番外編1:彩里の悔恨

「元気なさそうだね。どうかした?」


 12月25日。クリスマスイブの翌日。

 私は友達の家で開催されるクリスマスパーティーに参加していた。

 どんちゃん騒ぎする気力も起きない私を気遣うように友達が声をかけてきた。


「感情がこんがらがって、落ち着かないんだよ」


 わたしは概要だけ話した。昨日のデート中に私がしたことを。

 とある女の子に辛く当たってしまったこと。その女の子は昔からの知り合いで、妹のように可愛く思っていたこと。その女の子の想いに疲弊し、怖く思ってしまったこと。


 詩のことだ。

 付き合っていたとか破局したとまでは言わなかったけど。


「彩里は悪くないよ。私も自分以外は相手にするなって強要されたら疲れるもん」

「誰だって交友関係を持つのは自由じゃん。彩里の責任ではないでしょ」


 おおよその事情を聞いた友達はわたしの味方をしてくれた。

 正直そうではあると思うけど、だからといってわたしの感情の波は治まりそうにない。

 この気持ちは申し訳なさだろうか。詩に対して申し訳ないと感じているのか?わたしから振っておいて。

 それもあるし、過去に自分自身とした約束を反故にしたことへの情けなさもあった。


 まったく、今さら振ったことを気にするなんて馬鹿げている。後で悶々とするくらいなら振らなければ良かったのだ。

 でもあのまま詩の独占欲に応えられるとも思えなかったのは事実で、だからわたしは今、どう折り合いをつけるか悩んでいる。


「ごめん、せっかくのパーティーを台無しにしちゃいそうだから帰るよ」


 わたしはそう告げて友達の家を発った。

 引き止めてくれた友人らには悪いけど、とにかく自分の気持ちを整理したいという想いが強かった。

 わたしは詩の目を、声を忘れられないでいる。


『彩里ちゃん!』


 一晩経ってなお鮮明に繰り返される詩の声。歩きながら後ろを振り返りそうになる程に。

 あの子の声は多分の痛みと悲しみを含んでいたから。正に悲痛、叫ばずにはいられないという表情を浮かべていた。


 そして最後の呼び声はわたしにも痛みを与えた。かつて誰かが言った「殴る方も痛い」理論に近い気がする。ただ違うのは、そんな被害者面できるほどわたしは自分の行いを正当化できないということ。


 小学生の頃、隣に住んでいた詩のことを可愛く思っていたのは本当だ。幼少期から両親が不在にすることが多かった詩を案じて、わたしは密に接していた。一人っ子のわたしなんか妹ができたみたいで嬉しかったものだ。

 

 年齢も詩が1個下で、それこそ姉妹よろしく遊んでいた。

 詩がわたしに頼ってくれるのも、笑いかけてくれるのも、単にお隣さんとして以上に嬉しかった記憶がある。そうだ、あの頃はまだ何も恐れることなく接することができていたのに。


「わたしが勝手に義務感を抱いていただけなんだよね……」


 わたしがこの子を支えてあげるんだ。幼心に使命感を燃やしていた過去の自分を恥じる。

 使命感を持っていたくせして、わたしは詩を見限った。

 好きだと言ってくれた詩の想いを無下にしてしまった。

 誰より自分を見て欲しかったであろう詩を、放り出してしまった。


『私は彩里ちゃんの一番になりたい……私の恋人になってくれる?』

『詩なら……良いよ』


 蘇るのは半年前のやり取り。

 高校で再会したわたしは詩から告白された。

 他の何も視界に入っていなさそうな瞳や切羽詰まった声音に、私は困惑した。

 告白されたことには驚いたけど、わたしも詩のことは好きだったから告白を受けても良いと考えた。

 かつての使命感が呼び起こされたこともあって、わたしは確かに承諾の返事をしたのだ。


 あの告白をされた時に詩の変化に気付いてあげられれば……もっと「一番になりたい」という言葉の意味を考えてあげれば……もし考えていたら、もっと上手く詩の傍にいる方法を見つけられたかもしれない。

