第15話

 あれを捨てる。これを捨てる。あっちのものは迷った末、捨てることにする。

 私が数日前に始めたのは、よくテレビやネットで紹介される整理術、「断捨離」なるものだった。

 読んで字のごとく、断って、捨てて、手中から離す。


 何を断ち、捨て、手放す?要らない物を。要らない物とは?過去の思い出たち。不要になった思い出とは――彩里ちゃんとの過去。

 思い立った数日前、双木さんと話をしたことがきっかけだった。


 小戸森さんとの間に進展があるかどうかは、私次第だということ。私が前に進めば、いつ終わるかも分からないという靄を消し去ることができるかもしれない。

 ただし私が動くためには、第一にやるべきことがあった。


「彩里ちゃんが可愛いって言ってくれた服も、もうお役御免だね……」


 手始めに洋服を1着ずつゴミ袋に入れていく。

 ゴミの日に数着分まとめたものを生活ゴミとセットで出して、また別のゴミ袋に洋服を詰め込む。


 ひたすらに服を詰めては決まった曜日に出す、の繰り返し。洋服も彩里ちゃんへの想いも、ゴミ収集車の押し込み板で他の塵芥と一緒に圧縮され、ゴミ処理場で一斉に排出されるのだろう。

 随分洋服が少なくなったクローゼットを見て、自分の服の少なさに驚く。


 寝間着と制服の替えを除けば自分で買ったのは、外行き様のものは冬用と春用のコート1着ずつと、それぞれの季節に合わせたものを合わせて8着ほどしかなかった。


 お洒落好きな高校生でなくともこれの倍は持っているだろう。彩里ちゃんの交際がなければこのクローゼットはスカスカだっただろうし、今が正にそう。


(夏用だけ増えたけど)


 スカスカなクローゼットで存在感を増しているのは、小戸森さんが買ってくれた服だった。

 ゴールデンウイークでのお出かけで得たそれは、そろそろ出番を迎える季節だ。

 深く交わるキスをした小戸森さんと、彼女が選んでくれた装いで会う。予定などないのに私の気は逸る。


「お次はこっちも捨ててかないと」


 逸る自分に私は言い聞かせる。

 クローゼットが片付いたところで断捨離の目標を変更する。

 机の上に置かれた写真の数々、ピン止めやシュシュなどの小物、誕生日に交換し合ったプレゼント。


 まだまだ私の生活空間内には彩里ちゃんが居座っている。

 前に進みたい私の足枷となっているそれらも、徐々に数を減らしていく。


“詩、眼が前髪で隠れちゃってるよ”

“わざとこうしてる。外の世界は眩しすぎるから”

“……わたしがいるじゃん”


 捨てようとして手に取った髪留めを見て、遥か昔のことに思える会話が再生された。

 外界が眩しいというのは昔からそうで、どこを見渡しても皆が私の欲している何かを持っていた。


 友達も親も頼れなかった私はこの時、彩里ちゃんという拠り所を得て舞い上がっていた。


 高校で再会した彩里ちゃんの彼女になり、かつて隣に住んでいた時よりも距離が縮まったように感じていたから。


“はいこれ。わたしからのプレゼント”

“髪留め……”

“髪留め。常時つけてとは言わないけどさ、たまには使ってよね”


 頭を横に振り、彩里ちゃんの声を振り払う。

 髪留めをゴミ袋に入れる。


 このプレゼントは彩里ちゃんの好意の証だけど、私が彼女に重圧を課していたことの物的証拠でもある。

 だから捨てないといけない。この部屋にはまだ数多く、捨てるべき物品が残されている。


 私はまた1つ、ゴミ袋に入れた。

「雛本じゃん」

「双木さん」


 断捨離も終盤に差し掛かったある日の登校中、通学路で双木さんに会った。

 太陽光の威力が増してきた時期で、双木さんはブラウスのボタンを2つ開けて歩いていた。

 人によっては胸元が見えないかとか、通学路が明らかに違うはずの双木さんがどうしているのかとか、疑問が浮かぶ。

 しかしその疑問は風になって消えた。


「いやさ、取りたい景品があったのよ」

「だからって私は来る必要なかったでしょ」


 マイペースにゲームセンターへと足を運んでいる双木さん。連行された私も学校をサボってゲームセンターに行く羽目になった。


 細腕からは想像し得ない腕力で鞄を引っ張られたので、観念して同行した。学校には仮病で休むと連絡をしておく。


 開店前の待ち時間で、双木さんは売り切れになる前に欲しいぬいぐるみがあると熱弁していた。


「クレーンゲームって誰かが帯同するほどのゲームではなくない?」

「アームを操作しながら側面から見るなんて、できんでしょ。雛本はサイドから計測してて」


 補助係に任命されてしまった私の腕は尚も拘束されている。逃げられないようにするためだろう。自動ドアの電源が点けられ、ようやっと離してもらえた。


 私の手首が解放されると同時に、私たちより年上の男女数名が私服姿で店内に吸い込まれる。入る前に、チラとだけ見られた。制服姿の奴が何をしている?とでも考えていそうだった。


