずり込まれるのだった。
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