第3話

「とりあえずさ、帰る前に朝ご飯だけ食べていかない?」


 しばらく女の胸で泣き続けて、やがて泣き疲れた私に女が提案してきた。

 もう太陽が昇って、徐々に人々が活動を始める時間になっていた。


「その前に詩ちゃんのご両親に連絡をしないといけないかな。まだ未成年だもの、夜が明けても帰って来なかったら心配させちゃうよねぇ」


 今さらだけど、と女は苦笑して言った。

 本当に今さらだ。そして変なところで律儀だった。


 初めましての女、しかも未成年をホテルに連れ込んだ挙句に処女を奪っておきながら、心配するのは他人のことだなんて。


 この女が第一にすべきは、自分が通報されるかどうかだと思う。

 未成年と交わるのも連れ回すのも、どちらも法的には問題しかないはずでは?

 この朝ご飯を、女がシャバで食べる最後の朝食にすることだってできる。


「連絡なんて要らないですよ。私の親は明日まで帰ってきませんから」


 とはいえ私も通報するようなことはなく、女には心配無用とだけ伝えた。

 親があまり家にいないことを怪しい女に教えた理由は、私自身のことなのに分からなかった。


「そうなんだ。とりあえず早くからやってるお店あるから、行こうか」


 丁寧に畳んで置かれていた洋服を身に着けた女がベッドから立ち上がり、バッグを持って部屋を出た。

 私も脱ぎ捨ててあった洋服を急いで着直して、女の後を追う。

 忘れ物は……ぶっちゃけ昨日の所持品なんて覚えてないし、バッグがあるから大丈夫でしょ。


「ここが朝ご飯のお店で~す!さぁ入ろう!」


 休日で人通りが少ない街の中を歩くこと数分、お目当ての店に到着した。

 冬の朝はとても寒くて、しかし昨日の夜より寒さを感じないのは隣に誰かいるからだろうか。


 木目調の重厚な扉を押し開けた先には、人生の中で体感したことのない空気が漂っていた。

 ほんのりと照明が灯る店内は最低限の明るさしかなくて、チラリと見えた内装に早くも場違い感を抱く。


「いらっしゃいませ。おはようございます、小戸森様」

「おはようございます。朝のメニューをいただけますか?」


 小戸森と呼ばれた女は慣れた様子で店員とやり取りしていた。

 私を引っかけた時よりは堅い口調だったけど。


「承知しました」

「あとこの子は私の知り合いで、会員ではないんですが一緒にいいですか?できれば個室で」

「問題ございません。ご案内致します」


 女の頼みにも女性店員は笑顔で応えた。

 前を歩くその人は背筋がピンと伸びていて、接客のプロであることが子供の私でも見て取れた。

 女も女で、未成年と同衾するような危険人物のくせに、高級感漂う店内を歩いても違和感がないのが納得いかない。


「では朝食のコースを用意しますので、しばしお待ちください」


 案内された席に座り、店員は一礼して去った。

 しなやか且つキレのある動作にこっちまで背筋が伸びる思いだ。


「……ここ、高級店ですよね」

「そうだよ。私、ここの会員だからたまに寄るんだ。デザートのフルーツが美味しくて」

「会員制のお店なのか……」


 座って早々に場違い感が再来した。


 会員制って、一般的にはお金がかかるイメージだ。ここも明らかにファミレスとは一線を画す内装だし、この椅子だって座布団みたいにフカフカだし……本当にこんな高級店で朝食をいただいて許されるのか?


 その高級店の会員で時々使っているということは、この女はそれなりにお金を稼いでいるんだろう。あるいは実家が太いという線もあるか。

 高校生とエッチする、高級レストランの会員。


 ……なんともチグハグな組み合わせだ。


「もっと楽にしていいよ?ずっと背筋伸ばしてなきゃいけないルールはないからね」


 女はコートを脱いでリラックスしていた。

 他人事みたいに言ってくるけど、はいそうですかと気楽にできるほど場に慣れていない。


 私だって昨日はデート用に、普段使いより気合の入ったコーデにしたつもりだ。それでもこの女の居住まいには敵わない。思えば朝着替えた時も洋服はきちんと畳まれていたし、そういうのは見た目通りというか。

