第11話

「早めにおやつと思っていたけど、結局3時になっちゃったね」

「小戸森さんのせいですけどね」


 予定より1時間ほど遅れて、私達はカフェで紅茶を飲んでいた。

 遅れが生じたのは私ではなくて、小戸森さんのせいだ。んん、私も責任がないわけではないけど。

 近くの洋服屋の前を通りがかった際に、小戸森さんが気に入っている服の数々が見えたらしい。

「あの洋服も良かったけど、こっちも似合うね!大人系も可愛い系も似合うなんて、詩ちゃんの素材が良すぎるってことだよね……」


 小戸森さんは両手で何着もの服を抱えて悩ましそうに言った。

 悩ましいのは私の方なのに。休む間もなく着せ替えを強いられて、舐め回すような視線を何度も向けられて……。

 小戸森さんのセレクトは新たな扉を開いた感じがして、止めてくれと言うつもりはないけれども。


「自分用の服は見ないんですか?」

「自分用?詩ちゃんが着るものを選ぶんだよ?」


 試しに訊いたらそう返ってきたので、大人しく引き下がった。

 質問に対する答としてはまったく正しくないけど、明日以降それらを着ことになる私より、選んでいる小戸森さんの方が盛り上がっていたからそれ以上は何も言わなかった。

 楽しい気分に水を差すのも野暮だろう。


「これくらいのフリルなら子供過ぎず、けど背伸びしている感じもないでしょ?詩ちゃんは落ち着いている印象が強いから、こういう系統にするのも十分ありだよ」


 頼んでもいないコーディネートが始まり、全部は買わなかったものの、特に小戸森さんのお気に召した数着だけ購入することになった。言うまでもなく、小戸森さんのお金で。

 上下にソックスを合わせて5万円ほど飛んだけど、生活は大丈夫なのか尋ねそうになった。


「詩ちゃんは気にしなくていいからね」


 小戸森さんは不敵な笑みを浮かべて、黒いカードを財布から取り出した。

 あれは俗に言うブラックカードというやつで、生で見るのは初めてだった。


 そういえばあの人は会員制レストランの常連だったし、ワンナイトのホテル代も出していたし(向こうが連れ込んだ側なのだから当たり前か)、無力な高校生でしかない私が一丁前に心配するのはおこがましい。


