第24話

 旅行最終日はチェックアウトした後、道中で寄り道をした。

 ホテル内のショップでもお土産は買えたけど、麓の町や下道の途中にもお土産屋さんが点在しているから、そっちに寄ろうという流れになった。


「さっきのお店で買ったこれ、美味しいです」


 私は助手席に座り、本場のもみじ饅頭を頬張っていた。こし餡と粒餡の2種類の詰め合わせで、お茶と一緒にいただく。

 サイズが一口大のため次から次へと食べてしまいそうになる。


「夕飯が食べられるくらいにするんだよ?」

「分かってます」


 苦笑いしている風香さんだったけど、彼女の席のポケットにも何袋か空のものがあった。

 美味しくて手が止まらないのは風香さんも同じのようだ。


 昨日までに負けないくらい楽しみながら帰る道は、太陽が沈み始める頃には見慣れた景色へと戻りつつあった。

 山や平屋の住宅がメインだった街並みは、ビルやマンションが林立するエリアに変わる。


 知らない土地より馴染みのある地域の方がリラックスできる。

 それだけではない、けど。


「お邪魔します」


 長い旅路から戻り、とあるマンションの一室。握り慣れないドアノブを掴み、重たい扉を開ける。

 私を迎えたのは2度目のお目見えとなる、広い空間だった。


「お邪魔します、じゃないでしょ?」


 家主である風香さんが私の頬をつつく。


「――ただいま!」


 私は言い直した。

 今日から私の自宅になった家。我が家と呼ぶべき風香さん宅。帰宅の挨拶は「ただいま」になる。

 客人ではない、この家の住人になったのだと思うと、感無量だった。

 その日から私と風香さんの生活がスタートした。

 旅行の翌日は月曜日。祝日ではないので風香さんは仕事が、私は学校がある。


 夕方には帰宅して早めに就寝したから眠気はあまりないけど、なんとはなしに疲労感が残っているような。

 疲労が多少あったとしても、今日は学校に行く。風香さんと約束したから。学校に行くのはそのうちの1つだ。


 両親からのメッセージや電話にはきちんと応答すること。

 成人を迎えるまで、関係を進展させられないこと。

 学校に行き、卒業すること。


 3つ約束することを条件に、風香さんは私を引き取ってくれた。風香さんの好意と恩義に報いるためにも、私は約束を果たす。


「おっす。雛本じゃん」

「双木さん?」


 雛本家からの登校ルートからかなり外れた所で双木さんに名前を呼ばれた。

 独りなのに心細くなさそうにしているのは、最後に会った日から変わっていない。


「随分とまぁ爽快な表情ね。良いことでもあった?」

「双木さんの言う通りにしたら進展があっただけ。背中を押してもらったことには感謝してる」


 あっそ、と、双木さんは短く返事して去った。

 今はもう誰かといられなくても、心細さを覚えることはない。

 教室でどんな話題が飛び交っていても、私には私の居場所がある。安心して話をできる人がいる。


「ただいま」


 今朝、風香さんから預かった合鍵を鍵穴に挿す。

 この家に来るのはこれが3度目、帰るのは2度目だけど、雛本家のドアより温かさがあると思う。


 帰ってくる人がいるからだろう。

 ただいまという決まりきった挨拶が、よほど馴染んでいる。


 馴染んでいるからか、着替える前に気が緩んでしまう。制服が皺になるのを気にせず、与えられたベッドに寝転がる。

 あの家にいた日々よりも気が楽だった。


「ただいま」

「!おかえりなさい!」


 微睡んでいた私の耳に風香さんの声が届き、跳ね起きた。

 時計の針は19時を指していた。


「おお~。制服姿の詩ちゃんは初見かな?」

「あ~……そうかもしれません。どの日も私服で会ってましたから」


 風香さんが色めき立ち、私の全身をくまなく観察する。

 学校帰りに会う約束はしたことなかったから、制服を見せたことはない。

 まじまじと見つめられるとむず痒くで、皺になるのを気にせず寝ていた自分が恨めしい。


「すぐにご飯作るから、適当にくつろいで待ってね」


 手を洗い部屋着に着替えた風香さんがキッチンに立つ。

 包丁とまな板が奏でる小気味いい作業音。フライパンから香る鮭の香ばしい匂い。

 名店で使いそうな洒落たお皿に盛りつけて、完成。


「お待たせ~。食べようか」

「仕事帰りなのに作らせてすみません」

「いいのいいの。私が作りたくて作ってるんだし、大好きな詩ちゃんに食べてもらえるなら仕事帰りでも作るよ」


 いただきます、と言って風香さんは食べ始めた。

 私もそれに倣って食べる。

 献立は鮭のムニエルと生野菜のサラダだった。ムニエルのお皿にはレモン、蒸したじゃがいも、パセリが添えられていた。


 レモンを絞って風味が増した鮭に箸を入れる。外身はカリッと、中身はフワっとしてほぐしやすい。

 ふっくらとした身はとろけるように口の中で消えた。

 しゃきしゃきの野菜サラダも新鮮で、ドレッシングがなくても箸が進んだ。