 デート……。


「詩ちゃん?」

「……もう彩里ちゃんは私に笑いかけてくれないんだなって、思い出しただけですよ」


 高級な雰囲気に呑まれたままなら今は忘れていられたはず。

 女と自分の服装を比較した余波で彩里ちゃんの姿が浮かんでしまった。

 なんだか目を開けているのも億劫になって、いっそ睡眠導入剤を処方してもらいたい気分だった。


「まだ話の途中だったよね。君は自分自身のことを責めている」

「全部私が悪いんです。昔から周りの人に指摘されていたのに、同じ失敗を繰り返したんですから」


 私は自分ばかり優先して、彩里ちゃんに無理強いをしてきたのだ。だって最後に見た彩里ちゃんの顔はどこか疲れていたから。


 昔から周りの人に「雛本さんといると疲れる」って散々言われていたのに。彩里ちゃんとは、欠点を克服して付き合おうと決めていたのに。

 1個上の彩里ちゃんとは昔お隣さんだったこともあって、姉のように私を可愛がってくれたし、そんな彩里ちゃんのことが私も好きだった。


「……それはどういう心理?」

「私は……私だけを見て欲しい。私を一番に想って欲しいんです。でも誰かと仲良くなる度に傷付けて、誰より距離が近かった彩里ちゃんまで追い詰めてしまった私は、最低な人間なんです」


 静かに笑った女が私の方に手を伸ばそうとして、引っ込めた。


「お待たせ致しました」


 料理が来るタイミングだったらしい。先ほどのスタッフがシックな色のテーブルに2人分のお皿を並べていく。

 並べ終わったスタッフが「ごゆっくりどうぞ」と残して出て行った。


 改めて緊張感がのしかかる。お皿やカップも取り扱いに細心の注意を払わないといけないような代物で、しかしやはり女は慣れた手つきでナイフとフォークを持ち始めた。


「暗い話はここまでにして、食べよう!美味しいものを食べると人間は元気になれるよ!」

「はぁ」

「ナイフとフォークは外側から取るといいよ。スープも奥の方から――ううん、私しかいないから好きなように食べて」

「あ、ありがとうございます」


 女の助言に従ってカトラリーを手にする。

 そういうマナーは知らないので、普段通りに食べられるなら助かる。

 まずは野菜のポタージュをスプーンで一口。


「――!!」


 たったの一口。それだけで衝撃が走った。

 甘さも苦さもあって、それぞれが互いの存在に干渉することなく主張もしている。野菜嫌いの子でもこのスープは飲める、そんな確信があった。

 さらに喉越しがいい。サラサラと流れ込む液体は、市販のポタージュでは再現し得ない感覚だった。


「美味しいでしょ?」

「美味しい、です」


 そう問われて頷くしかなかった。事実、美味しいのだから。


 ふわふわに膨らんだスクランブルエッグは黄色と白のコントラストが美しくて、口の中であっという間にとろけてなくなる。サクサクのトーストはバターを塗らずとも香ばしくて、サラダは瑞々しくて。食後のフルーツも新鮮で、自宅では食べたことがないほどしっかりと味が乗っていた。


