第6話

『学校はどう?寒くて起きるのが大変だよね』

『ずっと眠っていたいくらいですね』


 冬休みが明けて、3学期の通常授業が始まった。

 あの女とのやり取りは今も続いている。初詣で会った際に女がメッセージで宣言した通り、その約束を守り続けているのだ。

 毎日必ず1通はメッセージを受信している。ほぼ1通では終わらないけど。


『冬場のお布団は天にも昇る心地だもんね』

『そういうことじゃないですけど』


 呑気な女の発言に訂正を入れたくなる。

 私が眠っていたいというのはベッドから出るのが大変な時期だから、というのもあるけど、彩里ちゃんという支えを失った現実を直視するくらいなら夢の世界で一生過ごしたいという気持ちの方が大きい。

 しかしまぁ、それにしても……。


『というか仕事中じゃないんですか?』


 気になっていたことを聞いてみた。


 確か女は4日までが冬期休暇で、5日から仕事が始まると言っていた。

 仕事が始まる前か休憩中、終わった後に送ってくるなら分かるが、仕事始めから1週間経ってなおメッセージを受信する時間帯はバラバラだった。


 労働とは厳格なもので、ケータイを弄る暇なんてないと思っていた。

 もしや実はプータローの引きニートとか――って、そんなわけないか。もしそうなら会員制の店なんて使えないだろうし……仮にそうだとしたら実家が太いのかな。

 

 どちらにせよ私にはあの女の素性なんて分からないわけで、あれこれ考えるのは無駄だ。

 現状私に与えられた事実は、あの女が約束を守る人だということと、律儀にメッセージが送られているということだけ。


『勤務時間中だけど皆まったくケータイを触らないわけじゃないよ。電車で移動する時とか、小休憩の時とか、だいたい皆ケータイを見てるんじゃないかな』


 なるほど、勤務中でも多少は暇な時があるのか。って、それもそうか。


 ちなみにこの学校では授業中に使うことが校則で禁止されており、バレたら没収される旨の文言が生徒手帳にもある。現在進行形でメッセージをポチポチ入力している私が言えたことじゃないが、休み時間や朝と放課後以外に使用するのはオススメしない。


 それでもバレないように、あの手この手でケータイ弄りをする人たちはいるのだけど。

 前の人の背中で隠したり、机の引き出しの中で触ったりとか。


 そしてコソコソやっているつもりでも先生にはバレていて、没収されるケースもあるにはあった。学校というのは、どこもケータイの使用に関して厳しい気がしてならない。


『じゃああなたは移動中か休憩中なんですね』

『ううん?5分後くらいにお客様との打ち合わせが始まるところだよ』

『私と他愛ないやり取りしてる場合ですか』


 なんと、この女はこの後すぐに予定があるのに私との文通に興じていたらしい。ここまでくると働いているのかな?という疑問より呆れが勝っていた。

 しかし、その呆れも次のメッセージで別の感情に置き換えられた。


『他愛なくないよ。仕事は大事だけど、詩ちゃんとのやり取りだってそれと同じかそれ以上に大事なことだから』


 その文面を見た瞬間、得も言われぬ高揚感と充足感に満たされる。

 私の中に欠けていたパズルのピースが埋められたような。

 まったく。そこまで言われたらますます返信したくなるじゃないか。


『それはどうも』

『どういたしまして。そろそろ打ち合わせ始まるから、一旦抜けるね』


 そうしてきっかり5分後、女からのメッセージは来なくなった。

 本当に仕事はしているようだ。

 途端に襲ってきた物足りなさは、一過性のものだろう。

「……雛本さん」

「あ、うん」


 考え事をしていたら、前の席の子から面倒くさそうに声をかけられた。

 どうやら配布物を回しているらしく、早く取れ、と目元が語っている。


「これ、回して」

「ごめん」


 自分の分を取って後ろに回し、考え事に戻った。

 社会人の打ち合わせって、長いものなのかな。

 午前の授業が終わって、昼休みが終わってもなお女からのメッセージが来ていないなんて。お昼を食べる気にもならなくて、先生の声も耳を通り抜けて、ずっとケータイの画面と睨めっこしている始末だ。


 私が送って欲しいと思うのは、正しくない。あの女は既に午前中にメッセージを送ってくれたのだから、約束自体はもう果たしている。頭では分かっている。

 けど、1通くらい送ってくれてもいいのに。心はそう叫ぶ。

 

 打ち合わせでは具体的に何を話して、どれくらい時間を要するものなのだろう。2時間も3時間もかかるものだとしたら、せめて前以てどれくらいに終わるか教えてほしかった。遅くなるかも、とか、一言くらいあってもいいのに。


 欲求の叫びは膨らむ一方だ。


『やっと打ち合わせ終わったよ~』

「!」


 私の思念があの女にも届いたのか、タイミング良く新着通知が表示された。

 送り主は期待の通り、小戸森風香という名だった。

 画面に指を滑らせて、こちらからもメッセージを送る。


『お疲れ様です。長くないですか?』

『1時間で終わる予定だったんだけどね、あれもこれもって話が膨らんで、先方の上長まで参戦してきて引き止められちゃった』

『そうですか』


 忘れられていたわけではなさそうで、心が軽くなったのを感じた。

 面倒くさくなってもう送りませんなんてことになったら……最悪だ。


(……最悪?なんで?)


 あまり思いたくない未来を想像してしまい、感情の波が荒れていく。

 

 あんな奴に揺さぶられている自分が腹立たしい。

メッセージを必ず毎日送るなんて、あの女が勝手に約束して、勝手に約束を守っているだけ。最低な出会いを果たした奴を相手に、私がヤキモキすること自体おかしいのだ。


 メッセージが送られなくなったら、あの女と出会う前の日常に戻る。彩里ちゃんもいなくて、誰とも連絡を取らない静かな毎日に戻る。ただそれだけのこと。

 誰とも交流がないなんて、ちょっと前まで当たり前のことだったじゃないか。

 いつ切られてしまうか恐れるなんて馬鹿げている。


『今日は午後も忙しくて、あまり連絡する暇ないかも』

『はぁ』

『隙間で送れるようにはするけど……暇になったらたっぷりお話しようね。じゃ、残りの授業も頑張って!』


 文末にグッドマークの絵文字付きで、女に励まされた。

 連絡するね、じゃなくて、お話しようときたか。私が応答するのはあの女の中で決定事項らしい。

 

 どうかしている。

 そんなことはないと否定しきれない私も、無条件で口約束を守り続けることができるあの女も。

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