「さてと。寄り道は一旦終わりにして、今度こそおやつの時間にしよう」


 ほくほく顔で小戸森さんは店を出た。

 店内は意外にも空席がちらほらあって、どの客も有線を妨げない程度の声量で喋っていた。

 私が知っているチェーン店のカフェとは雰囲気が異なっている。

 カフェと言ったらもっとガヤガヤしていて、有線なんか流れていなくて、値段も手頃であると思い込んでいた。


「なんですか、ダージリンのレモンセットで1杯1200円って」

「1杯1200円のダージリンティーだけど……」

「そういうことじゃなくて――そういうことでいいです、もう」


 ここに入る時、私は小戸森さんに両眼を塞がれていた。

 だから、着席してカウンターにでかでかと書かれている値段を目にした時は驚いた。

 喫茶店が高いと聞いたことはあったけど、まさかここまで高いなんて、と。


「小戸森さんのアールグレイも1100円って、高すぎませんか」

「そう?良心的な方じゃない?そうだそうだ、ツーショット撮ろう」

「わわっ、ちょっと」


 前の席から真横に移動してきた小戸森さんがスマホのカメラを起動させ、腕を伸ばしてレンズをこちら側に向けた。頬と頬が密着し、微かに当たる髪の毛がこそばゆい。


 後で送るからね、と言って小戸森さんはスマホを置き、惜しげもなく1100円のアールグレイを飲み始めた。

 何でもここのお店はおかわりができるとのこと。でも普段飲まないようなお値段のものだから、躊躇してしまうのは自然な反応のはず。


 それでも冷めないに彼女に倣い、私も紅茶を口に運んだ。たったの一口で癖がなく、それでいて茶葉の味は主張を忘れない、レモンと見事に調和する味わいが私の口内を満たす。


 コンビニで買えるものや、彩里ちゃんとデートした日に飲んだ紅茶より明らかに美味しい。

 ちなみにどうして小戸森さんはレモンをセットにしなかったのかと訊いたら、「相手より高いものを注文するのは私の流儀に反するの」と返された。

 どういった流儀かは不明だ。


「で、シュークリームがまた格別なの」


 小戸森さんがナイフとフォークを手に取り、シュークリームの生地に刃先を入れた。


 シュークリームってそういう食べ方をするものなのか。なんというか、こう、袋を開けてそのまま頬張るイメージしかなかった。


 一度刃を入れて、ギゴギコはせずにスーッ、とナイフを下ろす。

 膨らんだ生地はふっくらとさせたまま切っているのだから凄いと思う。


「さ、どーぞ」

「いただきます」


 滑らかなクリームの断面を見て感動しつつ、フォークを刺そうと思ったら勝手にシュークリームが口元に運ばれてきた。


「……あの?」

「あーん。一口で思い切り食べてね」


 なるほど、小戸森さんは自分の手で相手に食べさせたいようだ。上品に手の平をお皿にして、ニマニマと口元の筋肉を緩ませている。


 こういう場合、小戸森さんは是が非でも食べさせようとする。

 手を繋ぐときも、連絡先を交換したときも、いつも小戸森さんが主導していた。

 あの頃ならまだしも、本気で嫌なわけじゃなくなっている今は差し出されたシュークリームを拒むという選択肢はなかった。


「……どのシュークリームより、美味しいです」


 コンビニスイーツの数倍は値段の張るそれを大事に咀嚼して出てきたのは、食レポを任せてもらえないような感想だった。

 しっとりして、かつサクサク感を失わない絶妙な生地に、一口で頬張っても甘ったるくないカスタードクリーム。

 これに紅茶を合わせれば何個でも食べられそうだ。


「だよねぇ。いつ食べても、この控えめな甘さが好きなんだ」


 小戸森さんも残りの半分を一口ずつ、時間をかけて食べた。

 その優雅な仕草を前にすると、一口で豪快に食してしまった自分の品のなさが恥ずかしくなってくる。

 小戸森さんに一口で食べてと言われたとはいえ、気になるものは気になる。


(それにしても……)


 食べている小戸森さんを眺めていると、否が応でも彼女の唇から視線を外せなくなる。


 私の唇を塞いだそれは店内照明の反射による煌めきと、触れてみたくなる柔らかさを備えていた。しかも私の口が触れたフォークでそのまま食べているから、余計に意識させられる。


 とりあえず柔らかさに関しては、ファーストキスの相手であった彩里ちゃんの唇に勝るとも劣らなかった。あのまま唇を重ね合わせていたらどうなったことか。

 開けてはいけない扉を開きそうで、それ以上の思考は遮断した。


「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」


 おかわりの紅茶も飲み終えて、私達は席を立った。

 両手に提げている大きめの紙袋が重そうで持ちましょうかと言ったら、「相手に持たせるなんてとんでもない」と言って譲らなかった。


 お金を払って、大荷物も持って、それなのに小戸森さんは涼しい顔をしている。

 この人は誰かに何かを与えることを生き甲斐にしているのだろうか。


「この後はどうする?」

「どうするって、行き先は小戸森さんにお任せしているので」


 どうすると尋ねられても私はノープランだ。

 この状況に相応しい行き先は、私の脳内データベースには登録されていない。彩里ちゃんとのデートで行った場所はあれど、あれはほぼ同い年だから行けたという側面がある。

 そもそも今日のお出かけはデートじゃないけど。


「詩ちゃんが望むこと、私が叶えるよ」

「……どういう、意味ですか」


 小戸森さんの言い方は妙なものだった。

 普通は「行きたい場所でいいよ」とか、「買いたいものはある?」みたいな聞き方をしないだろうか。

 まるで心の深奥を見透かされているようで。私の考えなど聞くまでもないという風で。敢えてそれを言わせたがっているように見えて。


「こうやって遊びに来たことだし……ね?」


 耳元で囁かれ、願望が溢れないようにと囲っていた堤防が壊された。


「……ホテルに、行きたいです」

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