 咀嚼した食べ物が悲しみを押し戻すように私の体内へと流れる。


「凄く美味しかった……」


 人生初の高級朝ご飯は美味しすぎた。

 悔しいけど女の言う通り、美味しい食べ物でテンションが上がってしまったのは否定できない。

 美味しい食事の力とは、偉大だ。


「詩ちゃんのお話ばかり聞いてたから、逆質問とかあれば答えるよ」

「逆質問?」


 食後の紅茶を優雅にいただきながら、女が言い出した。

 逆質問って、会社の面接かよ。私から女に質問したいことなんて――山ほどあった。

 でもそれは質問というより問い詰めたい、も混じっている。

 ただこうして場を設けられても、急なことだと反応が遅れる。


「遠慮しないで、どんどん聞いて?」

「え~……じゃあ、失恋ハンターって何ですか」


 気になっていたことの1つ、出会い頭に女が言っていた謎の名詞を思い出した。


「読んで字のごとく、私は失恋した子を嗅ぎ分けるのが得意なんだよね。フられた女の子と遊んだりエッチしたり、相手は中高生が多いけど大学生もそれなりにいるんだなぁ」


 想像以上に最低な返答だった。

 遊ぶだけならまだしも、エッチはどう足掻いても犯罪だろ。しかも中学生まで守備範囲とは恐れ入った。

 これはあれか?ロリコンってやつなのかな……。そうでないなら変態だ。


「あ、勘違いしないでよ?別にお金を渡して買春してるわけじゃないからね。ホテル代とかは誘った側が出す、当然のことだからね」


 女の訂正に私は呆れるしかなかった。

 そんな補足されても、金銭の授受がなくとも未成年とそういう意味で遊んだ時点で終わっているのに。


「ホテル代を出したとして、法律的にマズいのは変わりなくないですか」

「そうなんだよねぇ。私はバリバリに法律を破ってるわけ」


 当然の指摘にも悩ましいといった表情で、でも辞めるつもりは毛頭ないとその眼が語っていた。

 自覚あるならやめとけ、そう忠告する気が失せた。これほどあっさり認められると毒気が抜かれるとでも言うのだろうか、怒るのも野暮に思えてならないのだ。

 この女に社会常識を求めても徒労に終わる。


「せめてその子が立ち直るまで傍にいるのが私のモットーでね。社会人になってからはお金を稼げるようになったし、失恋ハンターとしての活動もしやすくなったよ」


 まさか稼いだお金を失恋した相手に相当注ぎ込んでいるのか?だとしたら勿体ない。その場限りになるかもしれない相手に、この女は一体いくら払ってきたのだろう。


 正気の沙汰じゃない。まぁ、正気ならそもそも未成年に身体を求めたりしないだろうから、常人が持っているストッパーはどこかに置き忘れたに違いない。

 

 それはそれとして、女の「立ち直るまでに傍にいる」という文言が引っかかった。

 私の中で踏み込みたいような、踏み込んではいけないと警鐘が鳴っているような……。


「詩ちゃんと会って、こうやって向い合せで朝ご飯を食べたのも何かの縁だね」

「ちょっと」


 女はさり気なく私の手を包み込んだ。

 川の流れみたく滑らかな動作でありながら、人の心には荒波にも負けない強さできっちりと侵食してくる。

 不信感と期待感がセットで押し寄せるから、正直気安く触るのはやめてもらいたい。


「そろそろ利用時間を過ぎちゃうから出よう。あ、お財布は出そうとしなくていいからね。さっき言ったように誘ったのは私だから」


 私が言葉を発する前に女は立ち上がった。

 金額を見る間もなく伝票は女の手に収まった。


「20,000円でございます」

「にまっ――!?」

「しーっ。支払いはクレジットカードでお願いします」


 値段が告げられてビビる私の口を女が優しく塞いだ。なんとか叫ばずに済んだけど、朝食に何万円という単位で請求されるのは初めてだ。


 財布を出さなくていいというか、出したところで支払い不可能ですよ私は。

 コンビニでペットボトル飲料を買うようなノリで、ポンと諭吉2人分を払える性格を含めて、この女の感覚が理解不能だった。


「ありがとうございました。またご利用ください」


 レジの人からも特にお咎めはなく、無事にお店から出ることができた。

 ……久々に外の空気を吸った感じ。高級店の空気にはずっと慣れなくて、ようやっと日常に舞い戻った感じ。

 彩里ちゃんがいない日常、独りぼっちの日常に。


「ごちそうさまでした」


 まだまだ信用に値する人物じゃないにせよ、最高の食事を提供してもらい、食事代まで出してもらったことにお礼をした。

 眼前の相手が常識の通用しない女であっても私まで非常識になる必要はない。


「帰る前に交換しよ?連絡先をさ」


 さも今閃いたかのように言う女。白々しい演技にツッコミを入れてやろうと思って、しかしそうはしなかった。

 一日足らずのやり取りの中で、女の強引さを知ってしまったから。


「まぁいい、ですけど……」


 一般的に皆が使っているメッセージアプリで、互いの連絡先を交換し合った。


「私の名前、呼んでくれていいよ」

「気が向いたらそうします」


 アプリの友達欄に「小戸森風香こともりふうか」という名前が追加された。

 可愛らしい響きだ。やっている行為からは想像もつかないくらいに。

 どうせ今日で終わる関係の人だ、わざわざその要望に応える義理はない。

 最後まで女の名前を呼ぶことなく、私たちは別れた。

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