第2章:接近

第7話

 春休みを経て学年が上がり、晴れて2年生になった。

 新学年の新学期ともなればそれなりに浮ついた空気も漂うもので。


「あの映画、面白かったよね~」

「観に行ったの?羨ましい!私なんて塾の春期講習に行かされてさー」


 休み明けの教室では長期休暇への感想やら未練やらが飛び交っていた。

 そんな、皆がワイワイと盛り上がっている中、私は何もかもがつまらなかった。

 驚くほど何も起こらなかった春休みは退屈という他なかった。過去の写真や出番が減った洋服たちを一日中眺めるというのは、苦行を通り超えて虚しいだけだった。


 両親は相も変わらず仕事バカで家に帰って来ないし、連絡もくれない。もはや両親の住所はホテルや仕事場になってしまったか。ネットで住所を持たない生き方なんて記事を見たことあるけど、この家がありながら外を転々としている親は、一体どこの住人だと心得ているのか。


 もしも彩里ちゃんと上手くやれていたのなら、私の春休みも鮮やかに彩られていたに違いない。


 代わりに別の人との出会いがあった。でも、あの女も引き続き連絡こそくれるけど、休みの期間中は一度として会ってくれなかった。

 平日は仕事があって、特に社会人には春休みなんて長期休暇はないっぽいから、そこは致し方ないと思う。

 だけど土日も祝日も会おうという話にならなかったのはいただけない。


(これじゃまるで、あいつに会いたいみたいじゃん……)


 ムカムカしてきたので、机に突っ伏した。

 可能なら心を実体として体内から取り出して、ガシガシと掻き毟りたい。ムカムカを流水で洗い流したい。

 友達も彼女も離れた。孤独を埋めてくれたあの女とも過ごせない。

 最低という言葉を体現するあんな女に孤独を埋めてくれと頼むのは癪だけど、1秒でも早く会いたいと思ってしまう自分も確かにいる。


 この教室で私に声をかけてくれる人はいないから。突っ伏して寝ていようと、起きて本を読んでいようと、負の評判を築いた私は独りの時間を強制される。私の席だけ避けるようにして、皆が友達やクラスメイトと話に花を咲かせる。


 そういえばクリスマスイブの日も、私に声をかけてくれたのは小戸森さん、ただ1人だった。街の人々もクラスメイトも、孤独な私をいないかのように扱う。誰も彼もが視線もくれずに過ぎ去っていく。


 そういう意味では、あの寒かった夜と、春の陽気と同級生の息遣いに包まれている教室内にはなんら大差ない。


 彩里ちゃんからのコンタクトだって望むべくもない。基本フッた相手に連絡を取る義理はないだろうし、私から送る勇気もない。未練がましく残っているこの宛先にメッセージを送るにしても内容がないし、返信が来る保証もない。仮に返信があったとして、話は続くまい。


(義理がないのはあの人も同じか……)


 小戸森さんは毎日連絡をくれる。あの人から約束したことだから。

 だけどあの人には、私と直接会ってやる義理はないのかもしれない。


 あの人は最初に言っていた。立ち直るまで一緒にいてあげる、と。つまり立ち直ったらこの関係は解消するという意味だけど、じゃあ立ち直ったかどうかは如何様に判断するのだろう。


 私からもう大丈夫です、と申告すればいいのか。頃合いを見て向こうがそのように判断するのか。

 そもそも何を以って立ち直ったと決めるのだろう。連絡さえ取っていれば十分だと思われたのか。

 疑問は尽きない。

 少なくとも私はまだ立ち直れていない。あの女がいない日々と、彩里ちゃんと別れたこと。どちらも同じくらいのダメージを私に負わせていた。

 2年生に進級して早くも1ヶ月が経とうとしていた。

 4月末から5月初週にかけてあるものと言えば、ゴールデンウィークという名の大型連休。全国の学生たちはこれを待ち望んでいたと言っても過言ではない。


 友達同士で遊びに行く計画を立てる者がいれば、家族で海外旅行に行くとはしゃいでいるクラスメイトもいた。口々に己の予定を話す者たちは等しく明るい顔をしていた。


 他方、私の部屋の壁掛けカレンダーは日付以外、何も書かれていない。お一人様の私はこのままだと、家でケータイ弄りをするか勉強するかの二択を迫られる。

虚無の春休みが終わったと思えばこれだ。春休みよりは格段に短いけど、未練と儚い思い出に囲まれて過ごすのは、たとえ1週間であっても嫌だった。


 暇に飽かして熱中できることでも見つけようか、検討したこともある。暇を持て余してウジウジしているだけよりは、何かに取り組む方が有意義なのは理解できるけど、まずそんなモチベーションが湧いてこないから却下した。


 私が何かするためには誰かからのアクションが必要なのだ。そう、例えば小戸森さんのような。


(……小戸森さん?)


 はて、私はなぜあの人のことをさん付けで認識しているのだろうか?

 苗字で呼んでやるほど親しくなった覚えはないぞ……いやしかし連絡を取り合うのは親しくしているから……?


 私とあの女の関係は、親しいとか親しくないとか、それ以前の問題だと思う。友達ではないし、ましてや恋人なんかでもない。彼女と別れた私の前に現れた見ず知らずの他人。半年ほど交流して、職業も住所も明かされないような、何度か会ったことがあるだけの他人。


 ただその他人の方が、今や両親より幾らか連絡を取りやすくなっているのは明らかだった。両親は何も返してくれないことが多々あるけど、小戸森さんは絶対に返してくれる。平日の早朝だろうと、仕事の合間だろうと、日付が変わる前だろうと。


 無論あちらから約束して送っているから、というのはあるだろう。近い将来返してくれなくなる、またはあちらから送ってくれなくなることは十二分に考えられる。

 それでも現時点であの人に少なからず安心感を抱いている自分を、私は無視できなかった。

 そうやって考えれば考えるほど、ますますあの女が私の脳内を埋め尽くす。


 あの女に何を求めて、私はどうなりたいか。見えそうで見えてこない欲求は、会おうというお誘いが来ないことへの不満と、こっちからそう提案してみるべきかという迷いを作り出す永久機関と化した。


 そんな折だった。

 ケータイから軽快な音が鳴り、画面が光った。

 メッセージの受信を知らせる通知欄に表示されていたのは。


『来週からゴールデンウィークだね!久しぶりに会わない?』

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