第12話
「んっ……ふぁ……」
「ん……詩ちゃんってば、激しい」
場所は変わり、大人向けホテルの一室。私は一心不乱に小戸森さんの唇を求めていた。
啄ばむように唇同士を重ねては離し、それを時間の経過も分からなくなるほどに繰り返す。
電車に乗り、大人向けの街に着くまでのストレスを発散するかの如く、私はそれを止められなかった。
「だって、誰のせいだと思ってるんですか」
「私かな?」
私が小戸森さんにキスを求めてしまうのは、あっけらかんと笑っているこの人のせいだった。
あの瞬間にキスをされてから、全身が飢えを訴えていた。開いてはいけないと思い引き返したドアの前に私は立たされ、小戸森さんのお伺いで開けさせられた。
だってキスなんて、いつぶりだろう。クリスマスの日はあんなことがあったから、できなかった。する前に別れを切り出された。
デートの度に淡い口づけを交わしていた記憶がフラッシュバックして、目の前がチカチカする。
「そうですよ……だから、応えてください」
私は小戸森さんの返事を待たずに、自ら唇を寄せた。微かに甘いのはおやつで食べたシュークリームの名残だろう。
返事の代わりに小戸森さんが私の背中に両腕を回した。ほんのり軽く、唇と唇がくっつく。
短く吐いた小戸森さんの息が頬を撫でた。
首筋がゾクゾクとして、もっと、という欲が溢れ出す。
「詩ちゃんは情熱的だけど、慎重なところがあるよね」
唇を離した息継ぎの間に小戸森さんが分析する。
情熱的かどうかは怪しいし、慎重であるとも思ったことがない。
慎重なら、自分だけを優先してくれと相手に取り入ることにも、もっと時間をかけて立ち回っていただろう。
私は焦っていた。良き理解者であった彩里ちゃんなら、姉のように接してくれていた彩里ちゃんなら、どんなことがあっても私の寂しさを癒してくれると妄信していた。
私の願望を情熱的と称するのなら、真に情熱的な人々に申し訳ない。
「お姉さんは激しくても全然構わないよ。こういうの、とか」
「――っ!?!」
怪しく口の端を釣り上げる小戸森さんが、私の唇を舐めた。
体感したことのない気持ち良さが神経を伝って全身に行き渡り、視界が暗転した、ような気がした。
焦らすように動く小戸森さんの舌は私の身体から力を奪い、代わりに手放したくない快感を与えてくる。
「あひっ、こ……あっ!」
小戸森さんの背中に回した両腕に、なんとか力を込める。
彩里ちゃんとでさえ、こんなキスしたことなかった。
「はっ、はぁっ……」
「まだまだお楽しみはこれからだよ、詩ちゃん」
「ぃやぁっ……はんっ」
ベッドに私を押し倒した小戸森さんが、再度その舌で私の唇をなぞる。
くすぐるように撫でた後、彼女の舌が私の唇を割って、口内に差し込まれた。
舌と舌を絡める大人のキス。誰かの舌が口の中にあるというのは変な感覚で、それを異物と思わず受け入れている私も変だ。
舌で舌を舐められる、まさぐられることに幸福感すら覚える。
「どうだった?」
「知らなかった、こんなの……」
互いの唇の間に半透明な糸がかかる。
その糸はすぐに切れたけど、小戸森さんとしたキスの事実はしっかりと刻み込まれて消えない。
舌の感触も、クリームのように甘いその味も。
「見て見て、さっきのリップがついちゃった」
「み、見せなくていいですから……!」
妖艶な笑みから一転、無垢に笑う小戸森さんが唇を見せてくる。
口の端に薄く赤い跡がのびており、私と小戸森さんがキスをしたことの証になっていた。
ドクン、と心臓が跳ねる。顔が熱い、おでこが沸騰してしまいそうだ。高熱を出したときのように、熱という熱が1点に集まる。
「詩ちゃんは満足できた?」
小戸森さんは私の頬を撫でながら問いかけた。
この熱さは小戸森さんの肌にも伝わっているはずだ。私がまだしたいという気持ちを察した上で、それを言わせたがっている。
彼女の瞳は私が言おうとしていることなんて承知の上で、だから私からも些細な反撃をする。
