第5話
「凄く並んでますね」
目的地に着いたばかりで私は引き返したくなった。
参道の幅一杯に並ぶ参拝客。その様はネットで話題になるオタクの祭典のようだった。
社務所にも授与所にも列が形成されていて、さらに屋台まで出ているものだから擦れ違う客とぶつかりそうになる。
「この神社もこの周辺じゃ有名だしね。アクセスも悪くないから毎年こんな感じだよ」
初めてこの神社に来た私とは違い、女は特に驚いた様子もなく列の最後尾に並んだ。はぐれないように遅れず女に着いていく。
最後尾からは賽銭箱が見えなかった。私達が来た段階でそれだけ並んでいたのに、さらに後ろにも列が出来始めていた。鳥居を突っ切って階段にも沢山の人が立っている。
人が密集しているせいか、頭上の風は冷たいのに首から下は生暖かかった。
「詩ちゃんは毎年お正月をどう過ごしているのかな」
「どうも何もありませんけど」
正月の過ごし方を聞かれても困る。
毎年家で寝るか動画を観るか、冬休みの課題を片付けたらそれくらいしかやることがないから。
親戚はいるけど付き合いが薄い。両親が帰って来ないから遠方の実家に帰省することもないし、私だけ帰省したとしても気が重くなるだけだ。小学生の頃には既に親戚付き合いや帰省というイベントは消失していた。
当然お年玉を貰うというイベントも発生しない。祖父母はおろか両親からも貰ったことがない。たまに帰ってきた時にくれるお小遣いが結構な額なので、それでチャラにしろということなのだろうか。
「私のお正月はね、働き始めてからはだいぶパラダイスになったかな」
唐突に自分語りし出す女。
「知りませんけど」
「お金を貯めやすくなったのが大きくてね。毎年いろんな子と会って、お年玉を渡せるようになったんですよ」
「ふーん……」
ドヤ顔で語る女に対して、面白くないと思った。
そんなこと聞きたくないと、思ってしまった。
「あ、拗ねないで?詩ちゃんにもお年玉は用意してあるからね」
慌てたように女は付け足すけど、正直お年玉なんて知ったことじゃなかった。
鞄の中から取り出されたポチ袋はシンプルで、上質な紙で作られたそれは重量があった。
中には英世か一葉か諭吉の誰かが入っているのだろうけど、それを手渡されても私の心はこの青空のように晴れなかった。
「詩ちゃん?」
いろんな子と会ったという部分が引っかかった。
喉に詰まった棘みたいに抜くこともできず、チクチクと不快感を与えてくる。
まだ年が明ける前に話した時も、そして初詣に誘われた日も、この女は他の女の子とも遊んでいることを仄めかしていた。
私だけじゃないのだ、この女には。もし本当に失恋したことを嗅ぎ取れるのなら、これまでにも多くの女の子に言い寄ったに違いない。そして私としたようなことを多々やってきたのだ。
私が失恋してから今日に至るまで、その間にすらこの女は誰かと会っていたのかもしれない。
私以外の誰かといるかも、という考えが靄となって私に纏わりつく。
「詩ちゃん。私だって詩ちゃんといる間は、君のことしか見てないんだよ?」
「……訳が分からないんですが」
「この列に並んでいる今が正にそう。私は他の子といないし、相手にできる子は詩ちゃんしかいない」
女は私が不快に感じている部分を的確に突いてきた。
私の顔に分かりやすく出ているのか、妖怪並みに心が読めるのか。
「でもそれって私といない時は他の子を――」
言いかけて口を噤んだ。
過去の人間関係は全てこの考え方で失敗しているし、付き合い云々は置いといてこの女は欲求をぶつけるべき相手でもない。
「よーし、言葉で信じてもらえないなら実際に行動しよう。相手に信じてもらうには日頃の行動が大事だからね」
女は拳を握ったかと思いきや、ケータイを取り出して操作し始めた。
何をするつもりかは知らないけど、その「日頃の行動」とやらのせいで女への信用度はある意味ゼロに近い。あまりにも節操がない。
「メッセージ送ったから見てね」
「はぁ……は?」
女に言われた通り画面を開き、送られたメッセージに目を通す。
『詩ちゃんに毎日メッセージ送るからね♪』
謎の宣言をした女。この女は私がどういう意味で信用していないのかもお見通しらしい。
