第22話

 2日目の早朝、目覚ましが鳴るよりも前に目覚めた。

 旅先の非日常感やホテルの寝具がどうも私の神経に働きかけてきて、二度寝する気にはなれなかったのだ。


 朝の清々しい風が緑に囲まれた大地は都会にない香りを運び、冴えていた頭が若干の落ち着きを取り戻した。


 モーニングコールまで眠っていたかったけど、気分を変えることはできた。

 部屋に戻り、洗面台で洗顔と歯磨きを済まし、風香さんが起きるのを待つ。


(長距離の運転だったし、疲れてるよね)


 時刻はまだ6時だった。

 学校に行く準備を含めても普段の起床時刻は7時前だし、かなり早起きだった。

 娯楽の道具はなくスマホでやることもないので、手持ち無沙汰になる。


(睫毛長いなぁ……)


 ついつい風香さんの寝顔に意識が引き寄せられる。

 すっぴんなのにお肌綺麗。寝顔も美人。つけ睫毛要らなさそう。思うことがいろいろとある。


 眺めているうちに触れてみたくなった。

 手が風香さんの頬に伸びる。寝込みにそういうことをするのは良くないと思いつつ、でも触れてみたいものは触れてみたいのだ。


 よくよく考えたら私は風香の頬や唇を触ったことがない。別の部位での接触はあるけど、それはキスや行為をしていた最中の出来事。そういった下心を抜きにして、ただ触れてみたい。


「す、すべすべ……」


 人差し指でスマホをタップするように、ちょん、と軽く触れる。

 触れた指先を離したくなくなるような弾力。絹糸のように滑らかな肌。自分のそれとはモチモチ具合が違いすぎる。

 一体どんなスキンケアをしたらこうなれるのか。


「……おはよう?」

「起きてたんですか!?」


 私の人差し指が風香さんの手に包まれて、心臓が飛び出しそうになった。


「詩ちゃんが腕を伸ばした時くらいから起きてたよ」

「最初からじゃないですか」

「私を求めてくれるのは光栄なことだからね」


 起きていて、わざと私に触らせてくれたのか……。

 触れて良かったけど気恥ずかしい。


「朝食が終わったら周辺を散策しようか」


 ベッドから出た風香さんと身支度を済まし、部屋を出た。

 この日、ビュッフェ形式の食事に舌鼓を打った私と風香さんは麓の町を見て回った。


 人口の多い都市圏とは打って変わって、ゆったりとした時の流れを感じる。自然、歩くスピードも平常時より遅くなる。

 観光に来ている人、この地域のお店や会社で働く人、いろんな人がゆとりある空気感を作り上げていた。


「たまに街歩きすると忙しない日常を忘れることができていいね」


 都会に住みながら都会人よりゆとりある(と、私が勝手に思っている)風香さんですら、そう零していた。


 実は私の見えていない所では張り切っているのかもしれないし、あまり変わらないのかもしれない。せかせかしている風香さんなんて想像もつかないけど、どっちでもいいことだった。

 この瞬間、私の隣にいてくれる風香さんが全てだから。

 3日目は観光に加えてものづくりの体験をする予定だと聞かされた。

 なんでもガラス作り体験で、職人さんに指導してもらい、作ったものをお土産として持ち帰ることができるそうだ。

 ガラスなんて作ったことないし、ちょっとワクワクしている。


「よろしくお願いしまーす」

「お、お願いします」


 よく通る声で職人さんがお手本を実演し、次に私と風香さんの番が回ってくる。

 拭き竿と呼ばれる棒の先端に、溶けてハッサクの身のごとく変色したガラスが取り付けられ、棒を通じて息を吹き込む。


 そこにカラフルなガラスを外周にまとわせ、もう1回高温でそれらを溶かす。取り出したガラスに息をさらに吹き込む。これをある程度の大きさに膨らむまで繰り返す。


 最初に息の調節を失敗したと思ったけど、そこは職人さんがフォローしてくれたので見栄えの問題はなくなった。

 あとはグラス底を整えて、切り離す部分となった口を適当な大きさに拡げる。

 そしてグラスが完成した。


「詩ちゃんのグラス、可愛い柄に仕上がってるね」

「風香さんのは優美な色合いですね」


 机に置かれた互いのグラスを見て、感想を言い合った。

 私のグラスは数種類の色が散りばめられていて、可愛らしさが前面に押し出されている。対する風香さんの方は彩度の高い青を基調とした模様で、彼女のクールかつ安らぎを与える雰囲気にマッチしていた。


