第2話
「――はっ!?」
私は飛び起きた。
目を開けて飛び込んできた天井は家のものではなく、どう考えても外に居ることが分かるものだった。
「えっ?なな、なんで裸なの!?」
続いて目に入ったのは素っ裸になった自分の体だった。おかしい、冬場の寒さ対策で重ね着していたというのに、なぜ私は全裸で布団?にくるまれているのか……。
「うくっ!腰が痛い……」
そして突如主張を始める腰の痛み。とりあえず布団から出るべきか悩んで動こうとしたら、ただ寝ていただけでは発生しないであろう痛みに襲われた。
おかしなことに記憶がないのだ。柔らかくて甘い花の匂いがする女に意味深なことを言われて押し倒されたのが最後で、それからの記憶が途切れている。だから腰が痛い原因も不明のままだ。
私の隣に全裸で寝ている女なら事情を――って、はぁ?なんでこの女も全裸なの?
いや待て。記憶はなくても、なんかふわふわして夢見心地だったのはなんとなく覚えている。
体中を気持ち良さが駆け巡って、胸に空いた穴が満たされていくような感覚だった。
「う~……ん、思い出したら身体が熱くなってきたような……」
その豊満な上半身を惜しげもなく晒して眠る女を見ていると、朧気ながら記憶が蘇ってきた。
とにかく気持ち良かった。快感に支配されていたと言ってもいい。女の指や舌の、柔らかな感触を私の全身が覚えていた。肉体的にも精神的にも充足していたとすら思える。
(まさか私はこの女に――!)
そこまで思い出して、私はあって欲しくない可能性に辿り着いた。
まさか。いやまさか、素性不明の女と私が?いくら失恋したからって、そんなことあってはならない。
「起きたんだ、詩ちゃん。おはよう」
1人悶々としていると、横で寝ていた女が起きた。時計を見ると、もう明け方になっていた。
たわわな果実を見せつけるように、女は前屈みになって私の顔を覗く。
この女の肌は艶やかでシミもなくて綺麗なんだけど、胸の谷間のせいで目のやり場に困った。
「昨晩はお楽しみでしたね、詩ちゃん」
ニコニコと笑いながら気味の悪いことを言う女。
「どういう意味ですか。そんでどうして私の名前を知っているんですか」
最悪の結論ではありませんように!そう願いながら私は女に訊いた。
私は女の名前を知らないのに、この女が私の名前を呼んでいるのも不可解だ。警察に突き出してやるつもりが、逆に私の個人情報が知られていたらまずい。これをネタにあらゆる脅迫を受けるのではないか。
そんなこと、絶対にさせない。
「覚えてないの?まぁ無理もないか……人生で初めて失恋したショックは計り知れないもの。忘れるためなら何だってしてみせるのは人間の防衛本能が働いたことに」
「はぐらかさないで答えてください。何があったんですか」
「……聞きたい?」
聞いてもいないことをベラベラと喋る女の声を遮って睨んでやったつもりだけど、それを気にする様子もなく笑ったまま聞いてきた。
記憶が曖昧なままだとモヤモヤして仕方ない私は、真相を知るべく黙って頷いた。
「私と詩ちゃんは昨日から夜通しでエッチしたんだよ」
そして、あってはならない衝撃の返答がなされる。
「……そんなわけ――」
「あるんだなぁ、それが。日付が変わるまでに3回戦はしたのに、変わってからも何回かしたじゃない。脚と脚を絡めて擦り合ったのは最高に気持ち良かったよね。とろとろに溶けきった詩ちゃんの顔は忘れたくても忘れられないよ」
事もなげにのたまう女は愉しそうに口角を上げた。
嘘であって欲しい。彩里ちゃんに捧げるはずだった私の処女を、あろうことか昨日知り合ったばかりの謎の女に渡してしまうなんて……。
さらにショックなのは、そんな奴相手に私も乱れてしまったこと。失恋直後とはいえ不覚だった。
時を巻き戻せるのなら、昨晩の自分を張り倒したい。甘美な囁きをする悪魔になびくな、折れちゃダメだ、奴は持ち前の美貌で人を誑かす狼だぞ。そう忠告して、ふんじばってでも止めてやりたい。
「記憶を上書きしたいって叫んで泣き出すし、いざ始まったらもっと気持ち良くなりたいって言って求めてくるし……あぁ、なんて激しい夜だったんだろう!」
不本意ながら夜を共にした女は瞳を輝かせていた。
何もかも理解できない。普通に考えたら未成年とワンナイトなんてしようものなら、そいつの弱みを握りでもしない限り通報されるのがオチではなかろうか。
あるいは誰かに目撃されて社会的に制裁されるという線も考えられる。
なんにせよ女は余裕たっぷり思い出に浸っている暇などないはずなのだ。
人の初体験を奪っておいて、まるで罪の意識を感じさせない人物に怒りが込み上げる。
「私、初めてだったのに……初めては彩里ちゃんとするはずだったのに!」
私は声を抑えられなかった。
怒鳴って感情を放出しないと、とにかく頭が破裂しそうなほどグチャグチャになっていた。
なし崩しで処女を失くしてしまったこと、彩里ちゃんにもらって欲しかったこと、そしてその彩里ちゃんにあげることはどう足掻いても不可能になってしまったこと……。
悲しみの連鎖が私の全身を循環し、攻撃的にさせる。
「あんたが放っておいてくれれば私は惨めな気持ちにならずにいられたのに!あんたみたいな怪しい女!人の大事なものを奪ってヘラヘラと笑って済ませるなんて、信じらんない!!」
乾いた音がホテルの部屋に響いた。
私の手が熱を帯びて、女の頬がそれに呼応するように赤みを帯びた。この平手打ちは奪われた処女の分と、反省する素振りすら見せない分と、彩里ちゃんのことを思い出させられた分。
どうにかしてこの女の顔を歪ませないと気が済まなかった。半ば八つ当たりを含んでいることは自分でも分かっている。少なくとも彩里ちゃんのことに関しては、この女は無関係なのだから。
「うん、昨日も泣きながら話してくれたよね……」
なのに平手打ちされた女は怒るどころか、悲痛の色をその丸い瞳に灯していた。
同情するわけでも憐れむわけでもない眼差しは共感すらしているようで、私の怒りはそっと萎んでいった。
ある意味では顔を歪ませることに成功したのに、私が望んでいたのはこういうことじゃないと嘆く。
もっと逆ギレするのを期待していたのだ。そうすればこの女が正真正銘ろくでなしだと証明できる。未成年を誑かし、あろうことか深夜まで連れ回し、人の大事なものを奪ってヘラヘラできる、最低な人間だって。
でも、こうも真正面から受け止められては怒っている私が馬鹿みたいだ。
「どんなことも私が受け止めて、吸収して、君の捌け口になってあげるから」
女はそう言って、私を抱き寄せた。
一糸まとわぬ女の胸に顔を埋める。ふよふよしていて温かくて、トクントクンと脈動が伝わってくる。
独りぼっちじゃないんだよ、なんて言外に励まされている気がして、握っていた拳から力が抜け落ちた。
「……もう、やだ、こんなはずじゃ――うぅっ、うああぁぁぁっ!」
「お姉さんの胸で涙が枯れるまで泣こう。それが何時間でも何日でも私が必ず抱き止めるからね」
溜まっていた膿が爆発し、グチャグチャになった感情は涙として姿を現した。
とめどなく溢れるそれは私の頬を伝い、女の肌にも落ちた。
怒りも涙も受け止めてしまう女の胸で、私は泣き続けた。
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