「よっし、アタシらもやるぞ。お目当てはこのぬいぐるみな」

「はいはい」


 双木さんは脇目も振らずにクレーンゲームの筐体を目指した。

 双木さんが欲しいと言っていたそれは、幅広い世代に支持されているコンテンツのぬいぐるみだった。

 勝気な見た目に反してこの手のものが好きとは知らなんだ。


「クレーンゲームはぼったくりって噂だから。ソロでやると金を毟り取られる」


 ぼったくられることを承知で双木さんは硬貨を投入する。

 筐体前面のボタンが点滅し、双木さんはレバーとボタンを両手で操作する。


「もうちょい前?」

「そこだと前にしすぎ」

「じゃあ次、やるか~」


 チャリン、チャリンと硬貨を筐体に滑り込ませる。いくら払ったらぼったくられたことになるのか、気になった。


「おおおお、取れたぞ~!」


 双木さんは4回目のチャレンジで景品を取ることに成功した。計測係の私はありがとうというお礼と自販機のジュースを貰った。

 通学鞄には収まらないそれを抱きかかえて、双木さんがゲーセンを出た。


「じゃ、アタシはこれ持って学校にでも行こうかな」

「は?今から?」


 サボるものだと思っていた私は予想外の言葉に素っ頓狂な声を出した。

 ゲーセンで獲得した景品、しかも隠し通せないような大きさのぬいぐるみを持ったまま、双木さんは出席しようとしている。

 登校時間を大きく過ぎてから行くなど理解に苦しむ。


「アタシは遅刻常習犯だから先生も何も言ってこない。原稿用紙1枚の反省文を書けばチャラなの、楽でいいわ」


 私なら周囲の反応に委縮して遅刻などできない。

 誰一人声を発さない教室内に扉を開く音は響きすぎるのに、それすら歯牙にかけない双木さんの神経が羨ましい。


 私も彼女くらい、自分と他人を冷徹に切り分けることができたら良かったことか。

 他人と距離を置きたいと思えるほど、私には孤独の耐性がない。


「雛本はどうすんの?」

「私は休むって言ったし、言ってなくてもこの時間から行く気にはならない」

「要はサボる、と。雛本は不良になったんだな」

「双木さんに咎められる謂れはないけどね」


 サボりに私を付き合わせた元凶が何を言うか。


「ほんじゃ元気でな」


 己のペースを崩さない双木さんは足早に駅へと向かった。

 午前も午後も暇になった私は行く宛もなく、帰宅した。

 かなり早い帰りになった私がすることは1つ。

 およそ1ヶ月強に渡って行ってきた、断捨離の総決算とも呼べる最後の工程だった。


「今までありがとう、そしてごめんね――彩里ちゃん」


 彩里ちゃんと撮った写真の数々を、父が持っていた丈夫なシュレッダーに1枚ずつ食べさせる。

 写真立てやアルバムに保管されていた写真全てがものの数秒で紙片となり、クズ受け内で思い出の山を形成していた。


 シュレッダーからクズ受けを取り外し、他に捨てていった物品同様にゴミ袋に移す。袋の口をきつく縛って明日のゴミ収集に出せるようスタンバイ。

 洋服に小物にプレゼントに写真にデータ。

 この部屋から彩里ちゃんに関する物は大方消えた。私が消した。


 誰より近くにいたいと願った私の相手は、手を伸ばしても届かない。

 双木さんのように考えられるなら未練など残らないだろうに、私は一生涯かけてもそうなれそうにない。


 だから消す。捨てる。私の生活空間からも、脳内からも。彩里ちゃんを想起させるものは全部。

 残していると心のメモリが食い潰される。


「んん?」


 夕方、あとスマホに残っているものを1つ思い出した私はそれを消そうとして、手が止まった。

 通知欄に表示された新規メッセージを開き、しばし言葉を失う。


『家の前まで来た。開けてくれるかな……』


 インターホンが鳴らされた。

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