第21話
風香さんは車で待機していた。
車種には疎いけど、惚れ惚れするようなボディの流線形は格好良かった。
「来てくれたんだね」
運転席から窓を開け、ひょこっと風香さんが顔を出す。
「行くって約束しましたから」
私は学校を休んででも旅行に行くと言った。休むことも諸侯することも、その言葉に嘘はない。
風香さんに促されて荷物を後ろの座席に置き、助手席に乗り込む。
車内は風香さんのような、甘い花の香りがした。
「風香さん、運転もできるんですか」
「まぁね。営業やイベントで結構乗るし、免許を持っていると選べる仕事の幅も増えるから」
アクセルを緩く踏むその姿は熟練のドライバーのようだった。
発進後の運転も手慣れたもので、なんならタクシーより乗り心地が良い。
しばらく取り留めのない話をして、景色の流れを楽しむ。
「そういえば後部座席のそれ、大荷物だけど、どうしたの?」
車線を優雅に変更しながら風香さんが私に問いかけた。刹那、私の意志は揺らぎそうになった。熟考せず勢いだけで我が家を飛び出したものの、この行為が吉と出るかは賭けだから。
4泊分の旅行にしても多過ぎる荷物は宿泊することだけを見据えたものではないが、私の中の考えがまとまっただけで、風香さんの意見は聞いていない。メッセージで質問することも検討したけど、旅行前にもしものことがあったら旅を満喫するどころではなくなってしまうと思ってやめた。
揺らぎそうな意志に喝を入れ、私は説明した。昨日あったことや、私が思ったことを、ありのままに口にした。
「詩ちゃんのご両親は、ほとんど家にいないんだね」
「そうなんです……一家団欒なんて私には異国の文化みたいに思えて」
「酷いなぁ……私だったら放っておかないのに」
風香さんはスルスルとハンドルを回しながら、寄り添うように言ってくれる。
放っておかないの意味は家族としてのニュアンスではないだろうけれど……。
「あまり帰って来ないご両親には連絡を取るまでもない、か……詩ちゃん、どこかで期待していたんだよね」
風香さんは前方を注視しつつ、もう一歩私の内面に踏み込んできた。
期待。そう言われれば、そうなのかもしれない。
諦めきったつもりで諦められていなかった。スーパーで楽しげに買い物している親子を目で追っては、僅かながら可能性はあると信じていた。いつかあの人たちみたいになれるって。
永遠に来ない日に思いを馳せていた。
つまるところそれは両親への期待の表れで、摩耗していく日々の中で必死に考えないようにしていただけだった。
「期待していたのも昨日までです……」
緊張の一瞬を目前にして、口内がカラカラになる。喉が他人のものみたいに動かない。
ペットボトルのお茶で口を潤わせて、改めて言う。
「風香さんと一緒に、生活させてくれませんか」
私の声は形を成した。
風香さんのリアクションはまだない。透けるような唇を真一文字にして考え込んでいる。
衝撃を受けた風には見えない。
「なんとなくね……家出したのかなって気はしていたよ」
案の定というか風香さんにはバレバレだった。
窓の外は高層ビルが立ち並んでいた街から、平屋の住宅が並ぶ街並みに変わっていて、見知った風景ではなかった。
行動範囲が狭かった私は、遠くまで来た感じがもうしている。
「詩ちゃんは、本当にそれでいいの?」
「いいんです」
「ん~…………おいおい決めるとして、まずは旅行を楽しもうか」
露骨に話を逸らされたことが分かる。
流石に風香さんでも、今日の今日で家出娘を引き取れというのは性急すぎるし、即決しないのも頷ける。それに私は文句も言える立場でもない。
決定権は風香さんに委ねられた。サイコロの目は何が出るか、風香さんのみぞ知る。
◇
高速道路のサービスエリアで小休憩を挟み、小腹も満たした私と風香さんは再出発した。
学校の授業期間中、しかも皆が授業を受けている時間にサービスエリアで食事を摂るというのは背徳感があった。