 存分に風香さんお手製の料理を堪能して、食後はお土産に持ち帰ったグラスで飲み物を飲む。

 柄や模様は揃えていないけど、旅先のお店で一緒に作ったかけがえのない一品だ。


「風香さんのお仕事って、聞いたことなかったですね」

「どうしたの?」

「いえ、前から気にはなっていたんですけど」


 アルコール入りのグラスを傾けつつ、風香さんが教えてくれる。

 私のグラスにはよく冷えた緑茶が注がれている。


「コスメとかファッション系の業界。営業でいろんなお店に行けるし、イベントなんかがあると忙しいけど、それはそれで行ったことない場所に行く機会も貰えて、やりがいはとてもあるかな」


 仕事について語る風香さんの笑顔は底抜けに明るかった。

 オフでも楽しく語れる人だから仕事ができるんだろうし、稼ぐこともできているんだろう。


 風香さんはマイナスの感情を噫にも出さない。愚痴をこぼすこともない。

 目の前にあるその全てを前向きに捉えているというのか、溌溂としている風香さんにますます惹かれる。


「私の仕事の話はさておき、詩ちゃんはどうなの?学校生活」


 風香さんの身の上話が一段落したところで、次なる話題が私に振られた。


「私の学校生活なんて味のないガムみたいなものですけど……」


 聞かれても困る。

 噛みまくって味がしなくなったガムの価値にも劣るのだけど……。

 興味津々!というニコニコ顔で待たれてしまっては、無理矢理にでもネタを絞り出すしかないか……。


「私の学校生活なんて語ることはないですけどね……友達もいなかったですし」

「友達ね~。なんだかんだ私も友達って呼べる子はいなかったな」

「風香さんが、ですか?」


 意外だった。

 モテることと友達がいることは別問題なのか。人当たりのいい風香さんなら友達くらい何人もいそうだけど。


「友達の基準って曖昧でさ。人それぞれとも言うんだけど……一説によると、友達が多い人と少ない人の違いは、友達としてカウントする基準が違うだけなんだって」

「と、言うと……」

「休み時間にお喋りする程度でも友達と思うのか、休みの日に頻繁に会って遊んでようやく友達なのか。そんなものらしいよ。あくまで一説に過ぎないけど、あながち間違いではないと私は思うな」

「……そういうものなんですかね」

「卒業したら自然と疎遠になるし、まして社会人になると予定が合わせにくくもなるの。人生で友達なんてさ、1人か2人できれば万々歳じゃない?」


 最後の1滴まで上品に飲み干した風香さんは、「だから友達の多寡なんかで卑下することはないよ」と言った。

 風香さんがそう言うなら、信じてみても大丈夫はなずだ。


「それでそれで?」

「それで、とは」

「高校のお話」


 あ、終わってなかったんですね。


「照れ隠しとかじゃなくて、本当に話すことがないんです……」


 卒業アルバムの寄せ書きページは漂白剤メーカーも驚きの白さだし、集合写真以外で私が写っている写真は皆無だし、部活や課外活動で頑張ったこともないし。


 私の学生生活じゃパンフレットすら作れない。

 青春とはかけ離れた生活を送っているのだから無理もない。


「そっか~。けど落ち込まないで?学校は少しつまらないかもだけど、日常生活に彩りはできたでしょう?」

「それもそう、ですね……私には風香さんがいるから」


 学校の教室には居場所がなくても、帰る場所はできた。

 私の人生を彩るのは風香さんだけ。もう学校に、他の誰かに固執する理由はない。


「あの。1つ言い忘れていました。学校自体はつまらなかったけど、風香さんがメッセージをくれるようになってからは退屈せずに済みました。だからそれは、ありがとうございました」


 私が長いこと言いそびれていたことを伝えると、風香さんはパチクリと数回瞬きした。

 やや間が合ってから「どういたしまして」と返してくれた。


「私も詩ちゃんに何送ろうとか、どう返してくれるのか、考える時間が好きだったよ」

「もうこの家で毎日会えますけど……これからも外にいて会えない時、メッセージを送ってくれますか?」

「詩ちゃんのお望みとあらば、私は送るよ」


 同居することになっても、傍にいられないことだってある。

 学校か仕事か、互いにいるべき場所があるから。

 風香さんとどこかで繋がっていることを思い出せば、私はやっていける。

 オンラインでもオフラインでも私は風香さんと繋がっていたい。

 風香さんだけが私の生きる希望なのだから。


「風香さん。1回だけ、しませんか……?」


 繋がりたいなんて思ってしまったせいか、身体が火照って疼く。


「1回でいいの?」

「し、仕事とか学校とかありますから」

「気が済むまでしたくない?」


 随分久々に見た風香さんの妖艶な笑顔。理性と欲望が戦って、いつだって理性が先に音を上げる。

 その笑顔の沼に、私は見事なまでに引きずり込まれるのだった。

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