第23話

 旅行最終日ともなると、初日に感じたソワソワ感とは別種の感覚が去来する。

 線香花火が燃えるのを見ながら感慨にふける。


「星空、凄い迫力だね」


 風香さんに釣られて私も夜空を見る。

 満天の星は大迫力で、都会じゃ街の灯に掻き消されてしまう輝きが視界を覆い尽くしていた。

 胸を打たれるっていうのはこのことを表すのだろうか。


 星座には詳しくないし大自然をこよなく愛するような柄でもないけど、無数の星々の煌めきを前にして何とも思わないほど偏屈でもない。

手元の火花も、上空の星も綺麗だ。


 それを眺める風香さんの横顔もそう。星の明かりで煌めく風香さんは色っぽくて、神秘的だ。


「あっ、流れ星!」


 風香さんが空を指差した。

 本体は瞬く間に消えてしまったけど、尾の部分が数瞬だけ視認できた。


 流れ星に願い事を唱えるとそれが叶う、巷ではそのようなジンクスがあるとかないとか。見えなくなった後でも有効なのかどうか思案して、祈るだけ祈ることにした。


「夏の終わり。星空の下で花火を楽しむなんて、風情があるなぁ。詩ちゃんの恰好も素敵だし」

「……素敵なのは風香さんだと思いますけど」


 率直に感想を伝える。

 明日の朝チェックアウトしなきゃいけないのが寂しい。

 この旅行だけで様々な風香さんを発見できた。内面も外面も、ますます好きになってしまった。


「詩ちゃんさ……ゴールデンウイークに私が言ったこと、忘れてない?」


 部屋に戻った私は、風香さんにそう問われた。

 ゴールデンウイークに風香さんから言われたこと。


「ネガティブ禁止、でしょ」

「よくできました。でも……」


 風香さんが私の前に立ち、私の頬を挟み込む。

 寝間着に着替えた風香さんの艶姿が私の心臓に早鐘を打たせる。


「と~っても寂しそう、だよ」


 私を布団に押し倒してその隣に風香さんもベッドイン。

 向かい合う形で寝る私と風香さん。 

 毛布をかけていなくても人肌の温度が私を温める。


「明日でこれも終わりかと思ったら……」

「ふふっ。ちゃんとエンジョイできたようで旅行を計画した甲斐があったよ。明日だって即座に帰るわけじゃないんだし、泣きそうな顔しないで?」


 風香さんの人差し指が私の目元を撫でる。

 泣きそうなのか、私は。


 泣きたいかもしれない。風香さんと誰より身近にいる至福の時、この期限は目前に迫っている。

 初日、道中でした話は未解決のまま。


「私のどこを好きになってくれたの?」


 不意に風香さんが、そう尋ねてきた。

 咄嗟のことで脳みそが混乱したけど、続く風香さんの言葉で質問を理解した。


「こう言ったらなんだけどさ、去年の出会いは詩ちゃんにとって最悪だったわけじゃない?」


 演技ではない、申し訳なさを滲ませた顔で風香さんは言う。

 最悪の出会い。あの頃はそう私も思った。


「最悪でしたよ。風香さん、私の処女――初めてを奪ったんですからね」


 人が弱っている隙を突いて本番行為に及ぶなんて、人間のすることじゃない。まっとうな社会人ならなおのこと、未成年相手にそのようなことはしない。


「返す言葉もない。まぁご覧の通り爛れた大人なわけだけど」


 なんだか急に風香さんが良識的な人に思えてきた。

 自らの行為のヤバさを自覚しているからだろうか?理解が及んでいるのなら止めた方が良いけれども。


「でも風香さんが爛れていた人だから出会えました。初めてを奪われたのは心底傷つきましたけど……その初めてを超える、たくさんの初めてを私に与えてくれました。約束を守ってくれて、いつだって私に寄り添ってくれて。私には親も友達もいらない。風香さんじゃなきゃいけないんです……!」