下道より遥かに速いスピードで景色は移ろう。
やがて高速道路を下り、下道で目的地までひた走る。次第に標高が高くなってきたためか、走っている車の台数が減っていった。
行き違いで2台の車が通るのがやっとのような狭い道でも、風香さんは慣れたハンドル捌きで走行する。
「ここが今日から泊まる宿で~す」
荘厳な建物の前の敷地に車を停め、降りる。
駐車する前から見えてはいたけど、真正面に立つとその雰囲気に圧倒される。
先月までより多少沈むのが早くなった夕陽を背に、幻想的な景観になっていた。
「……お高いんじゃないですか?」
生唾を呑んで見上げる。
4階建てで高さこそ抑えられているものの、横幅が想像以上にあった。マンションとホテルを比べるのもおかしいけど、敷地は風香さんの家の広さを大きく超えていると思う。
1泊いくらか聞くのが躊躇われる。
「お手頃価格だったので」
堂々たる足取りで敷地内を歩く風香さんに続き、私も歩いた。
平地より標高が高いだけのことはあって、残暑が我が物顔で居座っていた地元より格段に涼しかった。
吸い込んで鼻を通る空気が気持ちいい。
「はぁ~~~、ふかふかで座り心地最高だね~」
部屋に着くなり風香さんはソファに腰掛けた。
ホテルの部屋にある椅子といえば広縁にあるタイプか、通常の4脚の椅子を思い浮かべる。
が、風香さんが座っているソファはでかい。
スペースはどう見ても足りるのだが、その高級な見た目ゆえに座りづらい。
なので私は外が一望できる窓際の椅子を選んだ。この部屋にもある広縁だ。朝昼なら眺めが良いんだろうな、と思いながら足を伸ばす。
「日も暮れちゃったし、夕飯とお風呂を済ませたら寝ようか」
風香さんがスマホで時刻をチェックして腰を上げる。
全身鏡で身なりを整える。髪を梳かし、服の皺や襟を入念に確かめている。
「詩ちゃんも、ほら」
鏡の前に来るよう手招きされたので、疑問を抱きつつも鏡の前に立った。
優しい手つきで髪を梳く風香さん。
「レストランに行くんですよね?」
「そうだけど、このホテルはドレスコードあるから。言い忘れててごめんね」
「ドレスコードって初めて聞きました」
無知な私に風香さんは教えてくれた。
職場やホテルに相応しい服装のことで、特に社会人は注意し過ぎてし過ぎることはないらしい。
女性の場合はオフィスに相応しい装いを求められるため、スーツを着るのとは別の労力があるとかなんとか。まぁ、それはいい。
「ドレスコードを守らないと、下手したら入店拒否されたり他のお客さんから白い目で観られたりするんだよね」
「あの?どうしてそれをもっと早く教えてくれなかったんですか……!」
出発前なら服を買い揃えるだけの店も時間もあったのに。
「心配無用だよ。私が買ったコーデならどう組み合わせても大抵のレストランには入店できるから。あと靴も擦り切れてないし、露出が多いものでもないからね」
「なら安心ですね……」
聞いた感じ要求されることが多すぎて不安に駆られたけど、風香さんのお墨付きなら安心して過ごせそうだ。
旅行に来ているのに入店拒否なんてされたら悲しいし、風香さんといられる機会をみすみす逃したくない。風香さんと体験できることはプライスレスだ。
「じゃあ行きましょう」
厚みのある絨毯が敷かれた階段を下り、行きには通らなかった廊下を通る。
チェーン店ではお目にかかれない照明や展示物が設置されており、独特の緊張感が漂っていた。
以前会員制レストランに入店した時よりドキドキしていた。
◇
語彙力を失うほどに料理は美味しかった。前菜も主食もデザートも、とにかく豪勢だった。
作法は風香さんが教えてくれたし、頼りになる人だと改めて思った。
食後は部屋に戻り、移動の疲れもあった私たちは入浴して眠ることにしたのだった。
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