……てか、隣にいるんだから直接言えばいいのに。
「こういうことはさ、言った言わないになっちゃうんだよ。仕事なんかだと特に注意するところだから。文面で残すのが大人の基本なのですよ」
「急に大人っぽいことを言うんですね……説得力があるんだかないんだか」
「これでも仕事してますから」
えっへん!と女は胸を張った。
後々の為に証拠として文字を残すのは理解できるし、そこら辺はきちんと考えてるんだなぁと感心しないこともない。
ただしこの女が未成年相手に手を出していなければ、の話だけど。法律をバリバリに破っている人が言っても説得力に欠ける。
「そろそろ先頭が見えてきたね」
「そうですね」
女と無駄話をしている間にも列は進んでいて、あと10列ほどで私達の番が来る。
「何をお祈りしようか決めた?」
「決めるも何も、お願い事は持ち合わせていないので」
「そっか~。私が2人分お祈りしようかな、なんて」
女にはどうやらお願い事があるらしい。
私は願うとすれば、「時間を巻き戻せますように」しか思い付かない。時間を巻き戻してクリスマスイブの日、彩里ちゃんと別れる前まで戻りたい。もしくはこの人格が形成されるよりも前。つまり生まれてくるところから人生をやり直したい。
でも現実でそれは不可能だ。それに私は物語の主人公やヒロインじゃないから、そんな特殊能力を授けてもらえない。
そして私がお祈りする番がやって来た。
賽銭箱に十円玉を入れ、本坪鈴を鳴らして二礼二拍手。
“この人格がマシになりますように”
時間を巻き戻すよりは現実的なことをお願いした。
寒い中待った上にお賽銭を投げ込んた分だけ、何も祈らないのは勿体ない。
しかし何年も共にしてきたこの腐った人格を神様がマシなものにしてくれるだろうか。百円玉を入れた方が良かったのかな……。
「結局なんてお祈りしたの?」
「なんでもいいでしょ。そういうあなたは何かお願い事したんですか」
欲しい物を全て手に入れてそうな女に一応聞いてみた。
神社や神様なんかにお願いなどしなくとも、この女なら大体のことは叶うのではなかろうか。
だって未成年と遊んでるような奴だし。
法律を破ってなお気ままに暮らしているのだ、怖い物はないだろう。
「私はお願いというより決意表明みたいなものかな」
「決意表明?」
「そう、感謝して決意を伝えるの。私は毎年ここでお参りしているから、1年間ありがとうございました、今年はこういう1年にしますってね。あ、お願い事するのも間違いじゃないよ?」
知らなかった。初詣って、そういうものだったのか。
常識や法律は平気で破りまくるのに、こういうお作法は守るところにギャップを感じる。
でもそうか、決意表明か……。
私は何を心に決めるのだろう。この女が何を決意したのか分からない。しかしそれ以上に、自分がどうしたいかも見出せていない。
失敗することなく人と接することができるようになったとしても、その未来で私が考えることは?
ただ人と上手く付き合えるだけで私は満足できるのか。
深層心理へ問いかけても、明確な答は見えてこなかった。
◇
参拝が済んだ後は女に連れられるままに境内を歩き回った。
甘酒を飲んだりおみくじを引いたり。久しく正月らしいことをしてこなかった私にとって、女に連れ回された時間は不本意ながら楽しいものだった。
このまま別れるのが惜しまれる。
「無理に歩き回らせてごめんね。そろそろ帰ろうか」
女は手の平を合わせて謝ってきた。
しかし問題なのは連れ回されたことより、まだ女の傍にいたいともう1人の私が叫んでいること。
「……たまにはこういうのも、悪くはなかったです」
せめてもの強がりで本音に蓋をした。
私はこの女にとって都合のいい相手の1人に過ぎないし、まだ処女を流れで奪われたことを許していない。
これは気の迷いのようなものだ。悪いお姉さんに素直に良かったですと言ってしまうのは癪だ。
でも、それで女は満足だったようで。
「悪くない日にできたなら誘った甲斐があったよ。来てくれてありがとう。また会おうね」
背後の太陽が霞むほど眩しい笑顔で、女はそう言うのだった。
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