第20話
『旅行に行きましょう』
約束通り風香さんは連絡をくれた。
夏休みの後に行くのはどうか、とのことだった。
9月の連休に併せて有給を取得して、何日かかけて旅行する算段のようだ。
計画自体に反対はないのだが。
『行きます!でも……』
『ん?あ、詩ちゃんは学校があるんだよね』
そうだ。風香さんが有給で平日に休むことができても、学生である私は平日に休みを取得できない。
双木さんとゲーセンに行った日のようにサボろうか。仮病で2日休むくらいなら常識的な範疇だと思う。サボりが常識的か否かはこの際問わないことにして。一応は電話もするわけだし……。
数日間だけ家を空けてしまうのも無問題だろう。ついでに両親も。住所不定の仕事人は我が家の概念を捨てているのだし、旅行に行ってきますと予定を教える必要もあるまい。どうせ帰宅もするまい。
『休みます、学校。過去にサボった実績もありますので』
『乗り気だねー』
『乗り気にもなります。風香さんとの旅行ですから』
私はこれまで、授業をサボろうにもサボれなかった。
連日遊び呆けるだけの財力はなかったし、保健室で寝るようなちっぽけなサボりでは満たされない。
風香さんとの連泊は授業をサボるに値する。サボった先で暇潰しに困らない上に、金銭面の懸念点も解消される。
それだけ聞くとお金目当てだと誤解されそうだけど、単に学校に行くことより風香さんとの親睦を深める方が、優先度が高い。
『年長者としてはサボるのを止めるのが正解だと思うのだけど』
『ここに来て正論ですか』
風香さんから思わぬストップがかかった。
正しいことを言っているけど、自分はバリバリに法律を破っておいて……。
『学校なんていいです。行っても得られるものなんかない』
『分かった。詩ちゃんが休めるならこの日程で行こうね』
『是が非でも休みます』
逸る心を抑えて、私はそう送った。
◇
どうにも一筋縄ではいかないのが人生というものらしい。
両親は帰らないという前提で旅支度をしていた、旅行の前夜。
「帰ったぞ」
「!?」
聞きたくもない声と共に家のドアが開けられた。
不審者じゃない。鍵を持っていて合法的に開錠できるその者は、私の両親しかいなかった。
どうして今日帰ってきた。
「は~。とりあえずお風呂に入ろうかな」
「そうしよう。俺は次に入ろう」
娘には目もくれず思い思いに過ごし始める両親。ビニール袋から缶ビールを取り出して晩酌するお父さん。お母さんはバスタオルだけ持って風呂場に向かう。
マジでどうして帰ってきたんだ。この家の持ち主だから帰ってくるのは当然だけど――突発的過ぎて虚を突かれたような反応になる。
帰ってくるなら旅行が終わった後にしてくれても良いものを……。
「お父さん、お母さん」
いつぶりかも分からない親子間の会話。
どうせ明朝には仕事場に戻るだろうけど、明日は私もこの家を空けるため、両親の予定は正確に把握したい。
「なんだ」
「お父さんもお母さんも、また明け方くらいに出るの?」
晩酌中のお父さんに探りを入れる。
怪しまれることなく、お父さんは鷹揚に頷いた。顔の動きとアルコールの臭いが私の鼻先を掠める。
私が家を出るのは太陽が昇りきった後だから、出発でかち合うことは回避できそうだ。学校をサボるにしても、親がいる間に仮病の電話をできるほど豪胆ではない。嘘だとバレて登校することになったら予定が狂う。
胸を撫で下ろしているとお父さんのスマホが鳴動した。
「もしもし?あぁ、はい、私です。えぇ、その件に関しては――」
一人娘と話している最中でも、ことわりもなく通話を優先したお父さん。
私、最愛の娘じゃないのかな。
仕事が好きであることや、働き甲斐を持っているのは素晴らしいことだと思う。学校を好きになれなかった私だから、そう思う。
でも仕事に精を出して残りは知らんふり。娘は鍵っ子にして、たまの帰宅でも挨拶すらしない。
私への罪悪感はないの?
こんなのって、家族じゃないよ。
「ふ~。さっぱりした」
お父さんの電話が終わると同時に、お母さんがお風呂から上がった。
こっちもこっちで娘と交流を図る気など毛頭ないようだ。操作しているスマホには円とかドルとか、為替と思しき数字が羅列されていた。
仕事にもビールにも為替レートにも優先順位で勝てないなんて、私が生まれた意味って何?
「次はいつ帰ってくるの」
荒涼たる心持ちで両親に尋ねる。
「さぁな……」
「一段落したらね。年を越すかもしれないけど」
「そう……」
聞くまでもなかった。
お前には関係ないだろう、とでも言わんばかりの態度に反抗心が湧いてきた。
旅行することは隠して言ってみる。
「土日、家開けるけど」
「そうか。勝手にしなさい。戸締りはきちんとな」
私には目もくれず、気を付けてねとか、身を案じる一言もない。
愛情の欠片もないこの家に私は居続けなければいけない道理はあるのだろうか。
いたくない。家にも学校にもいたくない。この家はとうの昔に私の居場所じゃなくなっていた。
行く宛もないからここにいるしかなかった。
布団にくるまって、涙が零れた。
家に誰かがいるのに、家族がいるのに、私は独りだ。声を殺して私は泣く。
「…………いなくなってる」
翌朝、うら寂しいリビングを見て私の心はとうとうポッキリと折れた。
日が昇る前に家を発つことは把握していたけど、毎度のことながら我が子に顔も見せず長期間家を空けることはないと思う。
私に孤独と寂しさを植え付つけて、決して枯れないその芽を些末なことだと思っている。
私がどういう思いで毎日を過ごしているのか、お父さんもお母さんも聞く耳を持たない。物心ついた時から私も聞いてもらおうと思わなくなった。
じゃあ、家にいたくないならどうする?
割と簡単に答は出た。
(家出しよう)
私は密かに意を決した。
我が家が私の居場所にならないのなら――外に求める。
両親はたまにしか帰らないし、電話もメッセージもない。今回、部分的に嘘を言ったけど、家を空ける事例も作った。
年に1回か2回しかない帰宅日に私がいなくても、あの人らは違和感など抱かないだろう。きっと私がいなくてもどこか遊びに行ったんだな、としか考えないだろう。
両親の放任主義に感謝する日が来ようとは、皮肉なものだ。
(下着類とスマホと充電器と――)
出発前の持ち物確認に取り掛かる。
ただの旅行なら下着と着替え数着とスマホ、あと財布でもあれば事足りる。しかしこれはただの旅行じゃない。
たった今、ただの旅行じゃなくなった。
ただの旅行じゃないから、急遽持ち物が増えた。容量の大きい鞄に衣服を詰める。風香さんからプレゼントされた衣服を置いていくなどとんでもない。丁寧に畳み、1着も余さず鞄に敷き詰める。制服は――退学の話はしていないから、持つだけ持っておこう。
風香さんとのツーショットと、あまり使っていなかった口紅は手提げに入れた。
待ち合わせ場所まで持って行くのが重労働になってしまったけど、それも止む無し。
「これで全部かな」
私が持ち続けたいと思う品物は漏れなく入れられたはず。
学校にも欠席の連絡は済ませたし、万一の事態を避けるために火の元や水道栓の確認もした。
置手紙は書かなかった。書いても読まれるのはしばらく先になるし、そもそも私と両親の間にそんなものは不要だから。
別れの挨拶は昨夜交わした味気ないやり取りのみ。私たちらしい別れだった。
「行ってきます――」
二度と帰ることのない我が家には最後の挨拶をした。
施錠して、お役御免になった鍵は植え込みに埋める。
かくして私は風香さんとの合流地点に歩き出した。荷物が重くて歩きづらい。どんなに折り畳んでも服を何着も入れればかさばる。
もうじき夏が終わるとはいえ、置いていかれた暑さの残滓と相まって私の水分と体力を奪う。
けどこうやって歩いているのを、不愉快とか大変とは思わない。重い荷物だってなんのその。
来るべき生活に備えた重量を私は背負っている。その価値を運んでいると考えたら頑張れる。何キロでも歩いてやる。
心の底からそう思えた。
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