「旅の思い出、お揃いって良いよねぇ」


 並んだグラスを前にしてしみじみと、私を横目に見て風香さんが呟く。

 お揃いという単語を聞いて風香さんの意図を察した。

 言葉にして伝えたことはないけど、私がこういうものを欲していることを汲んでくれたのだ。


 お揃いのものがあると特別な意味で繋がっていられるように思える。

 写真、小物、洋服……繋がりという目に見えないものを可視化してくれる。それが私にはなかったからこそ、余計に執着が湧く。


「こちら、包みましたがぶつけないようご注意ください」

「はい、ありがとうございました」


 スタッフから緩衝材入りの袋を受け取り、ガラス作り体験は終わった。


「ガラスって、ああいう風に作るんですね。生で見たのは初めてです」

「私も初めて見たよ」

「風香さんもなんですね」

「私だって知らないこと、未経験のことは多いよ?というより、まだまだ知らないことの方が多いかな」


 私からすれば風香さんは何でも知っていて、頼りになって、導いてくれる。

 そんな風香さんにも未知の領域のことがあるとは到底思えない。ちっぽけで薄い人生を送っている私なんかより、風香さんは中身が充実した人だ。


「風香さんですら初めてのことを、私が一緒に経験できて良かった、です」

「詩ちゃんは私のことを完璧超人とでも思ってるの?けど良かったのは私も同じ」


 ホテルへの帰り道、スキップしてしまいそうになるのを堪えて歩くのだった。

 帰った後はホテルの大浴場を利用した。

 入浴するにはやや早く、室内にいるのは私と風香さんだけだった。実質貸切状態だ。


「極楽だね~」

「はい……」


 全身を入念に洗い流し、泳ぐこともできそうな湯舟に浸かる。

 熱すぎず温くもない適温のお湯に、全身から力が抜ける。油断すると顔まで浸かって「ぶくぶくぶく……」ってやってしまいそう。

 行儀悪いからやらないけど。


「絶景だ~!」


 隣で浸かっていた風香さんがいつになくはしゃいでいる。

 そんなところも可愛くて美しくて、好き。


「ほらほら、山の頂上に太陽が重なるの!貴重じゃない?」

「き、貴重ですけど近すぎです……!」

「次は富士山で拝みたいね。ダイヤモンド富士とか!」


 ダメだ、まるで聞いていない……。


 夕焼けそのものは確かに印象的で絶景なのだけど、風香さんの豊満な胸が私の二の腕にくっついていて絶景どころの騒ぎじゃない。

 ヤバいって、これヤバいって。


 風香さんの胸が弾力という名の破壊力を有しているのは体感していても、急に押し付けられて平常心を保てるほど私の心は丈夫に設計されていない……。

 あ、頭がクラクラしてきた。適温だったお湯が超絶熱くなってきたのはたぶん――


「――あれ……」


 瞼を開くと、そこは浴槽ではなかった。入浴中のはずだったけど……。


「はいこれ。スポーツドリンク」


 私の顔を覗き込んだ風香さんから冷たいペットボトルを渡された。

 その風香さんはバスローブを着ており、屈んだせいで胸が見える扇情的な恰好になっていた。


「ありがとう、ございます」

「ごめんね、はしゃいで詩ちゃんに抱き着いたままでいたら、長湯させちゃった」

「いえ……」


 長湯したことよりたわわな実の方が大問題だったのだけど、まぁもういいや……。

 受け取ったスポーツドリンクを半分ほど飲んで脳の働きが戻ってきた。


「夕飯まで30分くらいあるけど、もう少しゆっくりする?」

「部屋に用意してくれるんですよね?」

「うん。歩けそう?」

「もう大丈夫です。ほら」


 寝転がっていた腰掛けから上半身を起こし、両脚を床に下ろす。眩暈もしないし、これなら歩けるだろう。


「私がおんぶしてあげようか?こう見えても筋力はそれなりにあるの」

「おんぶはいいです……」

「遠慮しなくていいのに」


 遠慮などではない。密着するとせっかく涼んだ体がまた発熱しそうだから。

 入浴中じゃないからのぼせることはないだろうけど、毎度そうなっていたら身がもたない。

 それを毎度、風香さんが介抱してくれるのは幸せなのだけど。

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