 そっか。わたしが悔いているのは昨日のことだけじゃない。それよりも前の段階から後悔しているんだ……。


 いくら悔いたところで詩を振る前の世界線には戻れない。

 今日も、明日も、明後日も。わたしはこの後悔を抱えて過ごすのだろう。

 詩はどうしているのかな。

 年が明けて通常授業も始まった初日に、わたしは1学年下のフロアに出向いていた。


 勝手に恋人を振った女が、勝手に元カノを心配しているだけ。詩からすればわたしなんかに心配される謂れはないだろうし、わたしにも詩を不安に思う道理など、もうない。


 ただわたしは罪悪感と後悔の念に突き動かされただけのこと。

 ……優しさで動けるほど善人にはなれないらしい。むしろ善人でいたいなら、詩の視界に入らないよう、即刻この場を立ち去るべきだろう。


「そこの君、雛本詩ちゃんって教室にいる?」


 廊下に立っていた生徒に尋ねて教室を覗き込んだ。

 お目当ての人物は教室の真ん中らへんにいた。

 お礼を告げて女子生徒から離れ、そこで初めて思案する。


(どうしよう。声をかけるべき……?)


 教室内での詩は周囲と一定の距離を保っているらしく、慣れ合う様子も浮いている様子もなかった。ある意味では理想的な立ち位置かもしれない。

 当の詩はわたしの視線に気付く様子もなく、スマートフォンを触っていた。


 なんとなく詩の様子に違和感を覚えた。わたしが振ってから既に2週間は経過しているし、あの日に比べたら精神も安定しているかもしれないけど……。

 詩の性格を考えればもっとふさぎ込んでいるか、逆に独占欲が暴走して別の人に安寧を求めるか、そのどちらかが高確率で起こり得るはずなのだ。


「あのー……どなたか用事があるなら呼びましょうか?」

「あ、あぁ……ごめんね、気にしないで」


 声をかけられて私は我に返った。ずっと教室の入り口で立ち尽くしていたらしい。


 結局声をかけるのは諦めて、自分の学年のフロアに帰ることにした。

戻っている道中でも頭に浮かぶのは詩の横顔。決して楽しくなさそうな、けれども絶望はしていなさそうな。横から僅かに見えた瞳は悲しみの色を湛えてはいなかった。


 わたしと別れたことが詩の中で既に片付いてしまったことだとしたら、やるせない気持ちになってしまう。


「もしも自分の振った人が平然としていたらって?考えたことないなぁ。いたこともないし」

「そうだよね、変なこと聞いてごめん」


 悪い奴になりきれない半端なわたしは友達に相談していた。

 もう放っておけばいいものを……。


「あ~、でも友達はいろいろと言ってたよ。新しい誰かと歩いているのを見かけたとか、付き合ってる時にはしていなかった趣味を始めたりとか」

「な、なるほど……他に熱中できるものができたパターンか」

「あとはいざ別れてみたら、振られた方より振った方がダメージ大きくてショックを受けてるってパターンもあったよ」


 友達がくれた答にわたしは心を抉られた。

 心臓を直に殴られたように息が苦しくなった。

 わたしの方がより大きなショックを受けていて、詩以上に心が病んでいるとでもいうのか。


「突然どしたん?この前から顔色悪くて流石に心配するって」


 その後はどう誤魔化したのか記憶にない。

 別れた後の詩のこと、その詩が妙に落ち着いてしまっていること、自分自身のこと。


 あまりに多くの情報が混在して、脳みそがキャパオーバーして煙が上がりそう。

 わたしから別れを告げた手前、話しかけに行くのは勇気がいる。そもそも元カノについてあれこれ考えているのが間違いなわけで、勇気がいるとかいらないとか以前の問題だった。


 それほどに矛盾してしまう原因は――わたし自身のせいかな。

 覚悟も考えも足りずに薄っぺらい使命感と綺麗事で詩に応えようとしたわたしが。

 白を切ることも人のせいにすることもできず、偽善者になっている現状を脱したい。

 そのためには冷酷に徹するしかなくて、けど共にいた時間が決して短くない詩への想いを容易く切り捨てることなどできないのだった。



「小戸森さん」

「待たせちゃったかな、詩ちゃん」


 そう遠くない未来、わたしはさらに信じ難い光景を目の当たりにするのだった。

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