「小戸森さんのそういう悪趣味なところ、嫌いです」
率直な意見を聞いた小戸森さんは「えー?傷付くなぁ」と、さして傷付いた様子もなく笑った。
「そういうところは嫌いですけど、でも……」
「でも?」
「キスは信じられないくらい、気持ち良かった。だから、したいです」
反撃をしてみたところで最後はこうなる。
反撃なんてした意味はあるのかないのか。私の立場的には無駄な一言だったけど、小戸森さんにはそうでもなかったみたいで、俄然やる気になっていた。
「うんうん。もっといっぱい気持ち良くなろうね」
再びベッドに押し倒された私は、口の中に舌を捻じ込まれる。
口の中で動くそれは私の意志なんてお構いなく、歯列を撫で回す。
好き勝手に動くそれを私は止められない。止めてしまえば繋がっている実感を自ら捨てることになる。
しばらく互いの唾液が混じり合う音と短い呼吸音が溶けて混ざり、室内の空気を一層淫靡なものにした。
◇
「小戸森さんっ、そこは――」
私と小戸森さんの行為はエスカレートしていき、キスは唇以外の場所にもされた。
首筋に吸い付いた小戸森さんの唇が一定の力を加えてくる。肌にもたらされる力は噛むようでいて、しかし痛みはなかった。
それと同様のことを腕にもされる。肘の下辺りに小戸森さんが口づけをして、血を吸い上げるように私の肌を唇で挟む。
これから夏本番で肌の露出が増える時期にこんなことをされて、気にする人はどこまでも気にするだろう。生憎と言うべきかラッキーと言うべきか、探りを入れてくる友人がいない私は気にしなくていい。
むしろこれは小戸森さんとの間に起こった出来事を表す証拠で、どういった形であれそれができることは喜ばしい。
「詩ちゃん。抵抗しないと痕だらけになっちゃうよ?」
「別に私はいいです、そうなっても」
小戸森さんにつけられた腕のキスマークを見て、率直にそう思った。
「ほぅほぅ」
ニヤリと不敵な笑みを作った小戸森さん。
彼女は私の首筋を撫でながら、耳元で甘美な声を放った。
「こういう所にも、作っちゃおうかな?」
「きゃぅっ、んんっ……!」
耳に息を吹きかけ、耳たぶを甘く噛み始めた。
覆い被さっている小戸森さんのせいで身を捩ることもできず、背中にまで及ぶムズムズを耐える。
耳たぶがこんな感じ方をする部位だったとは想定外だ。彩里ちゃんともしたことがなかったし……。
「ひぅっ!?こ、擦れてっ……」
私が抵抗しないのをいいことに、小戸森さんの太ももが私の脚の間に割り込んだ。
スカートの布が下着越しに私の秘部を擦り、ジワジワと熱が込み上げる。
直接でないが故にもどかしく、それが身体の奥底に眠る欲望を呼び覚まそうとする。
当の小戸森さんは私が声を上げてもお構いなしに行為を続けており、数分前まで耳を齧っていた口は鎖骨に移動し、遠慮なくキスを落とした。
このままこの人とこんなことを続けたら、引き返せなくなりそうだった。
引き返す先なんてないのだけど。
「詩ちゃんっ?」
半ば無意識でさっきの小戸森さんの真似をして首筋を指先で撫でると、曲線の美しい肩を小さく跳ねさせた。
胸に顔を埋めていた小戸森さんは顔を上げ、頬を紅潮させていた。
「情熱的で合ってるね、私が思った通りだ」
「今のは情熱じゃないです……息が苦しくなってきたので、休みが欲しかっただけです」
そう言うと小戸森さんは何も言わず私の上からどいてベッドの淵に腰掛ける。
キスをして、全身を求めているうちに私も小戸森さんも、かなり服が乱れていた。
呼吸と着こなしを整えて小戸森さんを見やる。
蒸気して朱に染まった頬に、襟がずれて丸出しになりかけた肩。西陽に照らされた妖美な姿に鼓動が再加速した。
瞼も眼球も顔も石像のように動かなくなり、小戸森さんを見つめ続ける。
「ドキッとした?」
小戸森さんは余裕たっぷりの笑顔で問を投げてくる。
キスの最中に言ってやったはずなのに。