 風香さんはヤバい人だけど、ヤバいままでいい。

 そのヤバさが私と風香さんを引き合わせてくれたのだから。


「ありがとね、詩ちゃん。だけど私と一緒にいるなんて、間違っていると思わない?」

「何がですか?」

「未成年とエッチする人間が同棲相手なんて、怖くない?」


 風香さんは今さらすぎることを言った。

 倫理観の持ち合わせはないと思っていたのに、どうしたのか。


「間違っているか、は……正しいことじゃないと思います」

「うん」

「私は思いっきり良くない方向に進んでいると思います」

「うん」

「でも正しい方にいても私は胸が苦しいんです。それが正しかったのかどうかすら、私には……」


 風香さんは良い人だ。けど、良くないことをしているのも確かだ。既に警察のお縄をちょうだいしていても不思議ではない。


 それでも私には風香さんしかいない。こんなのは間違っているなど、言われるまでもない。


 正しい居場所に留まるのが正解だけど、そこは窮屈で退屈で寂しい。正しくない方が私には幸せでいさせてくれる。否、私が幸せを感じられる方こそが正しい。


「詩ちゃんの気持ちはよ~く分かりました」


 目を瞑って聞いていた風香さんが一旦そう区切り、深呼吸して言った。


「一緒に住もうか、詩ちゃん」

「…………いいんですか?」


 聞き間違いかと思って、聞き返さずにはいられなかった。


「いいよ。これは初日の答だから――私の家においで」

「やった……!」


 毛布の中でガッツポーズを作る。人生で最も高揚したと言っても過言じゃない。

 この旅行が終わっても風香さんといられる。次はもう、誰も待っていない自宅に帰る必要はなくなるんだ。

 呪縛から解き放たれた気分である。


「ただし幾つか約束してもらいます。いい?」

「約束、ですか」


 風香さんは指を3本立てた。何を約束することになるのだろう。

 でも代わりに風香さんといられるのなら、その約束は当然守る。


「詩ちゃんのご両親はあまり帰らないそうだけど、家出をしたことで捜索願を出されてもおかしくないよね」

「一応その辺は調べました。事件性がなければ基本は捜さないと書いてありました」


 家出するにあたって鬼門になるのは、警察に届け出を出されること。


 風香さんの自宅と雛本家は割合遠い位置関係にあり、だから初日の待ち合わせは私の家から遠すぎないように調整してもらったけど、捜索願のリストに入れられて情報共有されたら……。


 今回みたいに家を空けることはあると両親にも知らしめたし、私に関しては無頓着な人だから捜索願なんて届けないと思うけど。


「そこで1つめの約束。もしもご両親からメッセージが来たら、きちんと返事はすること。既読がつかなくて返信も来ないってなったら大騒ぎだからね」

「はい、そうします」

「よろしい。それで2つめ。一緒に暮らすとはいえ、詩ちゃんの年齢を考慮するとまだ正式な関係は結べない。どんな関係になりたくても詩ちゃんは未成年。原則として親御さんの同意は必須でしょ?だから成人するまでの間、我慢できる?」

「できる、できます。我慢します!」


 風香さんが言い終えるより前に返事する。

 私は17歳になったばかり。成人年齢の引き下げなんて興味なかったけれど、これは助かった。


「良い返事。あ、でもエッチは沢山しようね」


 余計な一言がおまけでついてきたけど……風香さんらしくて良い。

 私も風香さんと気持ちいいことは、いっぱいしたいし。


「で、これが最後の約束。たまにサボるのは咎めないけど、学校にはちゃんと行って卒業すること。詩ちゃんがご両親を好きになれないのは仕方ないと思う。でも学校の費用を出しているのは私じゃなくて、そのご両親だから。私には詩ちゃんを中退させる権利も資格もないの。これはゆめゆめ忘れないでね」

「それで風香さんの傍にいられるなら、行きます」


 味気ない学校は行かなくて済むなら行かないけど、風香さんが言ったことは一理ある。私が退学したいと言っても風香さんの印鑑を貰うわけにはいかないし、もう両親にも言えないのだから、黙って登校するしかあるまい。


 日中は風香さんも仕事でいないし、それまでの暇潰しだ。

 高校卒業まであと1年ちょっとの辛抱だし、やれそうな気がする。


「3つの約束、守れるなら一緒に生活してさ。ゆっくり将来のことは考えようよ」


 風香さんがスマホを操作して数分後、私の端末がメッセージを受信した。

 社会人の基本という風香さんの教えだ。メッセージには、先の約束3つが要約されていた。


 それに同意するという意思表示をして、晴れて私は風香さん宅に住む資格を得た。

 安堵したせいか途端に瞼が重くなってきた。

 風香さんの香りと温もりを感じながら、私の意識は深い眠りに落ちていった。

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