第18話
まとまらない気持ちを整理する。
あっちこっちに飛び出した感情を心という箱に戻す。
しかし一度認知してしまえば収拾がつかない。
会いたい。小戸森さんに会いたい。会えば自分が暴走する未来が見えるから会わない。
メッセージも送っていない。送られたら最低限の返信はしている。元旦にした約束を季節が2回変わっても守り続けているのは感心する。
双木さんは言っていた。動いたらどうか、と。この場合の動くというのは、想いの丈を小戸森さんにぶつけるということだ。
言えたら楽になれるのか。望んだ通りになるのか。
私は臆病になっていた。度が過ぎた要求は他者との繋がりに亀裂を入れる。中学でも高校でも修復できないレベルの亀裂を入れてきたのだから、ここで躊躇しない方がおかしい。
インターネットで検索した解決法は無責任なものが多かったので、私は本屋に行くことにした。
小戸森さんチョイスの洋服を着て、太陽の光がさんさんと降り注ぐ道を歩く。
アスファルトの反射熱によって上からも下からも熱気に包まれる。早々に空になったペットボトルまで温度を持っていて、自分が熱源になっていると勘違いしそうになった。
額や首筋に浮かぶ水滴を汗拭き用のタオルで拭き、冷房の効いた店内に入る。
涼しくて助かる。
「この夏のコーデ……」
入口付近に並べてあった雑誌の数々を眺める。
そういうのじゃない。涼しい風を全身に受けながら呟く。
コーディネーションについて悩んでいるのではない。もっとコミュニケーションとか、伝え方のことが知りたいのだ。
種類ごとに分類されたコーナーを見て回り、心理学や自己啓発書の棚に当たった。
パラパラと数冊の本を捲り、ざっとだが中身を確認する。
どの本も切り口が若干異なるだけで内容は大差なかったけど、伝え方が何割とか、常に笑顔でいようとか、自立しつつ甘え上手にもなれとか、ことごとく私の苦手なことを突いてくる内容ばかりだった。
やはり逃げては通れないか。同じ建物内で営業しているカフェで一休みしながら、買うだけ買った数冊の本をゆっくり読む。
炎天下で歩いた分の収穫を、と思って買ったものの、分かったのは依然として私の性格には難があることだけだった。
「姉上もこのケーキでよろしいですか?」
「アタシは違うやつにする。半分ずつ食べない?」
「いいですね!!そうしましょう!」
私が静かに格闘していると、レジの方からきゃいきゃいと明るい声が聴こえてきた。
現代日本においては古風な呼び方をしていた黒髪ポニーテールの子と、肩まで伸ばした髪を金色に染めた子。彼女らは姉妹なのだろう。
外見は正反対の印象を持たせる組み合わせだけど、とても仲が良さそうに見える。
2人はトレーを持ってテーブル席に座り、注文したケーキを分け合っていた。
弾けるような笑顔で喋り続ける黒髪の子を、姉と思しき金髪の子が温かい眼差しで見つめる。
「いいなぁ……」
思わず独り言ちる。
姉妹かどうかは別として、素直に何かを言い合える仲の良さを羨んでしまう。
私と小戸森さんがそうなれるか、実際に言ってみなければ解答は得られない。言う前に正解が欲しいのに。飛んだ後の結果を知る私に、見る前に飛ぶほどの胆力を求めるのはナンセンスだ。
かと言って手招きしているだけじゃ遅々として事態は進まないし、立ち直ったという判定になれば自動的に幕を閉じる。
私に選択肢など与えられていなかった。
言うしか、ない。
◇
スマホをバッグから取り出して指を滑らせる。
思い立ったが吉日という諺に則って、帰りながらメッセージを作成。送信しようとしては文面を消し、一旦冷静になれと逃げるように言い聞かせる。書き直しても書き直さなくても変化はない。
決意が鈍ってしまう前に送ろうとしていたが、もうかなり萎れている。
萎れた決意に息を吹き込むには誰かの後押しが欲しい。
こんな時こそズバズバ言ってくれる双木さんに遭遇できだらいいのに、偶然というものは気まぐれで前後左右どこを見ても双木さんの姿はなかった。
連絡先を交換していないから呼び出すことも叶わない。
「そんなことはないよ。君の笑顔も魅力的だって、私が保証する」
「え、えへへ……ありがとうございます」
文章作成に苦戦する私の耳を、気の抜けた女の子の笑い声が貫通した。
歩いていた脚が止まる。
蒸し焼きにされそうな暑さに頭がやられたのかと思った。そうであって欲しかった。
「1回だけいいですか?どこでもいいんです、どこでも……」
「分かった。1回だけしようか」
自分の目を疑った。
清涼感のある服装で笑顔を浮かべる女性と、私と同い年くらいの女の子が見つめあっていた。
幾度と会ってきたその顔を見間違えるはずもない。
(小戸森さん……!?)