「だったら何ですか。小戸森さんは私みたいなの、見慣れてるんでしょ」
悪趣味な質問に、私の言い方から可愛げが失われる。
小戸森さんは察している。私の心臓の鼓動が速くなったことも、全裸よりなまめかしく艶やかな居姿をばっちり目に焼き付けてしまったことも。
敢えて私の口から言わせることが、この人なりの生き甲斐なのだろう。
「見慣れてはいるけど、私もドキドキするんだよ?」
「俄かには信じられませんけど」
小戸森さんが具体的に何人の女の子たちと関係を持ったのかは知る術もないけど、手つきや一連の行動への慣れを見ていると、かなりの手練れに感じられる。
そんな人が、私の特筆すべき点もない平均的な体に鼓動を速めるとは思えない。
「中学生でも発育豊かな子はいるし、逆に大学生でも小柄であどけない子もいるよね。年齢相応な体は言うまでもなく好きだし、年齢に見合わないならそれもギャップがあってまた一興。大きいか小さいかは些細なことよ?」
大真面目な顔で女体に関する最低の持論を語り出す小戸森さん。
女体ならなんでもいいのか。ていうかこの人、失恋した女子を一本釣りしては食い漁っているの、最低なんだよなぁ……。
その最低な誰かさんに大人のホテルでキスを貪っていたお前は何なんだ、ということだけど。
「帰ろうか、陽も暮れてきたことだし」
小戸森さんが窓の外に目をやって、帰り支度を始める。
襟を正して立ち上がった小戸森さんの背中を追いかける。
やはり小戸森さんが全ての荷物を持ち、カウンターに鍵を返す時も、濃い赤に染まる街中を歩いているこの時も、私には持たせようとしなかった。
「充実した1日だった。相手から求められるのは燃え上がる!」
太陽の光に照らされるその顔は、頬は、ホテルで求め合っていた最中のそれとは違い、芸術のような美しさを宿していた。
ずるい、この人はずるい。
やっていることは最低なのに。何を着ても、どこにいても見目麗しい。包容力もあって、気遣いもできて。
「電車だと座れるか分からないから、タクシーを使うと良いよ。今呼ぶから」
「タクシーなんて、普通に電車で帰りますって」
待ち合わせの駅前に到着すると、小戸森さんは荷物を抱えたままスマホを弄り、予約完了という画面を提示した。10分ほどで向かってくれるらしい。
うん。いつものことだから慣れた。
私は荷物の多さよりタクシー代で気が重くなるけど。
「乗ったら行き先を伝えるだけでいいよ。私のクレジットに請求が来るようになっているから」
「ありがとうございます……」
小戸森さんがタクシー代も出してくれることも薄々勘付いていた。
でも気は晴れない。
「詩ちゃん?」
「食事代や洋服代だけでも十分だったのに、それに加えて帰りの交通費まで出してもらえるのは助かりますけど……」
「けど?」
付き合っているわけでもない私が、ここまでしてもらえると1週回って不安になる。
傍から見たら買春の類にしか映らないだろうけど、身体を重ねることそれ自体に金銭の授受が発生しているのではない。
「行ったよね、このお出かけは私のやりたいことに付き合ってもらうって。私が好きでやったことに詩ちゃんが気を揉む必要はないの。揉むなら私の胸にしてね」
「ぷっ……なんですか、それ」
至極真面目な顔で余計な一言が付け足された。
あれこれ気を揉んでいた心が嘘のように軽くなった。
「いろいろとありがとうございました」
「どういたしまして、詩ちゃん。また予定を合わせて会おうね~」
予定時刻ジャストに着いたタクシーは私が乗り込み、目的地を聞くと緩やかに発進した。
手をヒラヒラと振っている小戸森さんがドアミラーに映っていたものの、その姿は数瞬で鏡から消えた。
濃密な1日が終わろうとしている。
朱色から紺に変わった空を眺めて、名残惜しい気持ちになった。
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