体内から水分が枯渇する。喉が尋常じゃないくらいに渇く。
幻だ、アスファルトと熱気が織り成す蜃気楼みたいなものだ。私は幻覚を見ているんだ。
そうでも思わなければ正気を保っていられない。
だって……誰、それ。
「目、瞑って……」
小戸森さんを見上げるようにして、目を強く閉じる見知らぬ女の子。
その子が頬に紅葉を散らしているのは暑さのせいだけではない。
小戸森さんがの指が女の子の唇に触れ、頬に触れ、額に触れる。
触れる箇所が変わる度に、ピクピク、と肩が小刻みに震えていた。
「そ、そんなに焦らされたら――」
口を開きかけた女の子はしかし、開きかけたままフリーズした。
キスをしたのだ、小戸森さんから。その女の子の額に。刹那の後に女の子は恍惚とした表情を浮かべた。
今しがた起こったことを正しく認識して、完全にトリップ状態になっている。
それ即ち私は対極の意味でトリップするということ。
「どういう、ことなの……」
四肢から力が抜け落ち、握り締めていたスマホが歩道に落ちた。
膝が曲がらない。スマホを拾おうとしても、両脚が油切れのブリキのようになって動かせない。見なかったことにして逃げ出したいのに逃げられない。
小戸森さんがキス。唇同士じゃなかったけど、でもキスをしていた。私以外の子と。額にだけど。どの部位であれ、唇をつける行為のことを人は口づけと呼ぶ。
「――詩ちゃん?」
「っ」
気付かれた。
小戸森さんが顔を斜めに動かす。それに併せて見知らぬ女の子も私を見やる。
ギギギギ、と音がしそうなほど鈍かった。当惑や焦りの色を浮かべるその女の子を見て思う。私も信じられないような顔をしているだろう、と。
小戸森さんは小戸森さんで、見たことのない顔になっていた。ただその表情が内包する感情の種類を私は読み取れなかった。玉虫色というか無表情に近かった。
「あの~……?」
「……っっ!!」
「詩ちゃん!」
見知らぬ女の子が続きを言う前に、私は走り出した。
小戸森さんに呼ばれたけど私は足を止めない。落としたスマホを拾っていなかったけど、全身から汗が噴き出すけど、すぐに呼吸が苦しくなるけど、止まらない。
あの人を前にしても訳が分からないまま、言語化したくない感情が爆発するだけだ。
しかし学校と家の間の往復しかしない私にとって、全力で走るなんて慣れないことで。
「いっ――たぁ……!」
派手に転んだ。
脚がもつれて地面に倒れ込む。擦り剥けた膝が鈍い痛みを帯びる。服や咄嗟についた手の平もチラホラと黒ずんだ。
それでもなお、アスファルトに膝を切りつけられてもなお、走る。
「詩ちゃんっ!」
私が駆け出すより先に手首がホールドされた。
転倒したことによるタイムロスで小戸森さんが追いつけてしまったらしい。
後ろには振り向かない。ついさっきまで別の子に向けられていたその顔を見たくはない。けど音で息を切らしているのは伝わった。
私のために息を切らしてくれることへの嬉しさが半分、他の子といたことへのショックと妬みがもう半分だった。
「待って、詩ちゃん」
握った手を離さず、小戸森さんに囁かれる。
強く握られているわけではなかったから、振り払うことは難しくないはずだ。
しかし私は振り払えず、駆け出すことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます